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師走のおばさん、馳せる

愛犬がふんばって排出した食物のかすの塊を一枚約8円のエチケット袋で回収している時だった。後ろから車がやって来た。愛犬が斜面にしたその塊を、飼い主がしゃがみながら前屈みになり回収するその様は人に見られてうれしいものではない。相手は楽しいかもしれないが、こちらはむちゃくちゃに恥ずかしい。
しかもその車は速度を落とし、俺の真横の位置で止まったではないか。あまりにも奇態な格好で斜面でなにかしている青年に声をかけずにいられなくなる人情のようなものでも働いたのか、「すみません」と声をかけてきた。女性の声だった。俺はエチケット袋の口を結びながら振り返った。眼鏡をかけた60代くらいの丸っこいおばさんがブラウン色の車の運転席から優しい雰囲気でこちらを見ている。そのまま「なにをしてたの?」なんてその優しい雰囲気の裏側にある冷えきった恐ろしさをチラつかせて聞いてこられそうで俺は「い、犬の大便を回収してました」とさっさと白状しなければならない気がしてきた。
ところがそのおばさんは大便の回収についてではなく、「保育園ってどこかな?」と尋ねてきた。
この辺りを散歩して出会う人は近所の2、3人の老人で、また数日間の散歩ですら誰にも会わない事だってある。快晴の日にTVもラジオも音楽も消してしまうと静かすぎて、その快晴がもたらす幸福な感情と、静けさがもたらす不気味さが、この世界には我が家とあの散歩で会う2、3人の老人達しか残されていないのではないかという妄想を生み、膨らんで、ヘリウムを注入すれば掴まって岡山市くらいにまでなら飛んでゆける。そんな妄想に耽る日もあり、すぐそこにある保育園の存在を俺は忘れかけていた。
「ナビで来たらこの道に来たんだけど…」とおばさんは言う。
散歩中に道を尋ねられるのはこの左手に持つ大便の直前まで保有者だった愛犬との9年間の散歩の中で2回目であった。「この道を戻って右に曲がって右の坂上がったら保育園です」と俺は伝えた。「右」というのが二回出てくるのがややこしいのか、あまり伝わっていない様子だった。自分で言っておきながら俺だって人からそう伝えられて分かるかと言われると自信がない。でも右行って右行ったら保育園なのだ。おばさんは車をぐるっと方向転換させ、来た道を戻って行った。なんだか慌ただしい様子だったので早急で大事な用があるに違いない。道を尋ねられ教えた以上、事の顛末を見届ける責任が俺にはあるぞ。そう思い、俺は保育園に続く道と保育園の駐車場が見える場所まで犬と突っ走った。小さくなったおばさんの車がウインカーを右に出したのを確認して「そのまま進んでまた右に曲がったら保育園じゃ。もう行けたな。」と思い、のんびりと散歩を再開させたが、おばさんの車は保育園の駐車場に現れない。ここから駐車場の全体が見えるわけではないので死角に停めたのかもしれない。そう思っているとおばさんの車がまた道を引き返して来た。これはまずい。引き返してまた道を誰かに尋ねようとしているのならば、外に出ている人など誰もいない。そうなるとまたおばさんは俺を探すだろう。しかし俺は突っ走ってここまで来てしまっている。早急な用事があるおばさんは辺りに誰もいない事で大変困るだろう。
突っ走って来た道を戻っておばさんがまた来るのを自然な雰囲気を装って待つ方がよいのだろうか。俺がそう考えている間におばさんの車は来てしまう。と思ったが、来ない。この場合、道沿いにある数軒の家いずれかに尋ねに行ったと考えるのが自然な事だろう。現に家々の間から見える道からおばさんの車がこちらに進行して来る様子がない。その辺りに車を停めたのだろう。近所の人が、犬の糞を回収していた俺よりかは丁寧にキレイに説明してくれるだろう。
しばらくしておばさんの車が道に出てきてウインカーを右に出し、保育園へ向けて走って行き、駐車場に停まり、おばさんが走って園内に行き、職員も走っておばさんの元へ駆け寄りしばらく話して、なにか物を手渡すのが見えた。おばさんは用件が済んだのか、車を出して行ってしまった。
俺はきちんと事の顛末を見届け、糞を片手にこれから来る真冬の寒さに浮き浮きし、ニヤつきながら散歩を続けた。
2020.12/9