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「闇に蠢く」グールたちは伺っている。


2011年。
北米ビッグフットサーチのデビッドポーリデスは
荒野の失踪のデータベースを立ち上げた。
「原因不明」「不可思議な状況」での行方不明者の位置と
アメリカにある洞窟の位置は一致しているのだと言う。

「グールたちが洞窟で暮らしていて、
さらってきた人間を食べている」
都市伝説として語り継がれる話に説得力を持たせた。

2005年公開「ディセント:The Descent」は
この都市伝説を映画化したものだ。
スティーブン・キングが絶賛した この作品は
皆がイメージする都市伝説の「地下に棲むグール」像として
非常にリアルだった。


クライヴ・バーカーの”血の本”シリーズ
「ミッドナイト・ミート・トレイン 真夜中の人肉列車」(第1巻)
も「地下に棲むグール」と その始祖を扱った作品だった。
 
 ー映画化された「ミッドナイト・ミート・トレイン」は
  監督が日本人であり、アプローチの仕方が全く違う。
  グールと その始祖よりも、それら「闇の邪神」に翻弄される
  人間に焦点を当てている。
  クライヴ・バーカーの「圧倒的な世界観」は遥か遠い存在だ。
  「闇の邪神」を前にして人間は どこまでも無力なのだと
  感じさせてくれる作品となっている。
  映像も人間主体のメインストーリー部分は無機質な風合い。
  「闇の邪神」が接するシーンだけがリアリティある生々しさ。
  ラストシーンを観て
  この映画は「グールと始祖「闇の邪神」が視ている」んだと
  気が付いた。
  揉めに揉め、あれだけ激怒していたクライヴ・バーカー。
  撮影決定の頃には、率先して映画完成に向け奔走した理由に納得した。
  血しぶきスプラッタとグロテスクを
  極限まで突き詰めた映像にも関わらず、
  優雅で美しい「映画」になったレアケースではなかろうか。

「ミッドナイト・ミート・トレイン」
いまだに酷評の嵐だ。
非常によく判るー酷評にも賛同する部分がある。
個人的には あまり好みの映画を撮る監督ではなく。

ただ この映画は 1つの頂点だと思っている。
監督はクライヴ・バーカーの、クリエイターとしての始祖に
敬意を払って この映画に挑んだのだろう。
映画の完成を一番楽しみにしていたのは
他でもない クライヴ・バーカーだったんじゃないか。
そんな気がする。


「ディセント:The Descent」ではアメリカの都市伝説としての
グールであり、
スティーブン・キングのテイストに感じる「アメリカの日常」だ。
対してクライヴ・バーカーの世界観は「イギリス的な空気感」だろう。

スティーブン・キングの「闇の眷属」たち
クライヴ・バーカーの魔導士たちに代表される「闇の眷属」たち
「闇の眷属」たちは 背後に崇める神たるモノがいる。


『ピックマンのモデル』という作品がある。
1927年にラヴクラフトが発表した短編小説だ。
この作品に登場するグールという生き物は
地下に棲み、墓を漁って死体を貪り喰う。
時折グールに変容していく人間もおり、
目覚めの世界と ドリームランドを行き来する


1926年。
画家
リチャード・アプトン・ピックマンが失踪した。
ギュスターヴ・ドレ、フランシスコ・デ・ゴヤに代表される
新古典主義・幻想画家の一人だった。

絵画理論や哲学的考察、確かな写実力。
常軌を逸してゆき、ピックマンの風貌も次第に変貌していく。

失踪後にアトリエに残された作品は
幻想世界を描いたとは思えぬ作品ばかりだった。


『食事をする食屍鬼』
人間の屍を貪り喰うグール。

『教え』
教会の墓地。
自分達の子供と取り替えてきた人間の子供。
自分達と同じように屍を喰うことを教えるグール。

『地下鉄事件』 
地下から地下鉄の駅の床の割れ目を抜けて現れるグールたち。
ホームにいる人々が襲われる。

『マウント・オーバンに葬られたホームズ、
 ロウエル、
 ロングフェロー』
地下。
大勢の仲間に取り巻かれている。
ボストンの案内書を朗読するグール。


『地下鉄事件』を「克明」に描いたピックマン。

食料として人間を求める彼ら。
食料提供するのなら
人間を襲わない。
秘密裡に そうした契約が交わされたに違いない。

ピックマンが失踪する少し前ー
イギリスでは 
かの有名な「切り裂きジャック」事件が起きている。

「ミッドナイト・ミート・トレイン」
現代まで 彼らとの契約は
守られている。

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