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島に移住しました「夢見るおっさんで終わるよ」

こんばんは、原田です。

noteを始めようと思います。TwitterやYoutube、Facebook、メルマガと様々な媒体を使っていますが、今後はそれぞれの役割を決めて発信していこうと思います。noteでは、僕自身のことを話していきます。僕の過去だったり、僕の今、僕の価値観を物語風にお伝えしていきます。

 
まずは、今僕がどこで何をしているのか?をお伝えします。

 
今、僕は香川県の小豆島という小さな島でバスケットボールをしています。プレイヤーとして、週5回練習をしています。もはや、部活並み、プロ並みですよね。今までは生まれ育った長野県で、週末は母校の大学でコーチをしながら、平日はBリーグの会社でスクールコーチとして小学生にバスケを教えていました。その合間に情報発信をしていて、大学のコーチになってから取り組んでいたPrinceton Offenseから学べることを「賢者籠球」というコミュニティで深めていました。

日々進化

 
4月半ばに小豆島に来たので、今は2ヶ月半が経ったところです。僕が入団した「小豆島ストーンズ」というチームは、2年前にできたばかりのチームで、「ローカルプロ」というコンセプトで活動しています。チームとしてBリーグは目指していませんが、地域リーグというB3の一つ下に位置するリーグに参戦しています。小豆島の皆さんに応援していただきながら、チームの目標、個人の目標に向かって、みんな本気でバスケに向き合っています。
 
 
・・・と、今の現状を伝えたところで、気になるのは「なんで小豆島に来たのか?」というところだと思います。ここに来ることになった経緯には、今のコロナという状況、父親の死、自分の人生の目標など様々なことが関わっています。


「自分が夢中になれている時って、どういう時だろう?」 

このことを考えた時に、僕は「バスケをプレーしている時」だということに気づき、その道を探しました。その結果、縁があって小豆島でバスケをさせてもらうことになりました。
 
皆さんが時間も空腹も忘れて夢中になれるのは、いつですか?
 
 
僕は情報発信をしながら、母校の大学でコーチをして、Bリーグの会社で小学生にバスケを教えるという生活がとても幸せでした。バスケ馬鹿と呼ばれても仕方ないくらい、バスケばっかりの生活だったわけですが、ネットでコミュニティを運営するのも、学生たちの成長を見れるのも、純粋で無邪気な小学生と関われるのも、どれも本当に有り難いことだなと思っていました。

仕事の話もすべてバスケに関わること。スクール生を楽しませるためにはどうしたらいいか、スクールの人数を増やすためにはどういう企画を打ち出したらいいか、バスケを通して何を教えていけばいいか、そんな話し合いをしていました。台風で被災した保育園にミニゴールを贈呈して子供たちとバスケを一緒にやる、といった活動をしたこともあります。Bリーグの試合会場の設営もやっていたので、プロとしてバスケットボールでお客さんを楽しませるために、多くの人の協力があり、多くの苦労があることを肌で感じました。


 
でも、そんな時、コロナで一気に状況が変わりました。

僕だけではないですよね。みんな、あの時期、今、生き方を考えることがあると思います。生き方を変えた人も多いと思います。僕は確実にその一人でした。
 
プロの試合は中止、スクールは休校、仕事はリモートワークに。当然、指導していた大学の部活もできなくなり、体育館も使えずバスケもできない。
 
「じゃあ、この期間に、動画をたくさん見てバスケの勉強をしよう!」ってなるかと自分でも思いましたが、全くそういう気持ちになれなかったんです。なんでだろう。わからないけど、僕はこの時期、バスケの動画をほとんど見ていません。見ていたのは、一流の料理人の料理動画。あの動画がなかったら、たぶん僕は”ころなうつ”になって無気力人間になっていたと思います。この話はまた別でしますね、なんで僕が食にこだわるかという話。これは僕の家族が代々経営している食品会社が関係しています。

はちみつ


有難いことにリモートワークで働く時間が減っても同じだけの給料はもらえていました。ただ、この期間の自分が給料に見合う価値を生み出していないのも明らかで、「自分はなんでこの会社にいるんだろう」「自分の価値って何なんだろう」そんなことを日々考えていました。
 
そして、この時期、父親が癌で亡くなりました。一年前まで毎年マラソン大会に出るくらい元気だった父が、急に元気がなくなっていく姿を見るのはとても辛かったです。コロナで毎日のように報道される「死者数」という言葉以上に、僕は毎日のように死について、人生について考えました。父のおかげである今の人生、自分は何がしたいんだろう。自分は何ができるんだろう。


