METZ インタビュー
サブポップが送り出したカナダの超強力ロック・トリオ、METZが2016年に初来日を果たした時のインタビューを、再来日決定記念にあらためて公開。彼らのライヴは、ぜひ多くの人に体験してもらいたいです。
トロントの連中はオタワのシーンを《北のD.C.》って呼んでた
--日本滞在を楽しんでますか?
アレックス「満喫してるよ」
クリス「すでに飲み過ぎだけど」
アレックス「実は、予定より2日早く着いちゃったんだよね(苦笑)」
--そうなんですってね(笑)。
クリス「そもそも早く来る予定でいたんだけど、日にちを間違えて伝えてしまって、空港に降り立っても誰も迎えの人がいなくてさ(笑)」
アレックス「興奮しすぎて間違えたんだよ(笑)」
クリス「日本にはずっと来たいと思ってたんだ。でもブッキング・エージェントには《お前らのライヴを観たい日本人なんて誰もいない》って言われてたんだよね(笑)」
--そんなことないですよ! では最初に、それぞれどんな音楽環境で育ったのかを教えてもらえますか?
ヘイデン「うちは、両親がいつも家の中で音楽を流してたんだよ。昔いっしょにバンドをやってたりしたこともあって、ソウルやロックンロール、ビートルズなんかをしょっちゅう聴いてた。プレーヤーにはいつもレコードが乗っかってて、常に何かしらの音楽が流れてたね。それが音楽との出会いだけど、そのうち兄貴たちがパンクのライヴに行くようになってね。そこで7インチのシングルなんかを買って帰ってきたから、俺もそういったレコードを通して、親が聴いてたのとは違うもっとラウドでクレイジーなバンドにどんどん惹かれていったんだ。で、《これなら自分も目指せるかも》と思ったんだよ。レッド・ツェッペリンには絶対なれないけど、ラモーンズみたいにシンプルだからこそ子どもまで感動させられる、そんな音楽ならひょっとしたらやれるんじゃないかって。だからそう、大部分は親と兄弟からの影響で、そこからどんどん広がっていったんだよ」
--最初からドラムがやりたかったんですか?
ヘイデン「ああ」
--なぜドラムだったんでしょう?
ヘイデン「んー、なんでかな。親が許可してくれたから、とか?(笑)」
アレックス「アンガーマネージメントにもってこいだと思われたんじゃないの?」
--(笑)。では、ドラムを始めた時、特に夢中になったドラマーは誰かいましたか?
ヘイデン「ポリスのスチュワート・コープランドの演奏はすごく好きだったね。サウンドガーデンのマット・キャメロンやマット・チェンバレンも好きだったし、あとはジョン・セオドア(クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ)とか、アースレス、ロケット・フロム・ザ・クリプトやホット・スネイクス、オフ!で叩いてるマリオ・ルバルカバかな——このへんはもっと最近になってからか。洗練された技巧を持ってるだけじゃなくステージに出ると凄まじい気迫でガンガンぶっ叩く、そういうドラマーが好きなんだ。ラウドで激しくてシンプルなプレイができてカッコいいんだけど、ちょっと抑え目のジャズをルーツにしたようなプレイもできるっていう。俺自身は別にジャズなんて得意じゃないんだけど、そういうドラマーの演奏は観ててすごく刺激になる」
--最初はポリスのような一般に人気のあるバンドを聴いていたのが、そこからもっとアンダーグラウンドな世界に移っていった、と。
ヘイデン「いや、ポリスに関しては実は順序が逆で、すでにパンク志向の音楽を聴いてたんだけど、他の音楽に興味を持っても構わないってうパンクの掟に従って、いろいろと探索するようになってさ。そういったバンドのドラマーたちがどういう演奏をして、同じ基礎ルーディメンツを、違うスタイルの音楽にどう応用してるかっていうのを目の当たりにするようになったんだ」
--なるほど。アレックスはどうですか?
