20.01.14

いつまでも語彙のやさしい妹が犬の写真を送ってくれる / 𠮷田恭大「わたしと鈴木たちのほとり」(『光と私語』)

まず、離れて暮らす妹から、LINEやメールなどで飼っている犬の写真が送られてくる景を思い浮かべた。

初句の〈いつまでも〉は二句目〈語彙のやさしい〉にも、結句〈送ってくれる〉にもかかって読むことができるだろう。だからこの一首には、これまでそうであった妹がやさしいまま変わることなく、これからも写真が定期的に送られてくるであろうことが予期される。かつこの予期には「送られなくなる可能性」についての思いはせがないように感じられた。それは〈くれる〉という言い切りの形が、「だろう」や「はずだ」のような主体が考えうる可能性という余白部分を排除するからかもしれない。

〈やさしい〉はひらいているので、「易しい」とも「優しい」とも解釈できる。小難しいことを言ったり相手を傷つけるようなことはしなさそうな妹像が立ち上がり、さらに「送ってくれる」という贈与の行為がその「やさしさ(優しさ)」のイメージを補強する。そんなやさしい妹が送ってくれるのだから、犬は主体にとっても好ましいものである、というような想像が働くように思った。

一首を通して善いもので貫かれており、善さが飽和ぎりぎりまで高められた歌である。この歌と共通のエピソードを持つ読者(もっとも筆者のことではあるが)にはとりわけ刺さる歌のように感じられた。

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いつまでも語彙のやさしい妹が
犬の写真を送ってくれる
-𠮷田恭大-


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