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自作の推し短歌ください・③
#自作の推し短歌ください
— ちー (@n0tsuchi) December 5, 2019
先着7名さま。noteのほうに一首評書きます。(来週ごろ1日1首ペースで更新予定)よろしければ。
気付いたら2日続けてお休みしてました。明日もまたお休みします。年内にはすべて評します。
誰だってよかったなんて言わないで私の名前が記号に変わる / 花房香枝
〈誰だってよかった〉という発話は友人や恋人のような関係性のラベリングを問わず、「関係」のなかで投げかけられ、そして投げかけた人物と投げかけられた人物の間で、加害-被害のような構造をとりうる。なぜなら、誰でもいいということは、関係性における相手の存在必然性を否定することでもあるからだ。
さらに下の句から見てわかるように、存在の唯一性を担保するはずの自身の名前さえ記号へと変えさせられ、主体である〈私〉はますます被害の側に追いやられていく。一方、その抵抗の手段として相手に〈言わないで〉と抗議することになるのだが、おそらく〈言わないで〉と言う時点ですでに当該の発話はすでになされており、そのことがより被害者性を強めているようにも思われる。
以上のように、関係性というものにおいて、自身の存在必然性を否定されたことがある人であれば、この歌への共感も容易いように思われる。
ただ、名前が記号へと転じてしまうことに実際的には根拠や強制力といものはない。にもかかわらずそう思ってしまうのは、「誰だってよかった」という言葉の魔術によるものだ。言葉にはあたかもそのように思わせる力がある。この歌によって現れているものとは、言葉が呪いになってしまうその強い呪術性なのだった。
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