【エッセイ】29歳にもなって荷造りがうまくできずに泣いた話

私は荷造りが苦手だ。
そもそも整理整頓ができない。どれだけ意気込んで部屋の整理を始めても、数時間で脳が限界を迎え続行不可になる。その上心配症故に持ち物が多くなりがちで、普段からコンタクトの洗浄液やら染み抜きやらを持ち歩いている程だ。

その日は遠方で行われる友達の結婚式に参列するため、2泊3日の荷物に加えて結婚式用のドレスやバッグや各種アクセサリー、更に余興用の学ランとズボン、ハチマキに手袋に笛……と、いつにも増して荷物が多かった。
ドレスやバッグなど(大した物ではないが、私にとっては)決して安くはないものも含まれている以上、「スマホと財布と眼鏡さえ持っていけば、あとは忘れ物があっても現地で買えばいいか」とはいかない。

旅行の際は毎回当日の朝に大慌てで0からパッキングをする私だが、今回ばかりはある程度の事前準備を行なった。
数週間前からチェックリストを作成。前日には持っていく服に丁寧にアイロンをかけ、ドレスやバッグ、余興に使う品々をキャリーケースの側に用意。今回のために買ったコスメなども忘れないよう自室のテーブルの上に出しておいた。

ここまでお読みの方は「いやキャリーケースに詰めるところまでやっとけや」と思われるかもしれない。それは正しい。
ただ、何事も土壇場にならないと行動できない性分で、それによって様々な機会や金銭を失ってきたこの私が、前日の仕事終わりから就寝までにここまで用意したのだ。これは私にしてはかなり計画的に行動できた方で、大切な友人の晴れ姿を楽しみにしていた表れである。

当日は朝8時半に起きて昼前に家を出る予定であったが、実際は目が覚めたのが9時半、ベッドを出た頃には10時を過ぎていた。(私は日頃からかなり寝起きが悪い。)
しかし結婚式本番は翌日で、今日はあくまで前乗り。ゆっくり用意して、準備が整い次第家を出たらいい。そう考えてのんびり用意することにした。

起き上がるとまず、目につく範囲にある必要なものを乱雑にキャリーケースに詰め込んだ。キャリーケースを持ってリビングに移動し
「やっぱりお昼ご飯食べてから行く〜」
と母親に声をかけた。
(食事の要不要を伝えるのはアラサー独身子供部屋暮らしの義務なのだ。)
「ほなお昼用意するわ」
と答える母を見ながら、私は考えた。
田舎者らしく休みの度にイオンに出かける両親。しかも一人暮らしの姉も連休で帰ってきている。ほぼ確実に今日も午後からどこぞのイオンに3人で出かけるだろう。
「今日出かけるならついでにJRまで車で送ってくれへん?」
自宅からは私鉄の駅が一番近い。しかし少し離れたJRの駅まで行けば、新幹線の停車駅まで乗り換えなしで着ける。
何より雨が降っていたので、キャリーケースを引いて駅まで歩きたくなかった。
「いいけど、母さん達13時か13時半には出かけるで」
時刻はまだ10時30分。余裕だろうなと思い
「ほな頼むわぁ」
と答えた。

そこから30分かけて歯を磨き、洗顔とスキンケアと着替えで更に30分、髪型を整えたら既に正午近くになっていた。馬鹿か??
母が作ってくれた美味しいお昼ご飯を急いで食べ、12時15分から荷造りを再開。
これは前日のうちに荷物を詰めていなかった理由の一つでもあるのだが、持っていく物の中にはヘアアイロンやヘアブラシ、メイク道具など、当日の朝に使ってからでないと詰められない物がたくさんある。
使い終わったものから床に広げたキャリーケースに積んでいく。同時進行でヘアミストやボディークリームを持ち運び用の容器に詰め替える。姉から「当日の朝に詰め替えんのかい」と呆れた声が飛んでくる。
あらかた用意できた!そう思って時計を見ると、時刻はまだ12時30分。いける!あとは詰め込むだけだ!

