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ご:「死んだもの」と「残されたもの」
2016年7月27日に祖父、2022年2月10日に祖母が亡くなった。
今日2023年3月13日月曜日10時30分、頭に浮かんできたのは、「死んだもの」と「残されたもの」だった。それをテーマにして書いている。
先に言いたいのは、今日は表現がひどいかもしれない。申し訳ないが。
「死んだもの」。
私の祖父母。とても大好きな二人。とても大切な二人。
事実だけ言うと、もう二度とあの二人には会えないということ。
あの世?宇宙?実家の祖父母の部屋?
どこに行っても、もう二度と会うことはできない。
それが「死ぬ」ということ。
分かっているつもりだったが、受け入れていなかった。
やっと受け入れられたのは、自分の息子に、祖父母のことで話をしたときだった。
どこを探しても、もう二度と会えないのが「死ぬこと」なんだと。
「残されたもの」。
祖父母の子供たち。私を含めた孫達。祖父母の兄弟姉妹。
私の父は、ずっと祖父母のことを憎んでいるようだ。叔母たちは、ずっと声が聞きたい、会いたいねと話している。
兄弟姉妹達は、各々思うことがある様子だ。
「残されたもの」。
祖父母が住んでいた家。
祖父母が使っていた部屋。
祖父母が着ていた衣服、靴。
祖父母が使っていた椅子、ソファー。
祖父母が使っていた眼鏡。
祖父母が使っていた…
「残されたもの」は、何も人だけじゃない。
「残されたもの」は、「死んだもの」の遺品整理をする。残酷だ。
何故かって。また思い出して、会いたくなるからだ。もう二度と会えないのに。
ただ、心残りはない。
あるのは、「残されたもの」で私が、祖父母を大好きという気持ちと、感謝と思い出を、私が「死んだもの」になるまで「残している」ということだ。
次へ残ってほしいことはある。
私は怒りっぽい特性を持っている。
祖父母から言われ続けたこと、
「人を憎むのではなく、優しさを持ちなさい」
これは、自分自身にそうしなさいと言うこと。
この言葉は、次の残されたものへ残ってほしい。
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