【ファンタジー】生真面目天使


一人の天使が、空の上から人間の世界を見つめている。

彼の名は、オラシオ。
生まれて間もない若い天使だ。

「人間はなんて不器用なんだ!」

これが、オラシオの口癖だった。

「どうしてみな争うのか!?なぜ愛し合えないのか!?人間はバカしかいないのか!?」

彼はいつも、他者を愛することができない、不器用で愚かな人間たちに怒っていた。

しかし、彼は仲間である天使たちにも怒っていた。

オラシオ以外の天使は、人間がそういう状況であるにも関わらず、目をつぶり、手を合わせて、微笑を浮かべて祈ることしかしない。

人間界へ降りて、彼らを導き救おうとする者は一人もいない。

「なぜ先輩方は、何もしないのですか?人の世界へ降りて、愛を説こうとしないのですか?」

しかし、そう尋ねても、だいたいの者はオラシオに対してこう答えた。

「これでいいんだ」

無論、オラシオには全くピンとこない。やきもきした彼は、一番先輩のザドキエルにこんなお願いをした。

「人間の世界へ行く許可を下さい!私はそこで愛を説き、人々を成長させたい!」

それを聞いたザドキエルは、特に何も言うことなく、ただ黙って微笑み、うなずいた。

オラシオは早速、人間の世界へ降り立ち、人間の街へと向かっていった。

たくさんの人で溢れかえる都会。

そんな中で、オラシオは選挙人のように大声で叫び始めた。

「聴け!人間たちよ!お前たちは愛し合わなければならない!」

彼は、愛について熱弁した。争いを真に無くしたいのなら愛し合うべきであること。孤独を感じるのなら自ら他者を愛するべきであること。

そういったことをたくさん説くのだが、誰一人としてオラシオの言葉に耳を傾ける者はいなかった。

無論、それはオラシオもある程度は予想していた。

「無視されるのも仕方がない。彼らにとって、愛がどれだけ大事か理解していないのだから」

そうしてオラシオは、道行く人の中から一人選んだ。

それは、携帯を片手に持ち、機嫌が悪そうに叫ぶ若い女だった。

「だからさー、早く仕送り送ってよね!金欠なんだからさ!大学生は金がいんの!え?バイト?やだよめんどくさい」

携帯をブチリと切って、「バイトとか絶対いや。親から金もらえんのにやるわけないじゃん」などと、ぶつぶつ文句を垂れている。

(酷い女だ!金を工面してらっているのに、あの横柄な態度!彼女みたいな人にこそ、真っ先に愛を教えなければならない!)

そう考えたオラシオは、女の前に立ち、彼女へ声をかけた。

「女よ、聴きなさい。お前には愛が何かを教えなければならない」

しかし、それはものの見事にスルーされた。

「なに?」

何度も女へ声をかけるが、振り向くどころか声に反応すらしていない。

「聴こえていないフリ?それにしては、様子が変だ」

オラシオはその女以外の者にも声をかけてみた。
やはり、誰も反応しない。

それどころか、オラシオは人間世界の誰にも姿を確認してもらえず、オラシオ自身も何も手に触れることができなかった。

そのことに気がついた彼は、がっくりと肩を落として嘆いた。

「困った……人間には天使が見えないのか。ザドキエル様もなぜ、そこを教えてくださらなかったのだ……」

「……ええい、腐っていても仕方あるまい。何かしら人間に干渉する方法があるはずだ」

気を取り直したオラシオは、先ほどの女の子の後についていきながら、作戦を練ることにした。


……彼女の名は、リサと言った。

友人や恋人とよく遊ぶ、賑やかな、そして非常に横柄な女だった。

友人のファッションをダサいと言って笑い、人にご飯を奢らせ、電車や店の中でも平気で大声で話す。

その度に、彼氏や友人は注意をしてくれるのだが、リサは全く話をきかなかった。

(この女め……愛を教える以前の問題だ!最低限の礼儀すら守れていない!この女を成長させねば!なにがなんでも、この女に接触しなければ……!)

