#21古民家暗中模索中【筑紫舞編】
24年5月3日
今年の合宿が始まった。
昨年は2回合宿をしたので何となくの検討はついているが
それでもやっぱり初日は緊張する。
この家に初めて来た人がどう思うか、家になじむだろうか。
今回は研究生たかさんのご家族が初めて来てくれた。
お子さんは小学6年生。トイレも水洗ではないし、大丈夫かな?
と思っていたけれど、お父さんとよくキャンプに行っているらしく、
薪割りや火おこしなどを積極的にやってくれて、あっという間に
昔からいるような感じで馴染んでくれて、ほっとひと安心。
それからご飯作りや二日目の竹林整備など
その時のことは研究生ゆきのさんのnoteに詳しく書いてくれた。
今回は3日目、私が加茂神社で筑紫舞の奉納舞を舞わせていただいたことについて少し書いてみる。
筑紫舞は、今様、能、狂言、浄瑠璃、歌舞伎の前にあった、祓えの芸を演ずることで暮らしをたてる傀儡(くぐつ)一族と呼ばれている芸能集団の舞。くぐつ達が「祓えの芸」として大切に守り伝えてきた神事芸能、それが「筑紫舞」といわれている。
詳しくはこちら
演目は「橘」
橘は、奉納舞として二人で舞わせていただくことがよくあったが、
今回ひとりで、と先生に言っていただいた。
最初は楽勝だと思っていた。
何度か橘の奉納舞はさせていただいてるし、所作は覚えているし、稽古ではお琴の演奏にどれだけ合わせられるかだろうと思っていた。のは大間違いだった。
この舞は祓えの舞と言われるだけあって、舞の途中に何度も祓いの所作がある。
鈴を持って自らを祓い、拍子を踏んで地を祓い、足を左右にふったり跳躍や旋回することででも祓っていく。
特に巫女舞は、舞を見ている人々の穢れを舞い手の身体に一度受けて、それらを舞いながら祓うことによって昇華させるという意味もあるのだという。
二人で舞っている時は、二人の息を合わせるということをメインに稽古していた。
自らの我をなくし、相手との間合いを感じて舞うことは
わたしは好きだった。
けれども今回、先生はひとりで舞いなさいと言われた。
ひとりで舞うということはどんな意味を持つのか、その時にはわからなかった。
1人で曲と共に自分の身体を使っていく。
幾度も舞っていくと、気づかないうちに自分の癖が出てくる。
無意識のうちに、身体を楽させようとしたり、次の所作に移る反動をつけたりするのだ。
舞いながら勝手に自分のリズムを作り始める。
お琴の音を聞きながら、忘我にならず、かといって考えることなく淡々と舞う。
これは相当やらないとダメだと遅まきながら気がついた。
その頃から稽古で、鈴を頭上に掲げる意味、自分の身体を天に向けて開く所作や、跳躍の意味などが身体を通して一気に入ってきたのだった。
かといってそれに振り回されてもいけない。
習い始めて7年くらい経つと思うけれど、これは、はじめて身に染みた。
本番の日。
合宿から少し離れて自分の家に戻り、気持ちも身体もリセットして舞の準備する。
この日の加茂神社は、雲ひとつない晴天だった。
まずは神様に手をあわせて舞わせていただく報告をする。
白衣を身につけ、袴を履く。
髪を束ね、半紙で巻く。前髪に橘のお花を差す。
最後に千早に袖を通す。
1人だけではとてもできないので
お琴の方や、宮司さんの手を借りる。
最初に豊栄の舞を双子の乙女たちが舞う。
氏子さんたちが、一つ一つ手渡しでお供え物を神前に供え
宮司さんの祝詞奏上がある。
そしていよいよ筑紫舞だ。
お琴の曲が始まる。
神前を前に、両側に二人の宮司さんが居る。
30人ほどいる氏子さんたちが立って見ている中、舞う。
その間を縫うように合宿のメンバーが見てくれている。
時折、風が強く吹く。
扇が飛ばされそうになるのを慌てて手で押さえる。
この舞は所作だけではなく、こうした周りの環境にも影響を受けながら
舞うのだと舞いながら感じる。
お琴がだんだん早くなる。
それに比例するように身体中がシンと静まっていく。
自分がどんどん透明になっていく感じがした。
穢れとは具体的にどんなものであるかは知らないし、言葉にできない。
けれど、自分の肉体を使って祓えの舞を舞わせていただいたことは
身体に刻まれた。
加茂神社の大事な春祭りで筑紫舞を舞わせていただけて
遠くから見に来てくださった方もいて
本当に感謝した。
今月も筑紫舞のお稽古がある。
また一からだなと思う。