そう思った時、ずっと心の中にあった気持ちと向き合うことにしました。

自分が本気になれること、夢中になれること、本当にやりたいことは、バスケをプレーすること。コーチングも好きだし、情報発信も好きです。でも、僕はそれ以上に、あほみたいに「バスケが上手くなりたい」と思っています。なんでかはわかりません。ただ、ただ上手くなりたいという気持ちがあります。


教えていた学生たちが、自分が学生の時には知らなかった面白いバスケをしているのを見るのは本当に楽しかったです。「もっとこんな面白いバスケが広まってほしいなぁ」と思いながら指導していました。と同時に、心の中では「自分もやりたいなぁ」という気持ちもずっとありました。よく選手たちには「試合に出たい」と冗談で言っていたくらい、指導している自分もやりたくなるような、ほんとに面白いバスケだったんですよね。
  
僕の母校はキャンパスが四地区に分かれているので、全員が集まって練習できるのは土日だけです。僕はプレイヤーとして、地元の社会人チーム(県でベスト4)でプレーしていましたが、社会人なので練習がたくさんあるわけではなく、これまた長野県が広いこともあって、なかなかみんなが集まって練習する時間を取れていませんでした。全体練習は月に2回くらいです。
 
学生は勉強がある、社会人は仕事や家族との時間がある。だから、そんなにバスケバスケにならないのは仕方ないこと。でも、僕はもっと多くの時間を、もっと本気でバスケに使いたいという気持ちがありました。社会人になって、そういう環境でバスケをしたいならプロになるしかない。それはBリーグで働いていたからこそ、よくわかることでした。そして、そこに行けるのが限られた人だけであること、自分の実力では行ける可能性が限りなくゼロに近いことは、自分が一番わかっているつもりです。コーチをしていたので、選手たちのことを考えてもチームを離れにくいという気持ちも当然ありました。
 
でも、一度きりの人生、本気でプレイヤーとしてバスケをやりきりたい。情報発信を通して知った面白いバスケを自分で体現できるようになりたい。自分が実践したことを伝えていける情報発信者でありたい。そう思って、プレイヤーとして本気になれる場所を探しました。
 
 
この決断をする時、こう言われました。
  
「29歳からプレイヤーに戻るなんて遅すぎる」
「身体能力のピークは30歳と言われているのに、今からプレイヤーになってどうするのか」
「29歳の社会的な責任というものがある。ただ好きだからバスケをするなんて子供すぎる」
「29歳の発言とは思えない」
「肩書がほしいの?」
「夢見るおっさんで終わるよ」

 
 
くそー!見返してやる!…なんて気持ちになることはなく、それを聞いて僕は「そう思われて当然だろうなぁ」と思いました。どちらがおかしいかといえば、たぶん僕の方でしょう。その方は「あなたの人生を否定したいわけじゃない。ただ、冷静になってよく考えてほしい」と言ってくれたように、親身になって話をしてくれたのはよく伝わってきました。父親を亡くして1ヶ月が経った頃に話をしたので、本当に自分の父親のように接してくれました。「本当に今の仕事を手放す必要があるのか?」と言いたかったのだと思います。
 
母校のコーチも、Bリーグの仕事も、とても充実したものでした。今思い返しても、学生たちの成長を間近で見れること、バスケを仕事にできることは幸せなことだったと思います。でも、父のことを考え、実家の家業を継いでくれた双子の弟からのアドバイスもあり、新しい道に進むことにしました。
 
 


・・・でも、現実は厳しく、Bリーグのトライアウトを受けましたが声がかかることはありませんでした。僕の実力を考えたら至極当然のことです。ただ、自分の中では今が一番上手いと思っていても、可能性があると思っていても、可能性は限りなくゼロに近かったです。というか、ゼロでした。「ああ、本当にあの人に言われた通りになってしまったなぁ。自分は夢を見たかっただけなのかなぁ」そんな気持ちになりました。
  


「小豆島ストーンズ」に興味を持ち始めたのは、ちょうどその頃です。

有名なバスケYoutuberの「ハレルヤさん(Be a baller)」がコーチをしている(今は別のチームでコーチをしています)ということで、前から知ってはいましたが、本格的に入ることを視野に入れて調べました(同じ四国にいるハレルヤさんとは仲良しで一緒にバスケをしたり対談をしたりしています)。そして、2月20日にトライアウトを受けて合格し、チームに入団することになりました。それが今から4ヶ月前の話。
 
