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パズ・レンチャンティン(ピクシーズ)インタビュー

数多くいる魅力的な女性ベーシストの中でも、とりわけ個人的に大好きなパズ・レンチャンティン。ア・パーフェクト・サークルやズワンへの参加で知られ、現在はピクシーズでキム・ディールに代わるベーシストの役目を見事に果たしている。このインタビューは、2017年2月にピクシーズが来日した際に行なわれたもの。Mario Merdirossianというアルゼンチン人のピアニストを父に持つパズは、当然のように幼少の頃からピアノやヴァイオリンを習い、クラシックの英才教育を受けて育ったという。そんな彼女が、どうしてオルタナティヴ・ロックの世界に踏み込むことになったのかも、あらためて訊いてみました。

通訳:染谷和美 翻訳:片岡さと美


これまでの活動はすべて、この時(ピクシーズ加入)のためにあったんだ、と思う

--前回サマーソニック2014で来日してから、この3年間でピクシーズというバンドにおける自分の立場にどんな変化があったと思いますか?
「ライヴで演奏する日々が続いた後、ようやくレコードを作る時がきて、準備と曲作りを経てから橋の向こう側にたどり着いたっていう感じ。レコードという橋を渡って対岸に着いたことによって、これまで以上にパーマネントで、もっと重要な立場に置かれるようになったと思う」

--今回のライヴで、昔のナンバーと新曲を並べて聴いても特に違和感なかったのですが、たとえば現在のショウでは特に演奏しがいのある曲と言ったら何でしょう?
「たとえば昨日もそうだけど、ツアー初日はどの曲もけっこう大変。昨夜は2か月半ぶりのショウでみんな緊張してた。あと、やっぱり新しい曲は、他のナンバーほどやり慣れてない分ちょっとハードではあるかも。個人的には、こないだの別のツアーで自分のソロ曲を演った時は大きなチャレンジだった。普段はバック・ヴォーカルやハーモニーをやるだけでメイン・ヴォーカリストじゃないし、それがリード・ヴォーカルっていう部分でちょっとナーヴァスになってたの。今はすごく楽しんでるけどね(笑)」

--自分がレコーディングに参加していない昔の曲より、新曲のほうがチャレンジングですか?
「ええ、単純にまだ十分な回数をこなせてないから。それに今じゃすっかりバンドにもとけ込んで居心地いいし、古い曲もピクシーズの作品として同等に自分も関わってると感じてる」

--では、昔の曲で演奏して楽しい曲は?
「“ヘイ”はいつ演奏しても楽しいな。歌詞がジーンとくる。あとはそう、クラシック・ナンバーだと“ディベイサー”もプレイするのがすごく好きだし、“カリブー”も好き」

--今では、ア・パーフェクト・サークルやズワンに参加した時以上に、すでに伝説的な存在となっていたピクシーズで、いちばん「バンドの一員になれた」と感じているのではないですか?
「確かに他のバンドでは、私自身もビッグになる手助けをしたというか、ア・パーフェクト・サークルも当初からのメンバーだったし、ズワンも本当に短命だったけどオリジナル・メンバーだった。でも今は、バンドの遺産を守る手助けをする立場に初めて置かれてる感じね。彼らは……というか《私たち》は、今もたくさんの魅力を持ってるし、私自身このバンドを続けることができてハッピーよ。それに、あなたの言う通り、自分の居場所はここだと今いちばん強く感じてる。すべてが完結したというか、『なるほどそういうことだったのか』——これまでの活動はすべてこの時のためにあったんだ、と思う。これこそが《目的》で、この目的のために今までやってきたんだって。私に言わせれば、バンドは恋愛と同じなの。特にこの年齢にもなると、色んな人と付き合ってから本命に出会うものだってこともわかってるし(笑)。普通は何度か恋を経験した後、ふさわしい相手に出会うわけで、バンドも同じね」

--あっけなくズワンが終わってしまった時は、悲しかったですか?
「すごく不思議だった。あの頃は本当に異様な時期で、弟が亡くなったその1週間後に新聞でズワンの解散を知ったの。とにかく不思議な感覚というか、正直、弟の死を悼んでる最中だったから、そこまで重要なことにすら思えなかった。もちろんバンドが終わったことも悲しかったけど、もっと重要な家族の問題に直面してたから……」