アレックス「僕の場合もヘイデンと似てて、子どもの頃に家の中でかかってた親の好きな音楽が、音楽に関する最初の記憶だね。僕の親はミュージシャンでも何でもないし、特に音楽好きの家系でもないんだけど、それでも子どもの頃は車で出かけるたびに、当時人気のあった音楽をカセットで聴いてたよ——マイケル・ジャクソンとか、サイモン&ガーファンクルとか。要は大物系ばかり聴いてたわけだけど、うちの親は別に大の音楽好きってわけでもなかったし、超メジャーなやつを普通に追いかけてる感じで、僕もそこから情報を取り入れてたんだ。ただ家にはピアノがあって、兄弟は2人ともピアノを習ってたのに、どういうわけか僕はピアノと何の関わりも持ちたくなくて、逆にかなり小さい頃からギターがやりたいと思ってた。親は困惑してたけど、最終的にはギターを買ってもらい、そこからはその道一筋さ。そうやって小さい頃からずっとギターを弾いてきて、とりあえず最初はみんなと同じで、クラシックなロックをほぼ全部習得した。それが普通のことだと思ってたし。でもそのうち、カレッジ・ラジオから流れてくるアンダーグラウンド・ミュージックに夢中になって、それが、なんて言うか……僕にとって別の世界との接点になってくれたんだ。郊外にいて、かなり退屈で無難な生活を送ってきた僕の目を覚まさせてくれたのが、深夜のパンク・ロック/ハードコア系のラジオ番組だったわけ。そこから聞こえてくる音に信じられないほどの衝撃を受けて、その手のラジオ局の敬虔なリスナーになった。で、そのうち自分の地元っていうか、自分が住んでた郊外から40分ほどのところにライヴハウスがあることを知って、せっせと街に出かけてはライヴを観るようになったんだけど、そこで言葉では言い表せない胸を突かれるような感動に襲われて……あっという間に虜になったんだ。そこから始まって、バンドを組んだり曲を書いたりショウをやったりするようになって、20年間ずっとそうしてきたって感じ(笑)」
--ちなみにそのカレッジ・ラジオを聞いて目覚めた時というのは大体いつ頃で、どんなバンドを聴いていたんですか?
アレックス「90年代終わりくらいかな。耳に小型のイヤフォンをつけてマイナー・スレットやフガジを聴いた時のことを特によく覚えてる。確か日曜か月曜の夜11時スタートの番組で、毎週欠かさず聴いてたし、興味を持った友達に聴かせてやれるようにカセットテープで録音までしてた。だからそう、フガジとかあの手の音楽がほとんどで、というのも……当時は知らなかったけど、その番組の担当ディレクターがワシントンD.C.のディスコードのシーンにハマってたらしくて、それを僕もそのまま吸収していたというわけ。そういうシーンの音楽だとも知らないまま、四六時中聴きまくってたんだ」
--家から40分かけて行っていたライヴハウスがあった町というのは、オタワでしょうか?
アレックス「そうだよ」
--そこでは、D.C.シーンの影響を受けたローカル・バンドがライヴをやってたんですね。
アレックス「そう。みんなD.C.のシーンと不思議なつながりを感じてるようだった。実際、D.C.の連中と知り合いだってやつもいたしね。とにかく色んな部分でたくさんのヒントをもらってるようだったよ。例えば政治活動に熱心な点なんかもそうだし、あとファンジンを作ってたり、僕の知る限りすごく似通ったことをやってたと思う。僕自身はまだ子どもで、D.C.に行ったこともなかったけどね」
クリス「実際、トロントの連中はオタワのシーンを《北のD.C.》って呼んでたしね」
アレックス「ああ、確かに(笑)」
クリス「そういう定評があったんだ」
アンダーグラウンド・ミュージックっていうのは世界中にシーンがあって、ひとつの大きな家族みたいな存在なんだ。
--ではクリスは?
