【考察】DCGとRTAと完結性

貴方のゲーム遍歴はどのようなものでしょうか?


私の場合は両親の影響でドラゴンクエストを筆頭にRPGを中心にプレイしていました。それに加えて友達とマリオやスマブラいただきストリートで遊ぶということもありました。ただ、人と遊ぶゲームの中でも、競うものよりも協力するものの方がずっと好きでした。


これは、元の好みもあるのでしょうが、どうも対面の対戦ゲームに存在する盤外戦術のようなものが苦手だったからです。


スマブラのストック制の混戦なら自分だけ逃げ回って、最後にタイマンで勝つ。いたストなら他人のエリアの株を買って毎ターン10株ずつ売るといった戦法を取ることも出来ます。しかし、そのようなことをすれば仕返しを受けますし、何が何でも勝つということを楽しむゲームでもありません。またそこまで露骨でなくても、邪道的な戦い方はいくつもあり、ゲームを有利に進めれます。上手いことコミュニケーションを取りながら行えばしっぺ返しを受けずに済むかもしれません。このようなこと全てを含めてゲームのルールと思えれば良かったのかなとも思いますが、私はそうは思えず、何か戦法を思いついても、王道的なプレイに徹していました。


そんな中で出会ったのがドラゴンクエストライバルズでした。元々カードゲームは一切したことが無かったのですが、ドラクエ要素が楽しめたということと、安くてある程度強いデッキを配信で見つけたのをきっかけにのめり込みました。


最初は特に、勝ち負け関係なく、ランクマッチで戦うだけでとても楽しかったのを覚えています。単にゲームジャンルとして新鮮だったからだけでなく、ゲームの性質が心地よかったのではないかと思うのです。


DCGは書いてあることが全てです。分かりにくい裁定やバグはありますが、基本的にはみんな同じルールに一定に従います。あらかじめ確固たる枠組みがあり、それをどれだけ濃く大きく満たすことが出来るかというゲームなのです。盤外戦術のようなものも、邪道と思われることも、全て枠組みに含まれています。そして楽しむにせよ、勝とうとするにせよ、対戦ゲームでありながら本質的には他者は出てこず、自分とゲームで完結しています。


上記に起因する快適さと、実は元々あった闘争本能によって、DCGというジャンルにはまったのだと思います。


 


ここで話を「ゲームのやり込み」に移します。


ゲームのやり込みと聞くと、どのようなものを思い浮かべるでしょうか?普段しているゲームによって違ってくると思いますが、RPG好きな私としてはPTのレベルをマックスにするとか、アイテムをコンプリートするとか、そういったものが真っ先に思い浮かびます。他にもハイスコアを狙うとか、それこそDCGならランキング上位を目指すというのもあります。


その中でも、近年はRTAがゲームのやり込みとして盛り上がっているように感じます。しかし、私はRTAは「ゲームのやり込み」としては質が低いのではないかと考えています。


ゲームのやり込みとは、文字通りそのゲームをやり尽くすことがその本質だと考えます。レベルを最大にする、アイテムをコンプリートする、ゲーム上に表示されるスコアを最大化する、逆にそれらを最小にしてゲームクリアする。いずれにしても、その記録には「再現性」(共有性と言い換えてもいいです)と「極限さ」があり、そしてなによりプレイヤーとゲームで「完結」しています。


 


ドラゴンクエスト7 真・レベル1ボス撃破


http://ultimagarden.net/anthology/dq7l1index.htm


私が一番好きな、ゲームのやり込みのレポートです。この挑戦はいくつか縛りを入れていらっしゃるので、前述のような要素について完全であるとは言えませんが、カタルシスすら感じられる、抜群の出来のやり込みです。


 


一方、RTAには上記の要素全てについて純度が足りていません。


運要素のあるゲームなら、当然再現性は保証されません。運要素の少ないゲームであっても、ミスプレイを一つでもすれば、その記録が世界記録だとしても、極限の記録な訳ではありません。そしてその世界記録といったものが存在することを気にしないこと自体が、プレイヤーとゲームとの完結性を損なっています。