甘かった。その「詰め込むだけ」が大変だった。
「パンツとー、タイツとー、ヒートテックとー」
意気揚々とチェックリストにチェックをつけながら、使うタイミングや用途ごとに荷物を小分けに詰めていく。しかし、「やっぱりコッチに入れとこう」と入れ替えたり、「アレが足りない」「コレも持って行こう」と自室と洗面所とリビングを何往復もする内に、雲行きが怪しくなってきた。
どこに何を入れたか不安になりポーチをひっくり返す。ひっくり返した端から失くす。チェックリストはもはや意味をなしていない。そうこうしてい内に迫り来る時間。疲れと焦りから軽くパニックになっていた。

「そんなガチャガチャ音出して荷造りする奴がおるかぁ?」
姉の冗談半分のツッコミも、必死の状態では笑えない。
見兼ねた姉が「あと何したらいいん?」と手伝ってくれる。
「アレ詰め替えてほしいねん」
そう言いながら、本日何度目かわからない洗面所へ向うため、荷物を跨いで踏み出した。

その瞬間、バキッと音がした。

旅行に連れていくつもりだった跡部様のアクリルスタンドが折れていた。言わずと知れた大人気漫画、私の人生のバイブル、『テニスの王子様』に登場する氷帝学園中等部テニス部部長、跡部景吾様のアクリルスタンドを踏ん付けて折ってしまったのだ。

あっ、あーーーーーーーーー、あぁ
悲痛な声を上げながら、
「跡部様がぁ、跡部様が折れてもうた。」
と繰り返す。
部屋に戻り他の跡部様のアクスタを持ってくるか?いや時間が惜しい。今は兎にも角にも準備を進めねば。
そう思い直し準備を進める。しかしその間も跡部様ショックは私を追い詰め、「跡部様が…。東京まで行って買ったやつやのに…。」と心の声が口から漏れる。

動揺する心を抑えつけるため、敢えて口に出しながら「えー、ドレス入れた。ストッキング入れた。パンツ入れた。」とチェックを進める。
「何回パンツの確認すんねん」
と姉がツッコむ。
それを見た父親が苛立ったように言う。
「そういうのは事前にチェックリストを作っとくもんや」
その瞬間、プツンと心の糸が切れてしまった。
「ちゃんと作ってたよ!用意だって昨日からしてたよ!でも上手くできひんの!頑張ってるのに人と同じようにできひんの!」
と喚いてしまった。

きっと多くの方が「そんなことで?」と思われるだろう。私もそう思う。
この時は苦手な荷造りで莫大なストレスがかかっていた上、大切な跡部様を失ったことで心に余裕がなくなっていたのだ。

母が私を慰めながら、まだキャリーケースに入っていない荷物を綺麗に並べだす。姉と母と私、3人体制である。
しかし姉に次々と「コレはどこに入れるん?コレは?」と聞かれ、既にキャパシティ超えを起こしている私はますますパニックに陥っていった。

既に13時を過ぎている。もうダメだ。
いつもは時間が近づく度に「まだかいっ!」と急かしてくる父が、今日は(今のところ)待ってくれている。母も姉も手伝ってくれている。
でももうダメなのだ。何故なら私が私を急かし焦らせるから。その焦りが多大なストレスとなり脳に負荷をかけてくるから。

「置いて行ってくれ。」
15時15分。姉にそう告げる。
車に乗せてもらうことにこだわらず、ゆっくり用意してのんびり向かおう。そう思い直すことにした。
ちょうど父親が「間に合うんかい」と様子を見に来た。
私は普段使っている長財布の中身を、旅行用の3つ折り財布に入れ替えながら、不貞腐れた様に呟いた。
「もう間に合わんから置いて行って。」
自分でも薄々(これ別に今やらんでもいいな)と思ってはいたが、もう何も考えられない状態で、他に何をすればいいのかわからなかった。
「それは向こうやったらええやろ」
強い口調で言う父に対し、姉が
「もう先出ていいんやって」
と声をかけ、二人はリビングを出ていった。

