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『1Q84』を読んだ

『1Q84』を読んだのでその感想など。感想と言っても読み込んでるわけじゃないので、一読での感想。だから、へんてこりんなことを言ってるかもしれない。

買ったのは1年以上前。ブックオフで単行本3巻分、1冊110円、すなわち3巻330円で買った。
1Q84コーナーみたいな感じで、何冊も置いてあった記憶がある。大量に売れた分、他の本より多く売られるのであって、別に『1Q84』がつまらないわけではないと思う。

とは言ったが、1、2回途中で読むのをやめた記憶がある。要するに、3回目にしてようやく読み終えたという感じ。でも、最初の1、2回も特に読むのが辛かったわけではなく、単に時間がなかっただけ。基本的に村上春樹の本は読みやすいんじゃないかなと思う。本人も”簡単な言葉でいい物語を目指してる”みたいなことを言ってた気がする。

読み終わって、というか読んでる途中から既に感じてたのだが、かなり重層的でディテールの表現が細かい。到底1人で考えたとは思えん。私はそこまでたくさん小説を読んでるわけではないが、こんな感想を持ったのは初めてだった。

村上春樹は、『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』、『色彩を持たない〜』、しか読んでいないが『1Q84』が1番面白く感じた。個人的には、1巻の途中で青豆と天吾に繋がりがありそう!、ってところから急に面白くなり始めて、2巻の青豆がリーダーを殺すところがピークだった。3巻で牛河の章が出てきてからは少し失速したかなという感じ。でもそれは、続きが気になる!この先どうなるんだ!?という意味の面白さで、そういう意味ではないなら(じゃあどういう意味なんだ?)全編通して面白いと思う。

結末については思ったよりあっさり書いたなという印象。もっとぼかして終わるのかと思った。作中で、「空気さなぎ」に対する評論家の”ぐんぐん読めるほど面白いが、空気さなぎやリトル・ピープルについてもっとちゃんと書いて説明しないのは著者の怠慢だ”、みたいな意見に対して、天吾の”ぐんぐん先が読めるように面白く書けてるなら怠慢とは言えんだろ”と思う件が、まんまこの小説や他の村上春樹の小説への批評に対して村上春樹が感じていることの一つなのかなと思った。それを小説内で言うという構造が面白い。他にも、チェーホフの銃、”物語に出てくる銃は発砲されなければいけない”みたいな話に対して、青豆の”でもこれは物語じゃない”と言うところとかも。

Wikipediaに載っていたものをそのまま持ってくるので間違った情報かも知れないが、

執筆の背景はカオスのように混沌とした冷戦後の世界で起きた1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件、2001年の9.11事件に言及した上で、村上は語っている。



「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」
「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」


— (毎日新聞インタビュー、2008年5月12日[11]より)
「1Q84」Wikipediaより

これを読んで村上春樹がどんな小説を書きたかったかがわかった気がした。「空気さなぎ」が読んだ人々にリトル・ピープルへの抗体のようなものを与えたのと同じようなこと。

これぐらいが今思うこと。面白いと感じたポイントはもっとたくさんあるのだろうけど、今は言葉にできない、または思い出せない。
しばらく村上春樹の小説を読むのは控えようと思う。なんだか文体が似てくる、引っ張られるような気がしている。まるで天吾にふかえりの話し方が伝染していったように。

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