RTAにはレギュレーションが存在するようですが、それはRTAの競技性ではなく、「ゲームのやり込み」としての質の低さに由来すると考えます。つまり確固たる枠組みが存在しないのです。レギュレーションとしてバグありバグ無し部門を設けること、一つの記録として良い乱数でなかったことやミスがあったこと、これらを容認するのは、ゲームのやり込みとしてRTAを見るうえで、この文章で最初の方に述べたようなある種の盤外戦術感を想起させます。例えば、セーブ&ロードを繰り返してゲーム内での記録を極限化するTAに比べても、「ゲームのやり込み」としてはRTAには何も優れた部分が無いのです。


このようなRTAへの批判に対して、えも言われぬ違和感を覚えるかもしれません。もしそうであれば、それはゲームのやり込みとして、早解きをその中心だと考えているからだと思います。その延長としてRTAがあるのだと。レースゲーム等が好きであれば当然でしょう。そのような感性は否定されるべきではなく、むしろ尊重されるべきと考えます。


しかし、大多数の人が早解きこそがゲームのやり込みの王道であると、まっさらから考えるとは思えません。「ゲームのやり込み」を何だと思うかは、初めてしたゲームや、好みのゲームジャンルに左右されるからです。


つまりRTAの隆盛を引き起こしたのは、多数によるゲーム早解きへの評価ではなく、ただ単にRTAの面白さ、エンタメ性なのです。


私自身もRTAを見て楽しむことはあります。3Dマリオでの数々の技術や、ブレスオブザワイルドでの通常プレイで考えられない移動方法等には関心しましたし、もっと言うとバグや設計ミスの発見は、それ自体が「ゲームのやり込み」と言えると思います。しかし、RTAをそれら「ゲームのやり込み」の総体とは言えないと考えています。どれだけ見ていて面白くとも、一つ一つの動きが最適であったとしても、その挑戦全体には再現性、記録の極限さ、そして完結性に欠けることに変わりはありません。


RIJを筆頭にRTAはゲームのやり込みの顏になり、権威すら帯びつつあるように感じます。私はこの事態に苛立ちを覚えます、それもとんでもなくです。ゲーマーたる者、低レベルクリアやアイテムコンプやハイスコアアタックにのみ価値を置くべきなどと言うつもりはありませんが、RTAの「ゲームのやり込み」としての質の低さについてはもっと認識されるべきだと思っています。


ゲーム実況という文化が浸透し始めて10年以上経っています。ゲームというのは自分でやるだけでなく、見るものでもあるという価値観は当然存在します。そのような状況ではゲームの仕方についての要素、特に完結性について殊更に求めることに合理性を認めないという向きもあるかと思います。しかし、もしこの文章に何か賛同できる部分がありましたら、ゲームのやり込み、そしてRTAというものについて再考して頂きたいです。


 


最後に貴方への質問でこの文章を締めたいと思います。


ドラゴンクエスト8にはたたかいの記録に様々なデータが保存されます。戦闘回数や獲得ゴールドや走破距離なんかもです。その中でも1ターンでの最大ダメージという項目があり、これを最小にしてゲーム進行しようというやり込みが存在するのですが、この最大ダメージというのがやいばの鎧などの反射ダメージは反映されません。


DQ8 1ターン最大ダメージ最小クリア by KN2 (nyusuke.com)


RTAはゲーム外のタイマーを使い、ゲームスタートからクリアまでの全編を録画して初めて記録になるようですが(私はこの外部を介在させることにも違和感があります)、この最大ダメージ最小やり込みにおいての記録とは、ゲーム内のたたかいの記録上の数値か、それとも反射ダメージの最大値も加味した数値か、どちらだと考えますでしょうか?


 

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