 
 
小豆島ストーンズは、
 
「夢中のキッカケをつくり続ける」
 
という理念の元、活動しています。

夢中のキッカケをつくり続ける


この言葉は、あの時の僕にとても響きました。この理念、とてもすてきだなと思っています。夢中になっている時って、人はたぶん最強だと思うんです。時間も空腹も睡眠も忘れるくらい没頭できるものがあるかどうか。これは人生のクオリティーに大きく影響することなんじゃないかなと思います。いや、きっとそうでしょう。今、僕は、まさに「夢中」でバスケをしています。皆さんは今、何かに夢中になっていますか?
 
 
小豆島ストーンズは「ローカルプロ」として活動しています。小さな小豆島の中には、スポーツチームが一つしかありません。僕らは地域の皆さんの協力のおかげで、週5回も、島で一番綺麗な体育館で練習させてもらっています。その恩返しとして、子供たちにバスケットボールを教えるスクールを運営し、地域の皆さんにスポーツの楽しさを教えるために運動教室や卓球教室などを行い、地域のイベントに参加したり、地域のイベントを主催したりしています。

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練習試合をすれば、島民の方が体育館に足を運んでくれます。今はまだ30人ですが、それでもプレーを見てくれる人がいること、一つのプレーに対して拍手を送ってくれることは、バスケットボール選手として本当に嬉しいことです。この島では僕たちは子供や島民の方から「選手」として見られています。応援していただいています。
 
小豆島には大きな企業が少なく、トッププロのように大きなスポンサーを獲得したり、チケット収入を得られるほどの資金はないので、バスケだけで飯を食っていけるチームではありません。地域の協力企業で就労しながら、いつも使わせてもらっている体育館の清掃をしながら、週5回の練習を行っています。
 
 
僕は今年で30歳になります。過去に大きな実績を残したことはなく、国体選手にかすったことすらありません。身長も170㎝、足も速くないし、ジャンプ力もない。そんな僕が、これだけ本気でバスケをさせてもらえているのは本当に有り難いことだと感じています。
 
このチームを作ってくれた創設者の方、チームを支援してくださっている企業の方、練習や試合をサポートしてくれるマネージャーの方、みんなの意見を受け入れてくれるコーチ、バスケにいつも本気なチームメイトたち、応援してくれる島民の皆さんや子供たちのおかげです。
 
 
こっちに来てから、何度も思うことがあります。
 
「こんなに幸せなことはない」
 

 
トッププロと比べたら資金面で苦しいことはたくさんあります。バスケの実力で言っても、周りの地域リーグのチームと比べたら大きな差があります。プレーしている中でミスをすること、何もできずにボコボコにされて負けることもあります。でも、この歳になって、こんなに本気でバスケができることは本当に幸せなことだと感じています。そして、そう感じる時、同時にこうも思います。

「だからこそ、もっと多くの人の役に立たないと」


前の会社でお世話になった皆さん、コーチとして関わっていた学生たち(母校のコーチは教え子が引き継いでくれました)にはたくさん迷惑をかけました。その分、ここで今まで以上に多くの人の役に立たないといけない。そう、いつも思います。
 
僕らのチームは、それぞれの目標をもちながらチームとして活動しています。Bリーガーになりたい、この島でバスケの事業を立ち上げたい、スポーツを通して地域起こしをしたい、ローカルプロという形を地元で再現したい、海外のチームを小豆島に呼んで試合をするような他にはない面白いチームを創りたいなど、様々な想いをもったバスケットマンが全国から集まっています。

じゃあ僕はここで何を目指しているのか?