--なるほど。今後ピクシーズでは、もっと自分の存在を前に出していく予感を抱いたりもしていますか? たとえば、ヴァイオリンのアレンジを提案してみたりとか。
「それは実際あるんじゃないかな。メンバー全員がオープンだし、音楽が必要としているならあると思う。音楽が必要としてる限り、みんなどんなアイディアも歓迎してくれるの。実際“Classic Masher”でもピアノを弾いてるけど、あれも音楽に求められたからだし……だからそう、音楽が必要としていることは何でもやるつもり。ベースから離れたくはないし、これからもロック・ミュージックを続けたいとは思ってるけど、2~3曲そういうのがあってもいいかもね」


ビートルズが誰なのか見当もつかない自分が、すごく恥ずかしかった。

--あなたはもともとクラシックの音楽教育を受けて育ったそうですが、そこからロックのようなジャンルへと向かった経緯はどんなものだったのか、ここであらためて教えてください。
「両親はクラシック・ピアノの演奏家で、デュオで活動してたの。で、姉がチェロ、弟がヴィオラ、そして私はヴァイオリンを弾くようになって。だから小さい頃から『君は音楽家だ』と言われて育ったのよね。自分ではなりたいと思ってなくても、すでにその肩書きを与えられて、音楽家になっちゃってたわけ。でもミュージシャンって面白い仕事というか、私も音楽のすべてを愛してて、あらゆるタイプの音楽に興味がある。クラシックに囲まれて育ったけど、たとえば画家にしても、バリバリの古典畑からスタートして前衛に移行していった画家が昔からすごく好きだし。ピカソも最初は写実的な絵画を描いてたけど、古典以外の世界に興味を持ち始めてどんどん抽象的な作品を描くようになったでしょ。でも根本的には写実主義・古典主義から入っていった人だった。そういうことができるアーティストを常に尊敬してるし、自分もそうありたいと思ってる。抽象画もシュールレアリスムも、アートはどんなものでも大好きだし、それは音楽に関しても同じ」

--ベース・ギターを選んだ理由は?
「私にとって最初のベース・ギターはクラシック・ギターだった(笑)。弦を2本取り外してベース代わりに弾いてたの。でも両親には長いこと秘密にしてて、隠れベーシストだった。初めてベースを買った時もクローゼットに隠してたし。そうして、みんなが眠った後——両親はクラシック純粋主義だったから隠すしかなくて(笑)——こうやって練習してた(と言って実際にやってみせる)。こんなふうに顎でベースのボディを押さえて弾くと、アンプ代わりになるのよ。アンプにつながなくても音が増幅されて聴こえるから。そうやって真夜中に、誰にも気付かれないように毎晩、練習してたの。もちろん今じゃ父も母もすごく誇りに思ってくれているけど」

--ベースを弾き始めた頃に夢中になって聴いていた音楽はどういうものでしたか?
「9歳か10歳の頃スーパーに行った時、店で流れてた曲に心を奪われたの。いてもたってもいられなくなって、いっしょにいた友達のお父さんに『この音楽は何?』って訊いたら、怪訝な顔で『ビートルズじゃないか』って言われて(笑)。『あっ、そうそう、ビートルズよね』ってごまかしたけど、ビートルズが誰なのか見当もつかない自分が、すごく恥ずかしかった。で、車で家まで送ってもらって、家に着いた途端にキッチンに直行して、母に(小声で)『お母さん、ビートルズって何?』って訊いたの。そしたら母が笑い出して、そこにいたみんなも一斉に笑い出して……」

--(笑)。
「私、自分だけバカみたいな気がして泣き出しちゃった。『ビートルズも知らないのか?』ってみんなに笑われて、『知らないわよ~!』って(笑)。でも、それがきっかけでビートルズに取り憑かれて、ポール・マッカートニーに夢中になった。お店で流れてたのは“愛こそはすべて”だったんだけど、あの曲は8分の7拍子っていう不思議な拍子が特徴で……8分の7よね?(歌いながら確認)。つまり、変拍子を使っていながらポップ・ソングだっていうのが、すごく面白いと思ったの」