クリス「俺もこいつらと同じで、最初は親を通して音楽に出会った。うちの家族は40年前にスコットランドからカナダに移住してきたんだけど、父親がもともとミュージシャンだったこともあって、俺自身もかなり早いうちから楽器を演奏する音に触れながら育ったんだ。でも、家のあちこちにギターが置いてあったのに全く弾きたいと思わなくて(笑)、しばらくの間はギターを弾かずに眺めてるだけだったんだよね。で、そのうち親父が買ってきた、好きでもないジェネシスのレコードなんかを聴くようになって……」
アレックス「あははは(笑)」
クリス「……で、10歳くらいの頃に、何歳か上の姉貴がダイナソーJr.にめちゃくちゃハマって、それで俺も……っていうか、自分でも何で好きになったのかよくわかんないんだよな」
アレックス「名前がイカしてたからだろ(笑)」
クリス「まあね、恐竜好きの子どもには確かにクールな名前だったかもな(笑)。ともかく、小学校ももうすぐ卒業って頃にダイナソーにハマって、一方で当時はちょうどニルヴァーナの人気が出始めた頃でさ。そっちも家族を通して好きになったんだけど、そこで《別に名プレイヤーでなくてもギターを弾いていいんだ》ってことがわかってきて、自分でもどんどんギターを弾くようになったんだよ。興味の幅を広げて好きなバンドをどんどん開拓していきながらね。で、アレックスと同じようにカレッジ・ラジオを聴くようになって、特にCBCでやってた『Brave New Waves』っていう番組をよく聴いてた。当時ジェフ・コーエンっていうプロモーター兼ラジオDJがいて、年齢制限のないライヴを色々やってたんだけど、俺は特に彼の『Mods ‘n’ Rockers』っていう番組が気に入ってて、ライヴのチケット・プレゼント目当てにしょっちゅう番組に電話していたんだ。で、チケットが当たるようになったのをきっかけに、家から1時間離れたオタワのダウンタウンまで出かけて行くようになった。12~13歳の頃、地下鉄に乗って一人でライヴを観に行ってたんだよ。他に同じタイプの音楽が好きな友達もいなかったしね。そうやっていろんなバンドを発掘していって、そのうち自分でもライヴを企画したり友たちとバンドをやったりするようになるんだ。インディ・ロック系のライヴに通ううちにパンク・ロックにもハマって、それでオタワ北部のいろんなバンドと仲良くなって、例えばBuried Insideっていうバンドはアレックスがメンバーと幼馴染で……まあそんな感じで、オタワ発のヘヴィ・ミュージック/パンク/オルタナティヴ・ミュージックへの愛が芽生えていく中、とうとう16の頃に自分でもバンドでプレイするようになった。以来33歳の今に至るまでずっとライヴのブッキングをやり続けてるって感じ(笑)。メッツの初期のライヴも全て俺が組んで自分たちで企画してたんだけど、そのうちずっとツアーに出っぱなしの状態になってしまって、だからここ3年半くらいは地元でのライヴは企画できずにいるんだ」
--メッツの結成は2008年だったと思いますが、バンド結成のいきさつは?
アレックス「アンダーグラウンド・ミュージックっていうのは世界中にシーンがあって、ひとつの大きな家族みたいな存在なんだ。だから気がつくと色んな人間と知り合いになってるわけ——友達の友達はみな友達って感じでどんどん繋がっていく。たとえばヘイデンと僕も、同じ地域で育って同じようなライヴに通っていながら、ずっとお互いのことを知らなかったんだけど、ある日友達に引き合わされてからは急速に仲良くなって一緒に音楽を作る関係にまで発展した、と。で、オタワを去る時が来て……そう、14~15年間を過ごした街を出て状況を変える必要があると感じたんだ。まあ、僕の場合は恋人を追っかけてトロントまで出てきたところもあって、その彼女が今は奥さんになってるっていうオマケ付きなんだけど。でもヘイデンも僕も、とにかく違う場所に移って一緒に音楽をやり続けたい、という思いがあったわけ。で、トロントのパンク/ハードコア/アンダーグラウンド・ミュージック・シーンの、まさにコミュニティの小ささのおかげでクリスに出会うことができたんだ。実際ほとんどまぐれに近くて、クリスと知り合いだっていう連中のことをたまたま僕らも知ってたんだよね」
クリス「一緒にやるようになる前から、ライヴのブッキングを頼まれたりしてたんだ」
アレックス「そう、すごく狭いコミュニティだからこそ、知り合える確率も段違いで大きくなるんだよ。で、そういう流れの中でこの3人が集まってメッツが誕生した——僕とヘイデンがトロントに引っ越してきて、トロントのミュージック・シーンに深く関わってるクリスに出会ったことでね。そうして、すぐにバンドの活動に集中し始めたんだ」
--トロントに出てきたのは、やはり、より大きな活動の場を求めてという部分が大きかったんでしょうか?
