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岐阜の湊町から船旅で行けたところ(FB過去記事)

輪中研究の第一人者伊藤安男先生(故人)らの「古地図で楽しむ岐阜」という本に、中世から近代にかけての長良川の「川通り(舟運)」についての記載が断片的にあった。最盛期1881年(明治14年)には、岐阜市湊町から一日1便、上流の美濃の上有知(こうずち)湊まで定員20人の旅客船(舟)が出ていたそうである。

夜中の十二時に岐阜市の港町を出て、上流の美濃には午前九時着。(所要時間9時間) 帰りの便は定員40人で午後一時に出て四時には港町に戻ってくるという往復便。(3時間)
月明かりの真夜中の長良川をゆったり遡る9時間の船旅、体験してみたいものだ。どんな夢が見られるだろうか。しかし、何故夜中だったのだろう。川風が強く吹くのは季節にもよるが昼下りからで、帆を使うなら夕方が一番良さそうなものだが。

岐阜市から下流方面の旅客船(舟)は、三重の桑名、愛知の津島、祖父江に行く便があったそうだ。
桑名あたりまでいけば、さらに遠く外航船に乗り継げただろう。
貨物はもっと広い範囲に定期便があったようだが、明治20年代以降に鉄道が延伸して、旅客も貨物も「川通り」は急速に廃れていったとのこと。

しかし、別の資料で昭和30年代くらいの長良橋あたりの写真を見ると、帆掛舟も水浴客も長良川の水面にひしめいていて、旅客や貨物のみちとしての川通りは廃れても、川舟自体は沢山あったようだ。
水面から見る長良川はまた格別素晴らしいので、鵜飼やってないときでも遊覧船やったらいいのに。確かイベント的にやっていたが、もっとお手軽に楽しめるといいなぁ。

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