 
僕はバスケの情報発信者との繋がりがありますが、僕が知る限るだと、僕ほどバスケをプレーしている発信者は他にいません。Bリーガーも情報発信はしていますが、僕のようにコミュニティを運営したり、戦術や個人技術を解説したりといったことはしていないと思います。僕がここでやっていくことは決まっています。
 
「誰よりもバスケをプレーする情報発信者であり続けること」 
 
 
僕は一番身近なバスケ仲間たちから「バスケ小僧」って呼ばれることがあります。この歳になって「小僧」と呼ばれるのはどうなんだろうと思うこともありますが、たぶん、そのまんまなんだと思います。バスケをしている時の僕は。
 
僕は昔から何時間でも練習できます。バスケを始めた時から「上手くなりたい」という気持ちがずっとあります。社会人になってから「バスケが上手くなったところで何か意味があるんだろうか?」という哲学的なことを考えることもありました。でも、そこにあったは「上手くなりたいから上手くなるんだ」という子供みたいな気持ちでした。なんでかはわかりません。ただ、下手になりたくない、衰えたくない、もっと上手くなりたいという気持ちが今でもあります。
 
 
ただ、さすがに、この歳になって「ただ上手くなるだけ」では寂しいとも感じます。上手くなっても誰にも見られず、誰にも影響を与えられなければ、それは無人島で自主練をしているのと一緒ですよね。この歳になって、ただ上手くなって喜んでいるだけだったら、それこそ「子供すぎる」でしょう。
 
実際にプレーしてみてわかることって、本当に沢山あります。ネットがあれば知識がいくらでも学べる便利な世の中ですが、大事なのは実践すること。知識は使えなければ価値がありません。どんなに良い技術も、チームの土台がないと発揮できない。どんなに良い戦術も、チームに合わせないとただの形になる。チームを創ること、5対5の中で活躍すること、バスケが上手くなることは、簡単なことじゃないなとこっちに来てから強く思います。これはきっと、他の情報発信者よりもバスケをプレーしている僕だからこそ伝えられることのはず。
 
 
これからも僕は情報発信をし続けます。
正直、情報発信とプレーの両立は難しいです。自分が言っていることができていなければ説得力がないから。かといって、実力がない僕が「結果」を伝えようと思っていたら、情報発信はどんどん先延ばしになっていくでしょう。その時間がもったいない。大きな実績がない僕だからこそ、実践していく「過程」を共有していくことに意味があると思っています。実践をベースに、自分の学びを皆さんにシェアして、皆さんと一緒に面白いバスケを創っていきたいと思います。
 
 
 
最後に。
 
小豆島に行く前に、高校時代の恩師(宮下さん)と数年ぶりに会ってお話をさせてもらったのですが、宮下さんはこんなことを言ってくれました。


「つよし、これはな、最近わかったことなんだけどな、自己実現が最大の社会貢献なんだよ。だから自分がやりたいと思うことをやれ。自分が何かに没頭していけば、それが結果的に社会貢献になるから。自己満足でやっていることは、実はもの凄い社会貢献なんだ。下手に社会に貢献しようなんて思わなくていい、中途半端に。おれが社会貢献したいと思って今までやってきたこと(海外業務の仲介)は、結局は自己満足さ。社会貢献しようと思ったら思いつくものは限られてくるだろう?だから、やりたいことをやればいいんだよ。自己実現を追求することはぜんぜん自分勝手じゃない。これが65になって気づいた俺の人生観だ」
 


宮下さんの言葉を素直に受け取り、まずは自分が夢中になれることを精一杯やりきろうと思います。今回の選択が正しいものかはまだわかりません。でも、良い選択になるように、誰かの夢中のキッカケをつくり続けられるように、多くの人に面白いバスケを届けられるように、本気でバスケをして本気で情報発信をしていきたいと思います。
 
 

現在、Facebook上で「バスケの学校」を運営しています。

バスケの学校

ここでは、「世界に通じるバスケットボールの雛形を体系化させる」という目標に向かって、日々の学びを共有していて、参加と同時に過去の動画コンテンツをまとめてお渡ししています。この場には、僕の兄弟をはじめ、高校時代のチームメイト、地元の知り合い、情報発信で知り合った全国のバスケ仲間たちが参加してくれていて、これからもっと大きなコミュニティにしていきたいと思っています。

「バスケの学校」に入学する
 


トッププロではありませんが、ローカルプロとして、誰よりもプレーする情報発信者として、これからもバスケと情報発信を続けていきます。そんなわけで、これからもよろしくお願い致します!
 
編集しないといけない動画や投稿したいことが溜まりにたまっていますが、一つひとつ形にして共有していきたいと思います。質問やご意見があれば気軽にコメントしてください!LIVE配信も行っていくので、ご都合が良い時に参加していただけたらなと思います。そして、いつか、実際に体育館でお会いできる日を楽しみにしています!


それではまた別のストーリーをnoteに投稿します。お楽しみに。





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