砂漠の果てに恋をした 第1話
第1話 砂漠の星
「……………」
大地は、じっと黙ったまま、宇宙船の窓の外にある地球を眺めていた。真っ暗な宇宙にぽつんと浮かぶ青い星。地球生まれ地球育ちの彼は、故郷の星を離れることに対して、いささかホームシックになっていた。
「どうしたの?大地」
隣に座る母が、彼にそう尋ねる。大地は地球から視線を外すことなく、母に背を向けた状態で答えた。
「ちょっと……なんか、寂しいね」
「地球が恋しい?」
「恋しいってわけじゃないけどさ……。でも、なんだかんだ、俺って地球人なんだなって思ったよ」
「ふふ、そうね」
そんなやり取りをしている間に、だんだんと窓の景色が変わり始めた。宇宙の黒さから、次第に赤茶く変貌していった。
「さ、そろそろ着くから、準備して」
母にそう言われ、大地は小さく「うん」と返した。新しい住み家……火星での生活に、大地の胸は期待と不安が延々と交錯していた。
……着陸した宇宙船から降りて、宇宙ステーションの中を歩く二人。見た目は単なる大きな空港なのに、地球人と火星人がたくさん入り交じったその光景に、大地はある種のカルチャーショックを受けていた。通りすぎていく火星人の姿を、ついじろじろと眼で追ってしまう大地に向かって、母が「こら」と叱った。
「失礼でしょ、そんなに見たら」
「うん、ごめん。でも……凄いね、本当に尻尾があるんだ」
「だからほら、止めなさい」
大地は母にそう言われながらも、火星人のことを興味深く見てしまうのだった。甲殻類のような、硬い鋼色の身体。地球人にとって黒目である場所は赤く染まり、鋭く長い尾がスマートに垂れている。そして、頭部は髪の毛の変わりに、蛇ほどの太さである触覚が、まるでメデューサのようにまとめられている。
「gn djgq tgaoffxxvhih?(切符を拝見してもよろしいですか?)」
火星人のキャビンアテンダントに火星語で尋ねられた二人は、各々切符を取り出し、彼女へと渡した。切符の内容を確認すると、彼女はにこりと優しく笑い、出口の方に手を向けて言った。
「jangehq jdmbbc(ようこそ、火星へ)」
荒涼とした砂漠を、一台のジープが走ってた。運転手は火星人の男で、助手席には地球人の男がいる。
地球人の方が、火星の赤い空を見上げて、ふうと息を吐いた。砂が目と口に入らぬよう、ガスマスクを被っている。
「悪いな、ニーベル。車の運転を頼んじまって」
地球人の男が、火星人のニーベルへそう告げると、ニーベルは火星語で「とんでもない」と一言おいてから、こう返した。
「ツヨシは、俺の友だち。これくらい平気」
「ははは、なんか照れくさいな、その返し」
「今日は、ツヨシの奥さんと息子さん、何時に着く?」
「もう着いてるはずだ。まあでも、俺たちが向こうに着くのはゆっくりでいい。あいつらは初めての火星だ、しばらく眺める時間も必要さ」
「なら、帰り際には街を案内しよう。奥さんにオススメの八百屋と、息子さんの通う学校を教える」
「そりゃ助かる。ありがとよ」
二人は穏やかに会話をしながら、車を走らせていた。彼らが大地たちのいる宇宙ステーションについたのは、それから30分後のことだった。
大地が宇宙ステーションを粗方見て回り終わった頃、父から駐車場に着いた旨の連絡が入った。母と共に駐車場へ行くと、父と火星人のニーベルが出迎えた。
「マスク、忘れないように」
ニーベルは三人をジープに乗せて、一言それだけ言うと、また砂漠を走り出した。ジープ自体は時速80kmで走っているのに、あまりにも砂漠が広いためか、大地には車がひどくゆったりとしているように感じた。
どんなに走っても景色が変わらない。その非現実的な状況に、大地は不思議なワクワクさを胸に宿していた。
「父さん。あの、遠くに見える山。あれおっきいね。もしかして、オリンポス山?」
「おー、そうだな。あの山がそうだ」
「確か、太陽系最大なんだよね?標高21230m、地球で一番高いエベレストの約2倍以上」
「よく知ってるな。さすがだ」
「いや、火星に来るからにはさ、それなりには勉強したよ。火星語だってちゃんとマスターしたんだから」
そこに、ニーベルがこう付け加えた。
「我々は、あの山を『ドドーラム』、神の座る椅子という意味の名をつけている」
「へえ〜!神の座る椅子って面白い表現ですね!地球人がつけたオリンポス山っていう名前も、元はギリシャ神話の神様、ゼウスたちが住まうオリンポス山から由来しているし、やっぱり大きな山には、神様……つまり、信仰心と結び付く何かしらのイマジネーションが生まれやすいのかも知れませんね」
「そうだな。偉大なる自然に、神の姿を見いだす。その感覚は、我々も地球人も変わらないな」
ニーベルは隣に座る大地の父、剛に目を配り、ニッと笑って彼に囁いた。
「良い息子さんだ。知識もあるし、異なる物事の関連性を見いだす目もある。何より、この星に来る者としての誠意がある。今、彼はいくつなんだ?」
「今年で14だ」
「それは素晴らしい。彼からは才能を感じる。きっと、善き政治家となって、地球と火星を結ぶ架け橋となってくれるだろう」
「ははは、そうだな……。親バカってわけじゃないが、俺もあいつには才能を感じてる。ま、それは地球では中々評価されなかったみたいだがな……」
「なに?」
ニーベルが剛に視線を送るが、剛は果てしない砂漠を遠くに見つめ、口に苦笑を称えるだけで何も語らなかった。
……火星の中心街についたのは、宇宙ステーションから約1時間走ったところだった。砂漠の上に、粘土を固めたような質感の家々が並び、子どもたちが道端に出て遊んでいる。
そこから少し外れにいくと、市場がたくさんの出店を並べて賑わっている。だが、その賑わいは決して耳をつくような嫌な騒がしさはない。穏やかな談笑がたくさん重なっているような、どこか安らぐ賑わいだった。
「ああ、これが火星の夕焼けなんだね」
大地が、沈みゆく太陽を見ながら呟く。火星は、日中は赤い空であるのに対して、夕焼けは青くなる。太陽からの距離に伴う、可視光線の領域の違いなどによってそうなると、大地は知識としては知っていたが、実際に目にすると、やはりその光景は異質だった。
周りの家々も、市場も、その先に広がる果てしない砂漠も、すべてが青く染まっていく。それは、子どもが青い絵の具で景色を塗っていくかのように単調だった。
「でも、俺はなんだか、こっちの方がしっくりくるなあ」
「ほう?なぜだ?」
隣にいたニーベルが大地に尋ねる。大地はしばらく口を尖らせて考え込んでいたが、ふいに「だってですよ?」と言って話し始めた。
「こっちの方が、宇宙を感じられる」
「宇宙を?」
大地が頷く。
「赤から青に、青から黒に。色彩の段階として自然な気がします。青の夕焼けは、これから来る宇宙の景色を思わせてくれるから、宇宙を感じられる……そう思いました」
「なるほど」
「もちろん、地球の夕焼けも好きです。あれはあれで……俺の故郷の風景なんだと思います」
「故郷の風景を胸にとめることは良いことだ。何があろうとも、その景色が君を支えてくれるだろう」
「支えに?」
「ああ」
大地には、ニーベルの言葉の意図がイマイチ掴めずにいた。その意味が分かるのは、その日から数えてちょうど10万年後のことだった。