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44才保育系短大生はいったいどんな人?

2020年11月1日、44歳になった。そんな44歳おじさん、実は現在保育系短大生だ。半年間、短大生として保育を学び、様々な気づきがあった。そんな気づきをアウトプットしよう!そんな想いから、誕生日に仲間たちに宣言。そして、このnoteをスタートさせる。

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母親の故郷である鹿児島県霧島市で生誕。茨城県つくば市(当時は桜村)で育つ。3人兄弟の末っ子。超がつくほどの甘えん坊で泣き虫、母親が大好きなこどもだった。

小4まで過ごしたつくば市から親の転勤で北九州市へ。気づけばそれから、34年北九州市にいる。こどものころのエピソードは、今後の学びのアウトプットの中で紹介することとする。

工学部⇒福祉の世界へ

大学はフワッとわいてきた推薦で工学部電気工学科へ。そのまま働くことに納得できず休学。戦争に影響を受けたこどもたちのために何かしたい!と意気込んで、NGO活動に参加。結果、何も役に立てた実感はなかった。それでも、自分自身を大きく変えるきっかけとなった。

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大学は復学して卒業。1度は一般企業への道も考えたが、最終面接で言われた「あなたはわが社のために何ができますか?」の質問が頭に残り、「だれかのために生きる自分でいたい」と決心し福祉の世界へ。その後、たまたま出逢った障害者支援施設へ入職(当時自給700円!)2年目にめでたく正規職員となり、いわゆる重度な障害のある方の日中活動支援(八幡西障害者地域活動センター)を9年担当したのち、いわゆる中軽度な障害のある方のなんでも屋(きく通勤寮)を4年担当。すさまじく学び深い日々だった。【北九州市手をつなぐ育成会:⇒https://www.kitaiku.com/

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1度外(海外)を見た自分は、福祉の仕事だけに身を置くことにもどかしさを感じ、仕事の傍ら、まちづくり系のNPOに入会(北九州青年みらい塾)その後、2007年に教育キャンプを主催するNPOを立ち上げた(Upple)。【Upple:https://upple.jimdofree.com/

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それから4年後の2011年3月11日、東日本大震災が起こった。その時、泊まり勤務だった自分は、津波で流れていく街並みをただ茫然と眺めていた…。その後、動き出すたくさんの知人・友人がいた。動けない、何もできない自分が、すさまじくもどかしかった。いったい「今」の自分はどうありたいのか?何がしたいのか?誰のために生きたいのか?いろんな問いを、知らず知らずのうちに、自分にかけていた。そこで出てきた答えは「こどもたちに寄り添うこと」だった。そして、2011年夏に仲間と共に東北を訪問(写真)。その後の2012年より福島のこどもたちを招待するキャンプ「SmilinkCamp」をスタート。そして、未来を創るこどもたちのために、自分の時間をもっと使いたい!と思い、2013年3月、障害者支援施設を退職しフリーに。

北九州まなびとESDステーション、そして・・・

しかし、フリーになったものの、自分には何もないことに気づいた。お金もなければ、これといってこどものために活かせる知識・経験・技術もない。そう思っていた。そして、偶然出会ったのが、「北九州まなびとESDステーション」という場所だった。あるイベントの会場使用のお願いに行ったのがきっかけだ。そして気づけば、そこの教員となり、福岡で「カタリ場」を立ち上げるために、2015年4月一般社団法人ピープラスを設立「カタリ場」「マイプロジェクト」に関わりだす。【(一社)ピープラス:http://fukuoka-katariba.net/】【マイプロジェクト:https://myprojects.jp/

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2019年3月に教員としての役割を終え、(一社)ピープラスとしては、これからの在り方が問われていた。そんな中、この春、新型コロナウイルス感染症が流行し、すべての事業がストップ。1人家にこもり、ピープラスのこれからと共に、自分自身の「これから」をあらためて考えた。たくさんの方々とオンライン対話を繰り返した。壁打ち相手になってもらった。対話と内省を繰り返していくうちに、でてきたキーワードは、「共生」「自然」「ちびっこ」だった。原点に戻った。

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「ちびっこ」の今を聴いて…

特に「ちびっこ」の日常が気になった。幼稚園・保育園で働くUppleのOGたちとの対話で、現場のリアルを耳にした。それはこども中心ではないと言わざるを得ない、現場の声だった。20人に1人の集団保育。こどもの成長のためにあるべき時間は、いつしか親のための時間に割くことしかできず、保育士は「決まり事をこなすこと」に追われる…。行事はこども中心なのか?親のためなのか?そういう声も聞こえる。そして、「遊び」が大切なはずが、「勉強」が早期教育の名のもとに重視されることも…。

6歳までの感性をゆさぶる体験が、どれだけその後の成長の基盤となるのか…。「遊び」からの学びがどれだけ大切か…。納得がいかないことばかり。じゃあ、どうするか??自分に何ができるのか?そう自問自答しながら始めたのが「短大で保育を学ぶこと」だった。現場の声を聴きながら、「理想の園を仲間と共に創りたい!」そう強く思った。しかし、自分には何もない。再びだ。そう、「ちびっこ」のために活かせる知識・技術・経験はないのだ。前回、何もない自分に出逢ったときに、向き合えなかった。でも、今回は逃げない。自分自身が感じた、ありのままにこの人たちのために生きたい!と思ったコトに素直に行動し続ける。そんな人生なのかもしれない。

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写真は1年前に仲間たちと想い出深い平尾台にて。こんな仲間たちと「支えつつ支えられる」そんな関係であり続けたい。
そんな44歳おじさん。これからそんなおじさんの「保育」の学びをココ(note)で綴っていく。もしよかったら、暇つぶしにでものぞいてもらいたい。

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