昨日起きたこと

昨日の朝長男が小学校に登校して少し経ったころ、感じたことないレベルの地震が起きた。阪神大震災の時私は徳島に住んでいて、あの時も揺れたけどここまでじゃなかった。

夫は次男を抱きしめ、私はテーブルの下に避難。母が唖然としていたので「テーブルの下に潜って!」と叫ぶ。揺れが去った後、部屋の物は散乱していたけれど大きく何かが破損したりはしていない。これくらいなら大丈夫、家があって家族が無事なら大丈夫。よかった。


その後気になったのはすでに登校した長男のこと。夫が通学路を追いかけたが長男には会えなかったとらしい。「もう学校に着いているはず。学校の方が安全だから連絡があるまで待とう。」と言われ、その通りなんだけど心配になる。

次男の幼稚園は自宅待機からの休園、少し時間が経った後、長男の小学校からも休校にするので学校まで迎えに来てとメールが来る。私は慎重なので、迎え途中で余震があったら困ると思い歩いて学校まで向かうが、すれ違うママ友の多くは自転車だったので「私は心配しすぎなのかな。」と感じた。学校に着き長男に会えてほっとする。「大きな揺れがあったときどこにいたの?」と聞いたら、「フレンドマート(スーパー)の近く。ガラスが割れたからびっくりして見ていた。」とのこと。危ないからそういう場面に遭遇したらとにかく逃げるんだよと話をする。

大阪市内の百貨店に勤める母は、電車が止まっているので自宅待機。夫は自営業で訪問の鍼灸をやっていて、患者さんへの連絡に追われていた。子どもたちは家でゲーム。私は自宅でできる仕事だから努めていつも通りにと思っていたしなるべくそうしたけれど、やっぱり落ち着かなかった。



私が住んでいる高槻市は震度6の揺れだったらしい。ニュースでの報道を受けたくさんの友人が心配して連絡をくれる。私は同じ高槻市でも山の方。確かに古い家の瓦屋根は飛んでいたし、ガラスやレンガ割れも近所ではあった。だけど同じ市内では水害、火災等の被害が出ており、それに比べれば穏やかな方。息子と同じ年の頃の子どもが通学途中に壁に挟まれて亡くなったニュースを聞きやりきれなくなる。

市内のスーパーでは物が次々となくなっていることを、ママ友のLINEグループで知る。今行っても混乱するだけだし自宅待機すると決めるも、数時間後限界が来る。子どもたちが退屈すぎて兄弟喧嘩が絶えないので気分転換に家族で車で買い出しに行く。亀岡のスーパーまで行ったら普通に物はあって水や食べ物をたくさん買う。もちろんこの先なにもないに越したのが一番。だけど熊本の地震では余震の方がひどかったというし、何があっても不思議ではない。買い物して、お風呂に水を貼り、ご飯もマックス炊いて、充電機器など全てフル充電。非常用グッズも置いておく。やれることは全部やった。あとはなるべく努めていつも通りに。そういえば報道のヘリがずーっと飛んでいるので次男は「どうしてヘリコプターばっかりとんでるの?」と不思議がっていた。


夕方になり市内の南部ではすでに始まっている断水が北部にも広がるとの噂を聞く。これらはママ友のLINEやご近所さん情報。本当だろうけど正確な情報が知りたくて高槻市のHPを見に行くが、サーバーがダウンしている。よくわからないので、とにかく先にシャワーを浴びてご飯を食べて食器を洗い、明日の洗濯もさきにする。結局うちの家において水が出にくくなったのは21時すぎごろから。でも朝になったら水圧弱めなものの水は少しは出るようになったので、完全な断水ではなかった模様。

夜仕事をしていて、少し大きめの余震が来る。いつも1階のリビングで仕事をするのだけれど、心細いので2階の家族が寝ている横で最低限のことだけする。最初の地震より規模は小さくてもいつ来るかわからないってこんなにそわそわするんだなぁと実感する。結局余震はその後もあって数回目がさめる。でも大丈夫、家族も家も大丈夫。

今日も余震は続いているけれど、近所のスーパーでは買い物もできている。うちの家もブロック塀が少し破損していたけれど大丈夫。

いつも通りでいれることってなんてありがたいのだろう。ほんの些細なことでいろんな感情にかられやすい私だけれど、それはいつも通りがあるからこそ感じられること。今日もいつも通りの1日でありますように。


自分のメモとして毎日簡単な日記を書いているのだけど、昨日の日記は書いていて長くなったし、書くことで気持ちを吐き出しているのだなと感じたのでnoteにしてみました。

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