だが、やはりオラシオの姿はリサには見えず、声も届かない。

様々な方法をオラシオは試してみた。

テレパシーを使ったり、寝ている夢の中に入り込んだり、天使が見える者を探したり、幽霊にポルターガイストを頼んでみたり……

だが、テレパシーはもちろん通じることなく、夢の中に入り込んでも姿は見えない。

天使が見えるのは赤ん坊だけだったし、幽霊に至ってはオラシオが近寄った瞬間に、天使の浄化パワーであっさり天に召された。

(天使は……どう足掻いても人間に干渉できないのか……)

オラシオがひどく落胆している中、事件は起きた。

「お前マジでいい加減にしろ!!なんでもかんでも自分の思い通りにいくと思うなよ!!」

声を荒げたのは、リサの彼氏だった。

その時は、リサとその彼氏、そして友人たち数人で、リサの誕生日パーティーを行なっていた。

友人たちがリサへプレゼントやケーキを渡してあげるが、リサはいつも通りの横柄な態度で、「えーなにこのバッグ?形ダサくない?」だの、「モンブラン私嫌い~。駅前のチョコケーキ買ってきてよ。私チョコが好き」だの、酷い文句の連続だった。

そんな彼女に、彼氏はとうとう怒鳴ったのだ。

無論、友人たちも不機嫌そうにしている。

「もういい。お前みたいなやつを祝おうだなんてどうかしてた」

そう捨て台詞を吐いて、彼氏は出ていった。

それに続いて、友人たちもみないなくなった。

リサは呆然としていた。

今までの彼女は、そんな対応をされたことがなかったのだ。

いつも甘やかされて育ってきた。

人が自分に優しくするなんて、当たり前だと思っていた。

だが、とうとう彼女は、それが当たり前でないことを思い知らされたのだった。

「は?何それ……」

「私……ねぇ、ちょっと!!」

「帰ってきてよ!!ねえ!!」

かんしゃくを起こした子供のように、彼女は叫ぶ。

だが、返事はひとつもない。

リサはそこらじゅうに八つ当たりしまくり、皿だの茶碗だのが飛び散った。

そしてそのまま、ふてくされて布団の中に逃げ込んだ。


……一晩明け、昼を過ぎても、彼女は布団から出なかった。

彼氏や友人たちにメールしても、やはり返事はない。

彼女の精神は、思いの外落ち込んでいた。

「私はもう、愛されないんだ」

「もう誕生日を、誰にも祝ってもらえないんだ」

ぽつりと呟いた独り言を、オラシオだけが聴いていた。

(……彼女は、自滅した。自分の横柄な性格が災いして、結果、最悪な状態になった)

(私が彼女を導けることができたなら……きっとこうはならなかった)

(天使は……こうして自滅していく人間を、ただ眺めることしかできないのか?)

オラシオがそう思っていたその時、インターホンが鳴った。

リサが玄関に出てみると、それは宅配便だった。

実家からの送り物だった。

彼女は段ボールを開けて、中を覗くと、保冷剤に包まれたチョコケーキが入っていた。

そして、手紙もひとつ。

「手紙……?」

母からの仕送りだった。

書いてあるのは、たった一言。


『お誕生日おめでとう』


「…………」

リサは、泣いた。

今まで優しさを軽んじてきた彼女が、人の優しさに思わず泣いた。

それは本当の意味で、優しさが彼女の元に届いた瞬間だった。

「…………」


その様子を見つめていたオラシオは、くるりと振り返り、天使の世界へと帰っていった。

「……おや、オラシオ。お帰りなさい」

彼を出迎えたのは、ザドキエルだった。

「ただいま戻りました、ザドキエル様」

「どうだ?人間たちを成長させられたかね?」

「……いえ。私は、何もできませんでした」

そこまで言った後、オラシオは少し考えて、こう言い直した。

「何も、する必要はありませんでした」

それを聞いたザドキエルは、嬉しそうに微笑んだ。

オラシオも、どこかすっきりとした顔をしていた。

人間界で、リサが友人たちに謝ろうと決心している姿が見える。

それを見たオラシオは、ふっと優しい笑顔を見せて、他の天使と同じように、手を合わせて祈りを始めた。

「これでいいんだ」

彼は一言、そう呟いた。

終わり