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白い爺さんと石田と湯婆婆。2018.8/19

お祖父ちゃんが80歳になったので、親戚一同で食事に出かける事になった。それなりに遠い食事処を予約したらしく、送迎バスが親戚を回収しながら目的地まで送ってくれるらしい。
一番乗りの家族は我々だった。バスが迎えに来てくれる場所まで行くと、そこには帽子を含め全身白で統一した股引の爺さん運転手とバスが到着していた。バスが非常にボロい。家族の顔を見るとバケツリレーのように目配せで伝えられた。一段ある段差を越え入ってみると、埃のにおい、破れた座席カバー、なんらかの菓子の袋が座席の下に捨てられている。それらを横目に、一番奥の座席に着席。運転手が全身白の爺さんな事も含め、漠然とした不安がブリッと音を立てて生まれた。上から下まで白という服装が白装束を連想させ、このボロいバスは黄泉の国へ運行するのではなかろうか。そしてなにより不安にさせたのが、座った席の右の壁に黒のマッキーで

「石田だよ」

と落書きがされていたことだった。異様な雰囲気を放っていた。「だよ」がなんか怖い。「あなたの名前は?」「石田だよ」そう答えられると呪われる………、みたいな話ができそうでもあった。それは心電図のような字だったので走行中に書いたことが分かった。この石田という人物が死に際に残したダイイングメッセージのようにも思えたそのとき、下から突き上げるような揺れと轟音、ハッと我に返った俺はバスが発車しようとしていることに気付いた。

発車から数分経ち冷房ががんがんに効いてきたので冷房を止めようと試みるも上手くいかない。くるっと回転させると止まる冷房がガチガチに固定されていて止めようがない。やっぱりボロい。寒さで意識を混濁させようという白爺の魂胆か。しばらくして豪雨の影響で片道通行になっている道に来た。こちらの信号は赤のバツで止まれだ。が、何を思ったのか運転手は一度停止したがそのまま止まらず進んで行った。俺達は肝を冷房の効果もあり凍る寸前までキンキンに冷やした。幸い向こうから車が来ていなかったから何事もなく進むことができたが、あきらかに危険。車内に共通の不安が充満した。
15分ほど進むと従兄弟達も合流。車内に充満した不安を嗅いだのか察した様子だった。
さらに1時間半ほどしてついに我々の目的地、食事処に到着したのだった。黄泉の国ではなくて安心した。

目的地に到着して、バスから降車。安心感と外気の暖かさでキンキンに冷えた肝が心地よい温かさに戻っていく。早く食事をとりたいのかお祖父ちゃんがせっせと店の中に入って行く。歩きながら「じぃちゃん81でぇ、80なのは婆さんじゃ」とこの集いの意味を根底から揺るがす衝撃発言。本当かどうかは知らない。そこからの記憶が無く気付けば店内にいた。

店内は和の造りで、カウンターには一玉の大玉スイカと、この店のボスらしき老婆がなんかすごい雰囲気と共に背筋を伸ばしてこちらを見ていた。その老婆の見た目が強烈であった。毛量のすごい金髪の爆発したパーマヘアー、湯婆婆のようなめちゃくちゃに濃い化粧。もしかすると湯婆婆のモデルはこの老婆かもしれない。ここの料理を食うと両親が豚になるかもしれない。そんで若い者はここで働かされ、ある日俺は糞のようなにおいの客を丁寧に接客したところ、湯婆婆にたいへん褒められ、調子に乗った俺は雨に打たれていた金持ちそうな黒ずくめの客を裏口から店に入れてしまい、食料は食い尽くされ、従業員2名は飲み込まれ、落ち込む俺にキツネ顔の先輩がバカでかい大きさのあんまんを奢ってくれたりするんだろうか。
だがよく見るとその老婆は2頭身ではなくちゃんと老婆らしい頭身で、鼻も伸びてなどいなかったし、ナイフのような爪でもなかった。従兄弟はその強烈な雰囲気に圧倒され「帰りに写真撮ってもらお(棒読み)」と言っていた。つうか老婆というよりもポツンと置いてあるその謎のスイカが不思議雰囲気を醸し出している気がする。食事が終わる頃に提供されるスイカなのかもしれないが俺はスイカが嫌いで食べることができない。

席に着くとすでに料理が並べられていた。誰かが「料理の説明がある」と言い出し、まだ食べてはならんのだなぁ〜、説明ってなんじゃろか?と10分以上待ったが一向に説明などあらず、通り過ぎる店員の目は、なぜこの団体客は料理に手を付けないのかという若干の好奇の目であった。
10分以上待ったためか、魚の煮つけはカッサカサに乾いて冷え切っていた。そして味がない。あれ?と思い刺し身を食うと、ねっちょんねちょんしていた。うっ…と思い、つまを食うとヨーグルトのような牛乳のような、脳から危険信号が発信されるような味がした。なんだかこれはとんでもないハズレくじを引いてしまったんじゃないか。このあとの体調が不安になってきた。だが一人あたりの料金がなかなかするらしく残すわけにはいかなかったし、お祖父ちゃんかお祖母ちゃんかもはや誰の80歳祝いか判然としないが、祝いの場の雰囲気を台無しにするわけにもいかない。そこから次々と料理が運ばれてきた、運んでくる店員は皆、若く、同年代で学生のようにみえた。やっぱり親が豚にされたのだろう……。すこし同情した。次になにを食べようか視線を左上に移すと、肉があった。なんだかそんな妄想をしたあとに食べづらい。
その後は食ってはフリーズ食ってはフリーズを繰り返し、俺の胃も限界に達し、皆もたらふく食って3割くらいお持ち帰りにした。

そして帰りの送迎バスに乗車。運転手はやっぱり白の爺さんだった。が、行きと違うのは助手席の湯婆婆だった。なぜか湯婆婆が助手席に座っていた。店のボスである湯婆婆が店をあけていいのだろうか。もしかすると双子でこの老婆は銭婆なのかもしれない。今頃店では湯婆婆が銭婆に客をとられた、と憤慨して口から火を吹き出しているかもしれない。車内の薄暗さが湯婆婆(もしくは銭婆)と「石田だよ」の不気味さを3割増しにしていた。しかしその3割増しの不気味さに負けず従兄弟はちゃっかり2ショットを撮っていて笑った。撮ってどうするつもりなのだろうか。
帰りは片道通行の信号はちゃんと止まったが、危険ゾーンを示す赤いコーンを後ろタイヤで思いっきり引き飛ばしていた。その後は無事に最終地点まで到着。
結局「石田だよ」と湯婆婆のスイカは何だったのか分からず。不思議雰囲気を醸し出す装置だったのかもしれない。

風呂上がりに店のレビューを見てみるとやはり、最低、なのであった。2018.8/19