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タイでの出会い

#わたしの旅行記

私は1980年代の前半に初めてタイに出張しました。
まだ自分たちの会社のお店も駐在員もいなかったので、取引先のメーカーさんの紹介で、タイのバンコックの工場を見せてもらう事になりました。
そこでは、スリッパを生産していました。
工場長の日本人から、タイの情勢や工場の生産状況等の説明を受けて一段落すると、彼が「原さん、タイは初めてですか?」と聞くので、「はい初めてです」と答えると、「タイの夜は楽しいですよ」と言って、案内してくれました。
彼の会社も日本からのお客さんが少ないようで、久しぶりに来た私に、喜んでいるようでした。
話を聞くと彼は単身赴任で二年目だそうです。
夕食のあと、クラブに案内されました。
その場所は私が昼間訪問したT銀行の真ん前だったのには、びっくりしました。
日本で言うなら新宿の歌舞伎町のど真ん中に銀行があるような感じです。
確か「V」とかいう名のクラブでした。
階段を上がって二階に行くと、入口に揃いのドレスを着た女性がいっぱい並んで出迎えてくれました。
彼が、「誰か気に入った女性を選んで」と、その場で言われましたが、初めてでドギマギしいてしまい、結局選ばずに席に座ってしまいました。
するとママらしい人が、女性を数人連れて、私の前に立たせ、”女性を選んでくれ”というではありませんか?
私も初めてで、まともに顔を見て選べる状況ではなかったので、ママに「選んでくれ」とお願いしました。
するとママは、”それは出来ない”と言うではありませんか?私は驚いて、「何故?」と聞くと、ママが選ぶと女性たちが、「えこひいき」したと思われるからだと説明してくれました。
私も、なるほどと納得し、一人の女性を選びました。
すると、その女性の顔が嬉しくて、一瞬輝いたような感じがしました。
丁度、ミス・ユニバースで最後の優勝者にスポットライトが当たった時の表情とでも言うのでしょうか?
そして、彼女は隣に座ると、頼みもしないのに、私の腕や足をマッサージし始めました。
私も今迄あちこちのクラブに出入りはしていましたが、座る早々マッサージとは驚きました。
しばらくして、案内してくれた彼が、ここに来ている女性たちの話をしてくれました。
彼女たちは、ほとんどが地方の貧しい農村の出身だそうです。
一家を養うために三日三晩滝に打たれて、決意してこの世界に入るそうです。
店では、固定給はほとんど出ず。
指名料とチップのみが彼女たちの収入と聞かされました。
そして指名されたら、どんな客でも拒否が出来ないそうです。
良いお客に当たればいいですが、逆の場合は悲惨です。
店にお客さんが少なく、指名から漏れれば、収入はゼロだそうです。
そんなことを聞いたら、彼女たちが可哀想というか、いじらしく感じてしまいました。
私が指名した女性が、喜んだのはそう言う事なのか、と理解しかかった時、彼女が意外な事を私に言いました。
それは、私が店に入ってきた時、「このお客さんに指名されたい」と本当に思ったそうです。
所が私は、恥ずかしくて誰も指名できず、店に入ってしまい、やっとママの説明で彼女を指名した時、「願いが叶って、思わず喜んでしまった」と説明してくれました。
日本語を少し話す彼女は、本当に良くしてくれました。
その夜は週末にも関わらず、店はそれほど混んではいませんでした。
夜の10時過ぎでしょうか、目の前の銀行のY支店長が部下を何人か連れて、その店に入ってきました。
そして、入口に並んでいた女性を皆呼んで、自分の席に座らせました。
私はその光景を見て、思わず「素晴らしいな」と思ってしまいました。
ママに「Y支店長はよく来るの?」と聞くと、「週に何度か来てくれます」と、
「いつもお茶を引いている女性を総上げしているの?」と聞くと、大体そうとの事。
私は昼間のお礼もあり、席に行ってご挨拶をさせて頂きました。
話を伺うと、自分も単身赴任なのでよく飲んでいますとの事。
私が率直に、「残った女性を総揚げすることに感動しまた」と言うと、「私にはその程度しか協力できないから」とおっしゃっていました。
銀行としても額は多くはないようですが、その店に融資もしていたようでした。
初めて訪問したタイの夜に、心温まる光景を目の当たりにして、何か私もホットな気持ちになりました。
自席に戻ると、隣の女性が「Yさんを知っているの?」と驚いていたので、「昼間仕事で会った」、と説明しましたら、彼女も「Yさん、本当に優しくて良い人」と言っていました。
次の日曜日、彼女は私に「何をするの?」と聞いてきたので、「夕方の便で日本に帰るけど、それまでどこか観光でもするつもり」と答えると、「じゃあ、私が明日、観光に案内してあげる!」と言ってきました。