アレックス「僕たち3人とも、純粋に音楽のことが大好きで、これまでやってきたと思う。ヘイデンも僕も《もっとビッグになるチャンスを手に入れたい》なんてことは考えたこともなくて、それが実現可能な目標だっていう認識さえなかった——自分たちがやってる音楽がこういう音楽だしね。だからトロントに移ったのももっと個人的な理由からで、気分を一新して状況を変えたかったのと、あと単純に音楽の仕事をするチャンスが欲しかったんだよ(笑)。音楽をやりたいとずっと思ってたけど、活動するのはいつも仕事の後や週末だけで、その生活は絶対に変わらないと思ってた。だから、今こうして君に話してるのも信じられないっていうか(笑)——音楽の仕事が日常になったわけだからね」
--なるほど。
アレックス「ついでに言うと、トロントのシーンはオタワよりはるかにデカくて色んなバンドが活動してるって、引っ越してきてすぐに気がついたけけど、嬉しい驚きだったよ。オタワのシーンは、バンドのスタイルも流通してる音楽の量も、ずっと限られてて特化されてる」
僕たちはライヴも大好きだけど、同時にスタジオでのプロデュースやレコーディング作業にも非常にこだわりを持っている。
--わかりました、では次に、メッツではどういうふうにして曲を書いているのか教えてください。
アレックス「まさに共同作業で、3人それぞれが色んなアイディアを持ち寄って作り上げていくんだけど、最初の頃はジャム・セッションが主体だった。同じ部屋の中、ボリュームを目一杯上げた状態でどんどんアイディアを出し合いながら、こいつはいける、こっちはダメだ、納得がいくまでトライし続けようって感じで、ふるいにかけながらやってたよ。でも最近は、たとえばセカンド・アルバムや今書いてる新しいマテリアルもそうなんだけど、3人が個々に作ってきたデモが主体になってる。つまり、より完成された形でアイディアを持ってきて、それを3人でさらに練っていくというやり方に変わってきてるわけ。このメンツで長い間やってきたから、曲作りに関してはそれぞれ単独で作業を進めた後で、スタジオに集まって練り上げていけばOKって感じになってきたんだ。昔は最初から同じ部屋に集まって、ビール片手に3人でゼロから作り上げてたけど——そのやり方が気に入ってたしね。だから若干方法は変わったかもしれないけど、同じ部屋に集まって詰めていくプロセスは、今でも大事だと思ってるよ」
--いわゆるリフとかビートとかメロディとか、そういう意味でのソングライティングだけじゃなくて、音響的な部分をすごく意識しているように感じます。いわゆるサウンド・プロダクションについてはどのように考えているのでしょう?
アレックス「僕たちはライヴも大好きだけど、同時にスタジオでのプロデュースやレコーディング作業にも非常にこだわりを持っていて、ライヴとはまったく違う領域でも、同じくらい好きなんだよね。あと3人ともコントロールフリークで、ミュージシャンとしていつも成長・向上したいと感じてるし、自分たちが作る音楽に対する最終決定権を常に握っていたいと思ってるんだ。
--セカンド・アルバムに収録されている"Zzyzx"みたいなトラックは、どうやって出来上がるんでしょう?
アレックス「あれはコロンビアでライヴをやった時に会場になったコンクリートの倉庫の中で、ヘイデンがサウンドチェックをやってたのを録音したものなんだ。あの曲に関しては、色んな音源のコラージュ的な性質が強くて、僕が録ったドラムの音なんかも入ってる。もともとツアー中に色々と録音するのが好きで、それをエフェクトなんかで加工してつなぎ合わせてああいう面白いコラージュに仕上げていくんだ。リスナーにとっても曲の合間のいい息抜きになってるんじゃないかな。僕らのアルバムって、ヘヴィな曲がノンストップで続く感じだからさ。耳休めというか、リスナーを濃密なアルバム空間から一瞬外に連れ出してやろうって感じだね。あともうひとつ特徴的な音として、木をパキパキ折ってるような音が入ってるのがわかると思うんだけど、あれなんか友達の家の改築を手伝ったときに録ったやつで(笑)、バールで床の木を剥がしてる音なんだ。コロンビアの時と同じで、面白い音がするからそいつを捕らえて曲の中に取り込みたいと思ったわけ」
--個性的な音を出すためにこだわって使っている機材、楽器、エフェクター、アンプ等、何かあれば教えてください。
ヘイデン「えーっと、ドラム、かな?」
(全員爆笑)
クリス「みんなここでスポンサーの名前を叫んだほうがいいんじゃないの?(笑)」
ヘイデン「実際に使ってるブランドの名前を聞いてるのかな?」
--いや、メーカーに限らず、楽器や機材に関して何かこだわりがあれば。
ヘイデン「スティックにはすごいこだわりがある。平均より長めのスティックが好きなんだ。カナダのロスカボスっていう会社のスティックを使ってるんだけど、いい仕事してくれるスティックで、すごく丈夫だし、しかも環境に配慮した製造をしてるところも気に入ってるよ。あと、イスタンブールのシンバルとC&Cのドラムを使ってるけど、どれも思い切り叩いて使い潰すために作られた良質のツールって言っていいと思う。まあ、最終的には手近に何か叩けるものがありさえすればいいって感じ。あ、もちろん、この2人は絶対不可欠だ(笑)」
--ドラムの音響に関しては、色々と試したり実験したりはしますか?