あー、結局この雨の中キャリーケース引いて、私鉄の駅まで歩くんか。JRへの乗り換え駅は階段しかないのに。
私なりに前日からちゃんと準備してたのに。ちゃんと間に合うつもりやったのに。まだメイクもしてない。
結婚式用の靴もまだ用意できてないな。いいのん見つからんから向こうに着いてから買おうと思ってたけど、こうしてる間にもどんどん時間が過ぎていくな。
時間に余裕あった筈なのに、なんで予定通りに行動できひんのやろう。なんでたかが荷造りでこんなにストレスを感じるんやろう。

こんな時、自分は普通じゃないと感じる。普通の人が普通にできることができない。もっと数日前から徐々にパッキングしておけばよかった。わかっていたのに行動できなかった。多分この次に出かけるときもできない。

母親が
「車に乗らんでいいの?」
と聞いてきた。
「だってできひんもん」
と答える。ジワジワ涙が出てきた。
「ウチなりに一所懸命頑張ったし、昨日から荷物の用意もある程度して、必要なものも出してて、あと詰めるだけにしといたけど、上手くできひんもん。チェックリストだって用意してたのにさぁ」
容器の詰め替えなど明らかに準備不足があった自覚はあるが、その自覚を棚に上げ「自分なりに精一杯やったのに」という気持ちが心を支配する。

お茶を飲みにリビングに降りてきた兄が(あーあ)という顔でこちらを見ている。その視線が私をいたたまれない気持ちにさせる。
「私だって29歳にもなって、大人になって、こんな荷造りなんかで泣きたくないけどさ。できひんねんもん。苦手やねんもん。他の人からしたら簡単かもしれんけど、私はこういうのがホンマにできひんの!」
29歳にもなって荷造りで泣いている。その事が我ながら滑稽で泣きながら笑ってしまった。しゃくり上げているのか引き笑いなのか自分でもわからない。

「……車乗りたかった……」
そう呟いた私に、母はまるで小さい子に接するように言った。
「ほな、乗ろうや。今から30分までに3人で用意しようや。お父さんに頼んでくるから。」
時刻は既に13時20分。間に合わないと内心思いつつも、甘えたい気持ちが勝ち頷く。
母が父にもう少し待ってくれるよう頼み、姉と一緒にリビングに戻ってきた。

「ホンマに必要なもんだけ入れて、入れ替えたりするのは着いてからやればいいから」
姉の口調は優しく言い聞かせるようだった。
ありがたく感じつつも、益々自分が情けなくなり、
「大人になってこんな事で泣くなんてさ、情けないと思うよ。でも出来ひんねん。普通の人が、普通にできることが、私は出来ひんから。」
とまたしても繰り返した。
それこそ子どものようにウッウッとすすり上げながら喋る私を見て、母は
「誰にだってそういう所はあるよ。」
と言った。

「後なにが必要なん?」
姉の言葉を受け、落ち着くために数回深呼吸をしてから、改めてチェックリストを確認する。
「あとこの場に出てるもんと机の上のメイク道具だけやったわ」
そう気づくと一気に心が晴れ、先程までグズグスしていたのが嘘のようにテキパキと動くことができた。

「エシディシ過ぎる!!」
そう言って姉が笑い出した。
エシディシとは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する敵キャラクターだ。
主人公から攻撃された途端「あァァァんまりだァァアァ」と号泣しだし、困惑する主人公をよそに唐突に泣き止んだかと思えば、「フー スッとしたぜ 」と言い放つ突き抜けたマインドコントロール術を持つ男だ。
「今のは完全にエシディシやったわ」
と兄も笑い出す。

その間にも用意を進め、13時30分には荷造りが完了。無事に車でJRまで送ってもらえた。
(ちなみに化粧は行きの車の中と、駅のトイレのパウダーコーナーで済ませた。)
新幹線と電車を乗り継ぎ現地に着いた頃にはもう18時近かったが、デパートが閉まるまでに何とか気に入った靴を買うこともできた。

家を出る直前、
「あんたの場合はまず落ち着くことやな」 と母が言っていたが、まさにその通りである。
エシディシのマインドコントロールは案外馬鹿にできないなと、思う。

ちなみにこれを書いている今、帰宅から5日経過しているが、キャリーケースは未だに片付けられることなく部屋の床に広げられたままである。


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