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例の車イスの話題


まずは個人的な経験ふたつ

画像は姫路城。
車イスの母も行きたがったけどエレベータがないため、天守閣の中は見学できない。
国宝であり世界遺産なのはコンクリで作った大阪城とは違うからやでという説明であっさり納得してくれたが、伝わる人でよかった(なお私は大阪城も好きです、あくまでバリアフリーの違いであり価値の比較ではない)。

しかし大改修の際はエレベーターで車イスも移動できる「天空の白鷺」が設けられた。
TVでも、はじめて天守閣(の外側だけど)を登った人の喜ぶ姿など拝見しウルウルしたものだ。

姫路城の価値を守りつつ、バリアフリーも叶うならそれに越したことはないとも心の底から思う。

もひとつ。
足をケガした友人と遊びに行ったUSJで、念のため車イスを借りた。
車イスでは乗れないアトラクションもある。
一方で、エリアによっては車イス用の見学ルートがあって(何年も前の話で今は不明)、逆に通常は入れないのですごく楽しかった。
車イスだからできないことはあったけど、車イスだからできることもあった。
ちなみにこのときは私ふくめ女3人で、もう一人は車イスの補助をしたことがなく、車イスの友人いわく私が押すときともうひとりの友人のときとでは安心感がぜんぜん違ったらしい。

母は電動車イスでどこにでも出かけたので車イスの補助もそう機会は多くなかったが、親子なので遠慮なく怒られながら押してきた経験は活きたようだ。

車イスを扱うにも経験は必要なのだと強く思う。

今回の車イス@映画館で問題点はふたつ

あくまで家族が車イスユーザだったにすぎないド素人が偉そうな口ぶりですみません(笑)

問題点の前に、どうも車イス寄りの意見を述べる人の中に誤解があるような気がする。
発端となったイオンシネマ自体には、車イス用のスペースはある。スロープの問題でもない。
今どきバリアフリーじゃないとか折りたたみのスロープ配備とか、映画館へのその手の非難や提案は的外れだ。

さて私が問題と感じた2点、ひとつはバリアフリーの観点、もうひとつはサービス提供がわの観点だ。

1.バリアフリーはどこまで?

今回の問題はグランシアターという、座席も最高級が売りのスクリーン。なのでそもそも車イスのままでは利用できない。
「車イス用のスロープのないスクリーンの階段を数段のぼり、さらには車イスから座席への移動」
に介助が必要だった。

これを「映画館スタッフがやるべき」と思える人は正直、ちょっとどうかしていると思う。

まず安全面。
今回は車イスごと持ち上げて階段をのぼったらしいが、多少は歩ける人なら車イスは入口に置いて肩を貸して席まで移動なども想定できると思う、いずれにせよおそらくは介護の経験や研修もない映画館スタッフが行うことを安全と思えるだろうか?
ものすごく不慣れな体勢で絶対に落としてはならないとてつもない緊張感を強いられながら50kgを運ぶことが?
また、上映中に非常事態が起こればだれが彼女をまた車イスに移し、または抱えあげ、一緒に避難できるのか?
通りすがりに困っている人は助けてあげたいという優しい人たちは、「万一のときは責任も負う覚悟で」これをできるってこと?

もし母が特別な席で映画を見たいと言うなら、私なら第1の選択肢は心苦しいけど「諦めさせる」。
それでもどうしてもと言うなら、親戚や臨時ヘルパーさんなど頼んで数人体制で臨む。
現地スタッフをあてに一人で行かせるなんてしないし、勝手にしたら全力でげきおこやわ。
本人もスタッフも周りの人も危険なのだから。

次にコストの高騰。
バリアフリーのためにスタッフにも教育をというのもわかるし、もちろんそうできれば良いことだと思う。
でも専門スタッフを常に配置できるとして、同時に何人まで要介助の人を受け入れできるか?
「車イスだからって事前に調べろとか問い合わせろとか、手間を当たり前に強要するのもおかしい」という人たち(この声も実際よく聞くよね)が予約なしに来たら?

