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The Sense of Wonder

「自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。」

レイチェルカールソンの著書「センス・オブ・ワンダー」の最後の文章。いつしか忘れてしまった自然とともに生きること、自然とともに在ること。この世に生を受け、地球で生きる我々はみな、その何事にもかえがたい喜びを思い出すきっかけをもらえる。それこそが「子育てと自分育て」なのかもしれない。

そもそも「人」って?

私たち人は、どこから生まれたのか…?それをたどれば、きっとこの地球上に生きるすべての生きとし生けるものは、同じモノにたどり着くのかもしれない。そう考えれば、人は自然の一部であることはすぐに理解ができる。

だからこそ、こどもたちの育ちも、生命そのものも自然現象。雨が降ったり、木々が成長したりするのと同じ。だから人間の思い通りにはならない。でも大人のほとんどは、「人工的な生活の場」でその環境を守ろうとしてしまっている。そして、その思い通りにならない自然現象に悩み、苦しみ、「こどものため」という名のもとに、あれやこれやとやってみては、思うような結果が出ないと、「〇〇してあげてるのに!なんで?」といった感情にさえ苛まれる。

そう、こどもたちはただ、自然のままに生きているだけなのである。だからこそ、われわれ大人(親)は、その「ありのまま」をまずは受け止める、受け入れることから始めないといけないのかもしれない。こどもはこどもの世界を生きている。そしてその心や、身体、感覚、感性は、自然とダイレクトにつながっている。
「人工的な生活の場」で生き続けてしまった大人は、子育ての機会をもらったそのときこそ、自分も自然の一部であることを思い出し、こどものまっすぐな感情と共に生きることで、「自分育ち」のきっかけをもらえるのかもしれない。

身近な自然と共に生きる

カンボジアでは、裸のままでこどもたちが道をウロウロ。家の敷居は低く(むしろなく)、気づけば、隣の家の大人がごはんを食べさせている。まさしく自然に近い姿で生きている。しかしそのカンボジアでも近代化は進み、自然だけに囲まれた生活を続けることは不可能になってきている。

日本はどうか?それは言うまでもなく、もっと「人工的な生活の場」に囲まれた生活が進んでいる。そんな中で、こどもたちはどう生きればいいのか?すべての生活を自然の中に置くことは一部の方々だけに限られてしまっている。そんな現代であれば、親や保育者によって、こどもが自然の中に身を置く時間を創ってあげなくてはいけない。それは、近くにある公園、川、海、山、畑、田んぼ、どんな自然でもよい。

大人も自然と遊ぶ

そして、もう1つ大切なことがある。それは、親や保育者がこどもと共に「自然と遊ぶこと」を楽しむことである。そのためには、こどもの「センスオブワンダー」に寄り添ってみる。こどもは、自然の中に身をおけば、その広がっていく世界の中で「不思議だね!」と思う瞬間を繰り返す。その「不思議だね!」という感情に共感し、ともに次の「たくらみ」をともに遊ぶ。その繰り返しがあってこそ、こどもは安心して自然を遊ぶことができる。

 自然体験は子どもの自己肯定感を高め、レジリエンスを育て、問題解決・課題遂行能力さえ高めると言われている。特に幼少期の自然体験は非認知能力の発達を促し、「あと伸びする力」が育まれる。近年では、自然公園やキャンプ場が整備されると共に、初心者でも登山が楽しめるアプリも開発されている。まずは親や保育者が「自然体験をさせなければ」と思わずに、「こどもと一緒に自然を楽しむ」という気持ちを入口に、こどもの「センスオブワンダー」にしっかり寄り添うことで、どんな自然でもこどもたちは遊ぶことができるのではないだろうか。

さぁ、今すぐ、こどもたちと自然の中へと・・・

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