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6/22、なぐり書き

※約1,100文字
※『ひとり日和』青山七恵、『ソラニン』浅野いにお、のネタバレがあります。


・青山七恵さんの『ひとり日和』を読む。芥川賞選考委員の評価が高かったからか、それともただ単行本の表紙が綺麗だったからか、理由はわからないが、読み始める時に「もしかしたら私の欲しい答えがこの本に書いてあるかもしれない」とふと思ったのだが、読み終わる頃にはそもそも”私の問い”がなんだったのか思い出せなくなっていた。

最後まで吟子さんが死なないのが良い。最後、主人公の新しい恋の相手が既婚者というのもなんかいい。

ほぼ全ての描写が何らかの暗喩なのではないかと思われるように書かれていて、また、ここの表現は少し前のここと繋がっているなと思われるところが何箇所かあって、技巧的な印象を受けた、でもそれが鼻についたわけでは全くない。

作者が狙ったものかはわからないが、主人公の手くせが悪い性格のせいで、完全に主人公と一体になって物語を見ることができなくて、それも面白い感覚だった。

あと「私」を「わたし」と書くと、女性とはっきり文字にしなくとも女性だとわかるのだな、という今更のような気づき。


・最近はよく逃げ場のなくなった気体について考える。完全に密閉された容器の中の気体に圧力をどんどんかけるとどうなるのか。最後は肉片が飛び散るように爆発するイメージをしていたのだが、よくよく考えるとそれは逃げ場があったということで、実際は粒子の運動がどんどん小さくなるゆえに液体になって最後は固体になるらしい。

その様子がうまく想像できないのだが、その代わりに、逃げ場のなくなった人がベッドの上で死んで、しばらくしてドロドロの液体になり、最後カピカピの固体になる様子が鮮明に浮かんでくる。


・ヨルシカの『言って』を久しぶりに聴く。今でも個人的にはヨルシカの中で1番いい曲だと思っている。地元を出て一人暮らしを始めた大学1年の夏にリピートして延々と聴いていた。だからこの曲を聴くといつも大学1年の夏の匂いがする、あと死の匂いも。

でも、特定の夏の匂いがするのはあの夏以外に存在しないので、大学1年の夏の匂いだと思っていたものは、実はただ『言って』から感じる匂いなのかもしれない。まあどっちでもいいのだけれど。


・『ソラニン』を読む(n回目)。種田が死んだちょっと後で読むのをやめて寝る。前までは、「私がバンドをやっていた世界線を見ているようだ」と思って読んでいた(ソラニンのような名曲が作れた気は全くしないが)。でも最近は、向き合ってる対象は違うにしろ、現在進行形の自分を見ている気がしている。

それにしても種田はすごい、1ヶ月間しっかり向き合って『ソラニン』を書いたのだから。私はあと1ヶ月とちょっとの期間、ちゃんと向き合えるのだろうか。

でもそのしっかり向き合った先で、種田は死んだのだけれども。

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