車イスの人が問い合わせも予約も不要で「だれでも」「いつでも」サービスを受けるためには、介助できるスタッフは何人必要で、彼らの給料はどんだけ必要で、暇なときもその人件費は発生しつづけて、しかも館内のあらゆる価格は据え置き?

それは可能なの?

バリアフリーはどこを目指すのか?
望む全てをかなえることなのか?

私はすこしヒザが悪い。
なので飲食店やスポーツ観戦の際は、店内写真で動線や席の形状をよく確認するし出入りしやすい通路側の予約をとるなどする。
映画だってど真ん中の席で見たいけど、ガマンして通路側をとる。
母と出かける際も、事前に電動車イスで利用可能か問い合わせたり、まだすべてがノーステップではなかったころはバスの時刻表も慎重に確認した。
ムリなら諦める。

障害者とかLGBTとか、できるだけみんな生きやすいといいよねと思う。健常者より豊かな生活をするななどと毛頭おもっていない。
でも、ときには身の丈にあわせて諦めも必要なのはそれこそ世界中のだれにも公平で避けられないことだし、もしも自分たちも利用できるよう変化を望むなら、すべきは強行突破でもSNSを使った糾弾でもないはずだと思うのです。

2.映画館側もいちどでも応じてはいけなかった

「今まではやってくれた」
今回はここも問題。
たぶん善意で手助けしたのだろうと思うけど、けっきょくはそれがより大きな問題を呼んでしまった。

私もサービス業に従事してきたが、コールセンターでも対面でも、どれだけ言ってもルール外マニュアル外のことに「よかれと信じて」対応する人はいる。
その対応をいちど受けた人はそれを基準にするので、次の担当者がルール厳守だと不満度がとても大きくなる。

もちろん通常はごねる、「前の人はしてくれた」。
これは、お客様にとってもいらん失望とエネルギー消費をするし、次に当たった会社のルールを守った者は断るストレスがハンパないし悪者にされてしまうし、本当に誰にとっても不幸なことだ。
幸せなのはルール破りをして一時的にはとても感謝されたソイツだけだ。

そして感謝が気持ちいいからまたやる。

今回の映画館スタッフがそんなふうに喜んで自ら応じたとは考えにくいが、「一度やったあとのこと」を軽視しすぎた。

善意を否定したくはないが、ルール外の介助で事故が起きたら?
同じような要望が同時に継続的に複数あっても対応できる(してもらえる)のか?
などは要望するほうも応えるほうもよく考えるべきだ。

なお、範疇外なことをお断りしたときよく言われるのが「あなたが知らない/できないだけでしょ?」。

よーーーく知っているからこそ、その後の問題まで推測できていたりする。
ルール破りが平気なやつはただのこわいもの知らずで、問題が生じたあと始末は「断れる人」がやることも多い。
ダニング=クルーガー効果が近い感じなのかな?
範疇外をきっぱり断れる人は、先が見通せて危機管理に注意を払える人なのである(もちろん例外はある……)。

あなたが知らないだけでしょとバカにしたくなったら、むしろいかにそいつをノせてルール内で有益な情報を引き出すか考えたほうがいいと思う、わりとマジで。

さいごに


今回の車イスユーザは支持政党や過去の配信などからも推して知るべしな気配も濃厚だが、炎上で見えたその他大勢のなかには本当に善意と正義感で「もっとバリアフリーを!」「もっと助け合える優しさを!」と感じている人も多い様子。

バリアフリーとは、姫路城にもエレベータを設置すること?
すべての映画館に「いつでも」「だれでも」予約なしで介助可能な体制を敷くこと?

私自身もマイノリティの一人なので、生きづらさを解消していく社会じたいは歓迎なのだ。
でも「分不相応」という言葉は程度の差こそあれだれにもあてはまる言葉だし、できる範囲の公平さというのは忘れてはならないと思う。



なお、今回の車イスユーザのポストの一部↓

この私を断りやがった映画館は具体的にここ!
ここはガンガン責めてヨシ!!

ほんまお察し(´・ω・`)

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