ホテル名を聞いたので教えると、「では明日、10時にホテルのロビーに迎えに行きます」との事、それを聞いていた工場長は私でもいいですよ!と言ってくれましたが、せっかくの日曜日の休みを潰させては申し訳ないと思い、そちらは断りました。
初めてのバンコックの夜は、新しい体験が出来、有意義なものでした。
やはり初めての国の第一印象は大事ですね!
私も、幸運にも工場長、Y支店長、それに指名した女性と良い人に巡り会えたのでタイが好きになりました。
翌朝、朝食とチェックアウトを済ませ、九時半頃からロビーで、昨夜約束をした彼女を待っていましたが、十時になっても十時半になっても現れませんでした。フロントにメッセージでもあるかと思い、何度か確認しましたがそれもなし。今更工場長の自宅に電話するのも気が引けるので、一人でブラブラすることにしました。
ホテルのタクシー乗り場で、タクシーを乗る寸前に、彼女がタクシーからあわてて降りてきました。
タッチの差で会う事ができました。
何でも車が渋滞に巻き込まれて、身動きができなかったそうです。
携帯電話のある今なら、お互いに簡単に連絡も取れたでしょうが、当時はそんな便利なものはありませんでした。
又、バンコックの渋滞は当時から有名で二時間ほど全く動かない事もあった様で、飛行機に乗り遅れた人が続出したそうです。
(後日私も渋滞に巻き込まれてひどい目にあいました。)
彼女と会えたので、車で郊外の象の公園や名所旧跡、それに遊園地等を時間の許す限り回りましたが、彼女は本当に喜んで、楽しそうでした。
まるで恋人同士のデートの様に感じていたのでしょうか?
持っていったカメラで写真も何枚か撮りました。
彼女も、モデル並のポーズで決めていました。
食事も彼女が選んでくれましたが、ハズレがなく美味しいものばかりでした。
五、六時間は遊んだでしょうか?
周りがだんだん暗くなり、空港に行く時間が近づくと、彼女が急に押し黙り、静かになってしまいました。
別れの時間が迫っていました。
タクシーが空港に着いて、私だけ降りて、彼女をそのまま帰えそうかと思いましたが、彼女は最後まで見送ると言って、一緒にタクシーを降りました。
チェックインも済ませ、出国前に、彼女に一日お世話になったので、空港内の売店でブランドの化粧品でも買ってあげようかと思い、「好きなのを買ってあげるから選んで」と言いましたが、いらないと言って何も選びませんでした。
私も困ってしまい、ポケットにあった「タイバーツのお金」をすべて出して、彼女に渡しました。金額も結構あった為か彼女もびっくりしていましたが、お世話になったからと言って、受け取らせました。彼女は「コップンカー」と言って手を合わせ、そのお金を受け取ってくれました。
そして、私に「名刺を下さい」と言ってきたので一枚渡すと、手紙を書くと言いました。
私が、「タイ語はわからないので、誰かに頼んで、日本語か英語で書いて」と頼むと、わかったと言いました。
そして、心優しいタイの女性に見送られてバンコックを後にしました。
日本に帰り、一週間ほどたったある日、彼女から手紙が届きました。
封を開けると、タイ語の文字がびっしり書かれていました。
私が思わず「タイ語かよう?」と言って二枚目を見ると、箇条書きで日本語の訳が書かれていました。
そこには、お店で会った印象や、翌日の観光旅行での楽しかった事、そして空港でお金をたくさん貰った事への感謝の言葉が書かれていましたが、最後にこう書かれていました。
「あの日が私のお店での最後の日でした。その日に原さんの様な良い人に指名され本当に嬉しかったです。
お店では嫌な事もたくさんありましたが、最後の一日で全て良い思い出に変わりました。田舎に帰って親孝行をします。
原さんもお元気で、コップンカー 」。

私はこれを読んで泣けてきました。
彼女のそれまでの行動がやっとわかったような気がしました。
なぜ私が指名した時あのような嬉しそうな顔をしたのか?
観光に出かけた時も、本当に楽しそうに振舞っていたのも、すべて最後だと思っていたのでしょうね!
でも彼女は、「店を辞める」とか、「最後の日」だとか、を一言も言いませんでした。
私への気使いの為でしょうか?
私も、早速日本語で返事を書きました。
「バンコックでは大変お世話になりました。
貴女のおかげで楽しい思い出がたくさん出来ました。
お店を辞めるとは知りませんでした。
差し支えなければ田舎の住所を教えてください。
お元気で。」

でも彼女からの返事はありませんでした。
理由は分かりません。 過去と完全に一線を画す為なのか、あるいは近くに日本語を解する人が居ないのかもしれません。
今でも時々彼女のことを思い出しますが、心の綺麗な人だけに是非、幸せな人生を歩んで欲しいと思っています。
 
 
 


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