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基本を求める力

あらゆる芸術に「基本」はある。ただ、演劇の場合「基本」ほど、身につき難く、ないがしろにされるものもない。そこにはいくつか理由がある。
同じ舞台芸術のバレエ、舞踊、オペラなどでは「基本」が無ければ話にならない。身体を使うということでいえばスポーツもそうだ。文学では言葉・文章。音楽では音感・譜面。造形や絵画ではデッサン。……だんだん怪しくなってくる。ブレイクダンスやヒップホップは? ラップに譜面は必要だろうか。Eスポーツもある。どれも「基本」より圧倒的に「センス」が求められる。
実は「基本」への懐疑は今に始まったことではない。ピカソはどんな「基本」からキュビズムに目を開いたのか。ウォーホールや村上隆、バンクシーは? そもそも現代美術はデュシャンの『泉』に始まった。便器を逆さに置いたのは当時、絵画の「基本」が作り上げた「既成概念」への不同意表明だ。では、演劇の場合は?
わが国には能があり歌舞伎がある。西洋リアリズム演劇の移植は様式や技芸伝承への批判から始まったとされるが、能や歌舞伎の演技法に世間が圧を感じるほどの「既成概念」があったとは思えない。この辺は戦後のアングラ演劇登場の時も似ている。『新劇』を「敵」にし、情念、身体、あるいは見世物の復権を謳い社会事象となった。『新劇』に既成概念たるほどの「基本」があったのだろうか。新しいものが生まれる時、先ずあるのは「発想」だ。私事で恐縮だが、筆者の世代はさらに後の小劇場ブームのただ中、演劇に目覚めた。それこそ「発想」ばかり。お互いの「発想」を眺め、感心し、嫉妬し、アラを探して自分の演劇を探してきた。
もちろん、これから演劇の道を進もうとする皆さんに「基本」より「発想」だ、とか、「基本」などいらない、と言っている訳ではない。「基本」はまず、外からの刺激によって目を覚ますという事だ。既成の何かへの違和感、非達成感が高じてその正体を探し始める。一体なにが敵の「基本」なのか。勝負のためにはどんな「基本」を持つべきか。リアリズムの「基本」スタニスラフスキー・システムもそうして作り上げられた。当時のチェーホフを演劇界では誰も認めていなかったからだ。別に敵でなくてもいい、立派な先達に少しでも近づきたいと思ったら、やはりその人の「基本」を見据えなければならない。「基本」は初めからそこにあるわけではない、求めて初めて「基本」という考え方も「基本」そのものも顔を出す。
抽象的になったかもしれない。もう少し別の角度からも考えよう。
リアリズム演劇の場合、ドラマは関係の変化によって進む。「人物」と「人物」あるいは「人物」と「他の何か」。この関係の変化は「会話」によってもたらされる。ここで発声、発語、滑舌、呼吸といった「基本」が顔を出す。が、世間には滑舌の良くない人も多い。つまり、そういう「役」も多々あるということだ。滑舌完璧の人物像はたぶん面白くない。同じことは「身体」や「姿勢」「所作」という基本についても言える。舞台での立ち姿は真っ直ぐな方がいい。が、演ずる役もそうとは限らない。姿勢のいいリチャードⅢはいかがなものか。「会話」「発語」「物言う術」については更にややこしい。正しいことを正しく伝える人など世の中には皆無に近い。含みや嘘、思惑があるから会話は面白い。
つまり「基本」は、演劇の場合、そこに忠実でありさえすれば何とかなる、というものではない、という事だ。しかし同時に、どれ程声や滑舌を工夫しても台詞の内容が観客に伝わらないのでは意味がない。姿勢が曲がっていてもそれが美しく見えなければならない。演技が優れている、ということは観客の中にそのように存在するという事だ。これもまた「基本」と考えた方がいい。
事程左様に「基本」はとらえがたい。これはきっとマニュアルではないからだ。しかし、求める者の前にはきっと姿を見せてくれる。一人一人が、いい舞台、存在感のある俳優を見つけ、ああなりたい、どうしたらいい、あるいは超えたい、勝ちたいと思った時に「基本」は姿を見せてくれる。
(2023.12 演劇雑誌テアトロ俳優・タレント養成ガイド「なぜ基本が大切なのか」より転載)

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原田一樹 プロフィール
劇作・演出・美術・翻訳・俳優養成講師
劇団キンダースペース主宰
ワークユニット監修・演出
東京都出身。早大在学中、鈴木完一郎氏(青年座)の元で演劇活動を始める。
〈演出〉劇団キンダースペース、俳優座、昴、文化座、東演、名取事務所、音楽座、静岡文化芸術センター、さいたま芸術劇場等。
イプセン、チェーホフ、モーム、ミラー、ポー、三好十郎、三島由紀夫、矢代静一、オリジナル「モノドラマ」他
〈演劇・俳優講師〉NLT俳優養成所。スターダス21。テアトルエコーアカデミー。俳優座演技研究所。桐朋学園、静岡文化芸術大学。鳥取大学。石川県、船橋市などの市民劇団の指導、演出。


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