ヘイデン「もちろんやるよ。やればやるほどいい音が手に入るだろうし。スタジオ作業の中で、前回これとこれやってすごくうまくいったから、今回もこのまんまでいこうって、安全策を取るようになるのが一番危険だと思うんだ。実際これまでずっと色んなことを試しながらやってきて、ラッキーなことにグラハム・ウォルシュのような素晴らしい助っ人たちと《ちょっとこれってクレイジーかな。カッ飛んで聞こえるかもしれないけど、とにかく試してみよう》って探索しながらやってきた——うまくいけば新たな世界が開けて最高だし、うまくいかなくてもまたトライすればいいやってね。技術的な仕掛けで音を作ることももちろんあるけど、詰まるところは何でもありだと思ってやるのが一番さ。別にドラム・セットじゃなくてもスーツケースを叩いたって構わない、音がクールならなんだっていいんだ」
--では次に、ギターについて聞かせてください。
アレックス「僕は古いギターが好きなんだ(笑)。昔みたいなギターは今もう作ってない気がするんだよね。だから例えばライヴではフェンダーの古いジャズマスターやジャガーを使ってる。アンプは基本的にフェンダーで、デカい音が出せてしかもクリーン、つまり敢えて狙わない限り滅多に音が歪まないところが気に入ってる。スタジオで使うギアは常に進化・変化し続けてるけど、ライヴで使うギアに関しては愛用の定番ギアが幾つかあるって感じかな。あと、家ではリッケンバッカーをよく弾いてて、曲作りでもよく使ってるな。MC5のフレッド・ソニック・スミスに憧れて買ったんだけど、すごく小ぶりのギターでね。家ではしょっちゅう使ってるのにライヴに持って出たことは一度もないんだ。ただ大半の曲はそのギターで作ってるから、特別な存在であるのは確かだね。でも、メンバー全員、絶えず成長し続けたいし、機材にしてもバンドに対する考え方にしても、現状にとどまらずに変化し続けてほしいと思ってるから、ギアに関しては使ったことがないものをどんどん集めてるよ」
--定番・主力のペダルは?
アレックス「そうだね、僕の定番は言うまでもなくディストーション・ペダルのTurbo Ratかな。スタートした時からずっと使い続けてて、スイッチをオフにしたこともないくらいさ(笑)。実際、あれがなきゃライヴもやれないと思うよ」
--クリスは?
クリス「俺は、ギブソンの RD Artistっていうベースがすごく気に入ってる。70年代に2年間だけ生産してたベースで、独特な音がするんだ。でもアレックスも言ってたように俺たちは常に新しいギアを集めてて、俺もついこないだAMPEGのダン・アームストロング・ベースを買ったところでね。いじって遊ぶのを楽しみにしてる。フェンダーのプレシジョンも持ってるけど、いまだにうまく使いこなせないんだよな(苦笑)。そんな感じで、3人ともヴィンテージ・ギアが好きだから、新品じゃなく使い込まれた昔のギアを買うことが多いね。あとアンプは、バンドをスタートした時からSolid Stateのヘッドを使ってる。ベースと相性がよくて、いい感じに音割れしてくれるんだ」
ラウドなロックンロール以上に魅力的な音楽はないと思ってる
--そこから作り出されるサウンドは非常に激しくアグレッシヴで、歌詞も非常に不穏でネガティヴなものになっていますが、どうしてそのような表現をするようになったのだと思いますか?
