ゆくかわ

雨を、いつかやむものと自明にしたのはいつだったか。しずまりかえった低体温を夜のつめたさととりちがえていた。記憶のなかで色とりどりにくすんだ傘がふれあったとしても。ひみつめかして告げられるおきまりの無関心ありきたりの殺意。まちがい電話の奥で人類が脅えている。こーげきがさいだいのぼーぎょならばわたくしたちはつねにまもっているだろう。ふくらむばかりで希薄化した生殖は論理的ではない時間からも見放されている。鋳型から鋳型をつくる、その鋳型で鋳型を。ハロー、ネオテニー。耳ばかり老いて。おまえはよそごとの生存戦略をピンハネしつつ、幾度もちいさく絶頂する。獣じみた機械音が滞留する襖のかげで、せいじゅくという語彙が腐乱している。表皮は液化してあわだち、待てど暮らせど致死量未満のアルコールを生産する。しにいたらないやまい。「なにもない」もないところからリアライジングされた、分断線の、所有の、フレンチ・ドロップの、神話の……、
「ごらん、あれがぼくたちのフネだ」
「麦わら帽の少女に、操縦桿をにぎらせる夢をみたよ」
そして立て板に水の。三毛猫にあてがわれた小判にひよわなサメがはりついている。地平と地平の仲介業が過去形の破産を先送りする。さいていのせいかつをほしょうされた彼女は黙るときに口があいていて。本質って単語をつかわないんなら、まだなにか信じてんじゃん?そーゆーんじゃないのうちの感覚は、なんかもー言葉も選べない気がするの。喋りつつ食べることを厭わない舌に残滓。不可欠の甘さの。コーヒー三百円の文字が裏返っているうちがわにいて、窓を滑落する雨つぶに託せる思いの在庫はない。鳴っているだけのラグタイムがタイムラグを強調する。存在証明ではなく、どこにもいないためのアリバイとして繰り返しきみと落ちあう。
――猿の鳴き声に世界が、世界に猿の鳴き声が……、
――呼吸の一種よ、こんなの。
目覚める。繰り返しぼくと落ちあう。「こんな朝には」をパスワードにして「ゆくかわ」にログインする。人体がゆっくりとわたしを漕いで軋んだ音が響く。だいじょうぶ。動詞の骸は名のモザイクでひかっているから。形容すればあらゆる暮らしがうつくしいから。「かもしれない」の末尾を振って「そうではない」の余白に媚びているから。人間性のケーススタディ。売春。黙秘は袖の下の不在を証立てない。欲の透明性においてエゴとおまえが合一する。リスクを負わないリスクが扁桃にのぼり詰めて。コミュニケーションが嘘の可能性それ自体なら、もうなにひとつききわけないできいていたい。「ゆくかわ」のへりに一枚の鼓膜が漂着するとき、暗号は表象ぬきに伝達する。「これはハムエッグ、これはミルク」。おまえは頷くなり鏡を壊す。「幽霊はジャンクションにいるよ」。眼が乱暴に見開かれる。エラーが完全な動作を出力する。
――きみがいま、見ている夢に気づいてください。
――わたしたちを終わろうとするの?
生は全体性だ。これは概念の運動じゃない。生きることなどできない。死なないと口にして死ぬためにではない現在を象る。正しい生活の断片を欠けてはならなかった不正として掘りおこす瓦礫の手にもヒルが。ヒルにさらに純粋なヒルが。肯定しろというのか。腐っていく情調の澱みの暗渠に走らせた路を走って。それでもおまえらは狂ってると叫ぶしかないのか。標識の乱反射に委ねる。身を。辿るだけでなく、巡るだけでなく、デッドエンドに手触りたい。物を乞う。赦しを。禁止そのものになって。飲みくだした沈黙が逆流するとき、嗚咽こそ虚偽となるならば。声は歌うな。声帯は歌になるな。語るほかない。語るほかないのだが、
「…もしもし、わたしはいません」
「今夜、もういちどほとりで待ってる」
東京都渋谷区初台。非物ではないジャンクションを見上げる。口のないものが聳えている。世界のぶんまで息づこうとしたおまえの肺が裂けてゆく。弔花に。雨が落ちる。花もゴミになる。雨を、いつかやむものと自明にしたのはいつだったか。すべての信号が青のまま停止する。青が点々と揺らぎながら水流に反映する。
――ねえ、帰ってきてよ。
ドブがわたしの名を呼んだ。幽霊が崩れた。






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