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俺の腹にはヘソしかなかった。

バリリッという音を聞いたのは犬の散歩中の事だった。5m前のアスファルトを突き破って自生する植物の中から飛び立ったのはその大きさから、トノサマバッタと想像できる。その瞬間の俺はとんでもない表情をしていたに違いない。
俺はバッタ目に分類される昆虫と節足動物が大嫌いだ。裏側の並外れた醜怪さには立毛筋が収縮し体毛が垂直方向に立ち上がってしまう。
バッタは俺の天敵で、ドラえもんでいうところのネズミ。そんなネズミを見つけたドラえもんの気持ちに思いを馳せた。

ドラえもんは怒りに満ちた感情と表情のように思える。だが、俺はというと墓場から蘇ったゾンビを見つけ、一番目にやられる冴えない雑魚キャラのような気持ちと表情をしていたに違いない。
もし俺の腹の辺りに四次元ポケットが付いていたならば、衝動的に地球破壊爆弾をまさぐり出す事間違いないが、俺の腹にはヘソしかなかった。
トノサマバッタへの恐ろしさが従来より増したのは以前目撃したその驚異的であり脅威的な飛距離にもある。草影から飛び立ったと思えばガードレールに頭からぶつかったカンという乾いた音がして、狂ったように再び飛び立ち、バリリという羽音をたてて半径10mくらいをぐるっと一周し、川の向こうの田んぼのあぜ道に身を隠した。いったい彼らはどのくらい飛行するのだろう。そういう疑問がポコッと音を立てて湧いた。
スマホで検索すれば簡単にその疑問は解決するのだけどそういったページにはでかでかとバッタ実物の姿が載せられている。さらに「トノサマバッタはなぜトノサマというの?」とか「バッタの歴史」だとかどうでもいい話から始まる可能性もある。大嫌いな昆虫の拡大写真を見せられ、校長先生の朝礼のような冗長的トノサマバッタ雑学を読まされれば誰もがトノサマバッタの事を嫌いになってしまい、「あぁもうなんかいいや。とにかく嫌い」という捨て鉢な感情に支配されるかもしれない。
そうなってしまう可能性を感じながら俺は検索した。それらしき文章が書かれていそうなページをスワイプすると果然、拡大写真が一枚どころか五枚くらい載っていた。その度に俺は左右の眼球を中心に寄せピントをはずし、画面上から画像が消えるまでスワイプするという事をした。
精神がヘトヘトになりながら読み進めると50mだとかいう情報も出てくる。さらにはバッタを飛ばすというエキセントリックな大会では130mも飛んだという記録があるらしい。これはとても恐ろしいことで、これでは散歩をしていても安全はない。130m先から奴らが襲いかかってくるかもしれない。そんな事は能う限り回避したい。が、その術がないしあったとして知らない。より一層トノサマバッタへの忌諱感は増しに増してしまったのだった。
恐るべしトノサマバッタ。