--それでクラシック・ギターを改造してベースを弾き始めた、と。
「ええ、まずビートルズにハマって、そこからどんどん広がっていったの。ボブ・ディランの『欲望』には、ヴァイオリンで影響を受けた。スカーレット(・リヴェラ)っていう、ブロンドのロングヘアのすごい美人ヴァイオリニストが参加してたから。この2つの世界が絡み合うように私に影響を与えて、それまでと全く違う道を進むきっかけを与えてくれた。その頃、母は私たちのスケジュールを表にしてたんだけど、“ピアノのレッスン/バレエのレッスン/宿題”の後に“自由時間”っていう、ちっちゃな枠があってね(笑)。45分間だけ、何をやってもいいことになってたの。だから家に帰ると、その45分を使ってベースの練習をしていた」

--じゃあ、最も尊敬しているベーシストはポール?
「ええ、最初に恋に落ちたベース・プレイヤーだし、未だに戻って学べることがたくさんある。今でも彼がベストね。メロディックな素晴らしいベースラインをたくさん生み出して、ベースの音に顔を与えた人っていうのかな。単に後ろのほうで鳴ってる音じゃなく、メロディ・ラインがあって、むしろヴァイオリンに近い。あと、そう、バッハの低音部にも似てる。バッハも常に左手のほうがよりメロディックでしょう。彼のメヌエットを聴けば、低音部にメロディがたっぷり割り振られてるのがわかる」

--なるほど。ちなみに、ロック・バンドにベースで加入することになった時のご両親の反応は?
「もちろん色々あったけど、どんな親でも我が子が10代の頃は、その子の将来の安定を望むのが当然だと思うし、私の場合は幸い20代の早い時期にア・パーフェクト・サークルでキャリアをスタートさせることができたから、それを機に『わかった。自分がすべきだと思うことをやりなさい』と言ってもらえたの」

--兄弟も祝福してくれたんですね。
「ええ、もちろん。実際、最初のバンドは弟も一緒だったしね。2人とは小さい頃からずっといっしょに音楽をやってきて、アンにはア・パーフェクト・サークルでも弦楽器で参加してもらったし、弟とも何度もコラボしてたから」

--ところで、現在はフルタイムでピクシーズをやっているわけですが、2013年にはソロとしても日本に来ていたんですよね。
「そう! そうなの! どうしてそうなったか自分でも覚えてないくらいなんだけど、ずっとソロでも活動してて、かなりユニークで抽象的で、アヴァンギャルドなプロジェクトをやってる。ピクシーズとは全然違うけど楽しいの。たとえば『The Spider Lady』っていう16分のショート・フィルムを作って、映像に合わせてライヴでサントラを演奏したりとか。ループを使ってベースとヴァイオリンの生演奏をやったり。映画はスーパー8で他にも作ってるし、ピクシーズの“Classic Masher”のヴィデオも私が監督を務めたの。ヴィデオ制作に関してはバンドのメンバーたちも奨励してくれていて、すごく感謝してる。私は映画作りが大好きだから」

--今後も、時間の許す限りソロ活動は続けたい?
「というかソロ活動は常にやってる。今までもそうだし、ソロ・プロジェクトを止めたことは一度もないわ」

--じゃあ、ここしばらくは無理かもしれませんが、今後ソロ作品を発表する予定もありますか?
「『The Spider Lady』というプロジェクトは、ライヴ・パフォーマンスでしかやってないの。個人的には映画やなんかの音楽をもっとやってみたいと思ってる。家にいる時も常に何かしら作曲していて、でもピクシーズ以外でももっとツアーをやりたいなんていう野心は持ってない。ピクシーズのツアーだけで十分に充実してるから。だから家にいる時はスタジオにこもって何か作るか、あるいは特別なイヴェントを企画したりしてる——テキサスのドライブイン・シアターでソロ・ライヴをやったりとかね。自分が面白いと思うことをやってるだけで、そのためにピクシーズ外でもツアーをやりたいとは思ってないの。ソロではツアーよりレコーディングのほうがもっとやってみたいって感じで。だからリリースは未定だけど、10年くらい前に『Songs For Luci』っていうソロ・レコードを出したし、またいつか作れたらいいな。みんなから訊かれるしね(笑)」

--最後に、バカみたいな質問なんですが、これまで所属してきたバンドのメンバーについて「髪の毛の無い人が多いなあ」と思ったりしたことはないですか?
「あはは(笑)。でもピクシーズの前に10年参加してたThe Entrance Bandには、そういうメンバーはいなかったし(笑)」


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