新宿中央公園にて、ひかりを

新宿中央公園にて、ひかりを
むやみやたらと拡散させてみたい
わたし。水滴なので
たいよーこーすぺくとるとか
わからなくて、柊のさきの露ほどにも水滴なので
日差しのきびしー晴れの日です、とつぶやく
天気予報みたく
きらきらとして東京都庁はこんなにも
ありえず、くちにふくんだ明治ブルガリアヨーグルトが
ほんとうにどこか一地方の雌牛のたゆたう乳房のなかで
ぬくもっていたことがあるだとか
きっと知らなくてもいい日々の
きっとなくてもいい日です
ぐびり
   (嚥下された女性的なぬるいものがわたしに沈んでゆく。あま、あまくて。空のような胃壁、胃壁のような空に、モノクロームはだらしない幕としておりて、おりかさなって、なかを、なかのなかとへだててゆく。わたしらしきものがいつからかまんなかにいて。そのゆるく乾いたミルフィーユの層を切開してかんかくのたしかな記憶、たとえば予報では100パーセント雨の、きみらしきだれかといた1日を探すのだけれど、耳の奥を滴の、遠い音だけが叩いて。わたしは濡れない。いつまでも濡れないままで。そしてまた目の前に新しいスクリーンとしての新宿中央公園がおりてくる

すべて比喩よりもつよく
しろい飛行船が副都心上空をのろのろつーかする
視線を落とせば
つくられた泉にミドリガメたちがいて
甲羅をとりあえず乾かしている
かれら、ほんとうはミシシッピアカミミガメって
呼ぶのだと知ってる
名前の真ん中でひかるぴあか、が
その知ってるのあるあたりから
じんじんとしびれてきて
           (今だって、新宿中央公園は曇天なのかもしれなかった。からだは、視界のすみにおびただしい段ボールのように、きみの指につままれたならぼろぼろと零れてしまうほどにも、濡れているのかもしれなかった。ぴあか、ぴあか、ぴあかってつぶやくのは書きとめるのは書きとめたぴあかに溺れまた吐きもどすようにつぶやきはじめるのはわたしかんけーないわたし、かんけーないかんけーにある、わたしはわたしに

壊れたテレビにむけて連打する
あるはずだったリモコン
あるはずだった美しいチャンネル
そんなかっかそーよーのかっこーで
きみはわたしは青空を指差しつづける
記憶
きわめつけの室内かもしれなくて

「いっぱいに、なればなるほど
 きえるよ
 すてれば、すてるだけ
 みえるよ
 ほら、ちゃんとあった
 うまれないままきえていってた
 わたしのわたしのわたしのわたしの

ばたばたとひのまるだとかがはためいて
きゅーそくに寒い
気づいたらいつからか晴れの日ばかり
それでもいつも
夢の雨のち
     (あ、ふ/ふ/たり、や、わた/わたした/た/ち、で、こ/こ/こ、に来たこと、あ/ああああ/った、あっ/たはず、だ、さまざまのアングルで、東京都庁は、見えたはず、だ、ジャグリングの、お兄さんは、リングをあの日も、同じ動きで投げてたはず、だ、100パーセントの、同じ寒さに、ふるえたはず、だ、が、わたしもわたしにかんけーない/し、ひとりさえもきえてる/し、そーしつはとーに、そーしつしてる/し、なにがあったか、しらない/し、なにがないのか、しらない/し、しらないことも、わすれてゆく/し、なにもなくても/しゃべれる/し、なにがあっても、しゃべれない/し/し/しずけさのなかで、ただ、し、を、書いて、い/ます、ました

わたしが雨になって降るならば
誰か予報してくれますか
ありきたりのくもりときどきあめ
やまぞいできみらはゆきになり
あらゆるこころらしきものが
天気図になって、酒鬼薔薇聖斗や
東証五百四十一円安ではないけれど
わたしは
えねーちけーとかで
発表されますか
       (雨のち、雨のち、雨のちの幕たち。おりかさなり、かさかさとそのつど、つとに乾き。書いているいま新宿中央公園にいるとして、書いているいま新宿中央公園にいないとして、どちらにせよ雨を知らないまま雨のちにいて。いちいち傘はもっていたとして、ひらいたりとじたりひらいたりするとして、雨のちがおりるとして、さらに雨のちがおりかさなるとして、とじてとじてとざされるとして、なにもかもを思いださないとして

だめだめです
水滴にすらなれないんです
むろん
鳥ですら
ぴあかですら
あ、だけど虹がでちゃってる
予報もなくこんなにも
拡散しちゃってる
新宿中央公園にて、ひかりを
慄然と
崩壊するジャグリング
リングを拾う無表情のお兄さんが西向きにぎらっとして
なぜだか歩きだした、きっと、正午過ぎ





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