アレックス「僕もずっとそのことを自問してきたんだけど、多分ある種のセラピーになってるんじゃないかな。毎朝目が覚めると、世の中に溢れ返る酷い現実にどうしても目が行ってしまってウンザリするんだけど(苦笑)、その苛立ちを吐き出す手段になってるんだと思う。とは言っても、僕はあれをネガティヴだとは思ってない。僕らにとって音楽を演奏することは喜びに満ちたポジティヴなものだから、ライヴに来てくれる人たちにも落ち込んだり悲しんだりするんじゃなく楽しんでほしいんだ。全身で喜びを感じてもらいたい。あと音楽に関しては、ラウドなロックンロール以上に魅力的な音楽はないと思ってるし、実際に世界一のドラッグはナマのロックンロールだと考えてる。ロックンロールを演奏したり作ったりした後の気分ってホント最高だしね。だから音楽的な部分ではそんなに悲観的でもネガティヴでもないと思うんだけど、歌詞に関しては確かにダークだし、逆にそういう歌詞を書くことで自分の中にあるドロドロを吐き出せてるんだろうな。おかげで他の場面ではすごくハッピーな人間だよ(笑)。歌詞作りがいい薬になってるんだ」
--ちなみにアルバムのジャケットはアレックスのお父さんが撮影されたんだそうですね。あなたはこの写真について、孤独や絶望や自暴自棄といった言葉で説明していますが。
アレックス「うん、若者の孤独感というか、身動きの取れない絶望的な状態を象徴してるっていうのかな。僕の解釈としては、『II』のジャケットの2人は、対岸に行こうとしてるけど絶対に無理だとわかってる人たちで、つまり自分の望みがわかってるのに実現不可能に思える状況、っていうのを象徴してる写真だと思う」
--お父さんの写真はどれもこんなトーンなんですか?
アレックス「いいや(笑)。父が10~20代の頃、つまり60年代に撮った写真に特に惹かれるんだ。モノクロの写真をたくさん撮ってて、僕も小さい頃から親父のフォトアルバムを探し出しては眺めてたんだけど、あの時代に撮られた写真がいつもお気に入りだった。最近は花やなんかを撮るのが好きみたいで、今も写真に夢中で毎日何かしら撮影してるよ。でも今回のジャケ写に関しては本当に偶然の流れで、音楽にぴったりマッチしていて気に入った写真がたまたま父親が撮ったものだったという感じなんだ」
--次のアルバムでは、被写体の人数を増やして、3人でガックリきている写真を使ったりするんでしょうかね。
アレックス「アハハハハ! いやあ、それはまだ何とも言えないね」
--次作についてですが、先日いきなりニュー・シングル"Eraser"が出ましたけど、なぜこの時期に発売したのでしょう?
アレックス「今回セカンド・アルバムを作るのにたっぷり6ヶ月かかり、しかもプレスするまでさらに長い時間を待たされたわけだけど、一方で自分たちはミキシングが終わるや否やすっかり生き返った気分になって、新しいものが作りたくてうずうずしてたんだ。今のモードも《待つのはもう懲り懲り。何か作ったらすぐリリースできるようにしたい》って感じでね。ファーストの時もまさにそうで、リリースした後2年間ツアーで回ってたから、その間は曲作りができなくてずっと何かが欠けてる気がしてしょうがなかった。クリエイティヴな状況で曲を作ってレコーディングすることが、3人とも大好きだからさ。だから今はそういう時間をもっと確保するようにして、新しいマテリアルを作り続けて、どんどんシェアするようにしてる。今度のシングルもアルバムを作った直後に曲作りを再開した時に作った曲で、そのまますぐレコーディングしたんだ」
--では、次のアルバムについても何となく構想はしてるんでしょうか?
アレックス「ああ、曲作りに関してはもうかなり進んでるよ。アルバムを出す前に、“Eraser”みたいな7インチ・シングルを何枚か出すつもりでいるし、だからそう、マテリアルはじゅうぶん揃ってるけど、LPのレコーディングはまだ始めてなくて、このツアーが終わったらそっちに集中したいと思ってる」
他では読めないような、音楽の記事を目指します。