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羽が取れた万年筆

「それが気になったんですか」
 びっくりして声がしたほうを向くと、髪をポニーテールに結った綺麗な人が私を見て微笑んでいた。
 男の私がじっと見ているのも悪いと思って、視線を羽ペンに戻して、はい、とだけ言った。
 細身でスラッとしていて、身長は女性にしては高いほうだ。ポニーテールを結っていても、少したれた大きな目がかわいい。
 「それは、羽が折れた万年筆なんです」
 澄んだアルトの声でその人は言った。

 私は、取り立てて変わらない毎日を、ただただ過ごしていた。仕事の日は、朝起きて準備をして、かわりばえのしない仕事をこなして、家に帰る。スーパーで値引きされた弁当やおかずを横目に見ながら、ネットで面白そうな動画を見る。
 テレビは以前よりつまらなくなったので、もうずいぶん長い間見ていない。ニュースも暗い話題ばかりなので、テレビでもネットでも見るのをやめた。
 このまま人生が終わるんだろうな。
 このままやりたいことも見つからず、こんな日々を繰り返して生きていくんだろうな。
 休みの日も、いつもより遅く起きて、貯まった洗濯物を片付け、掃除して、疲れたら昼寝して、そうしている内に夜が来て、一日が終わっていく。
 友だちはもう、ずいぶん前に結婚して、仕事も忙しくなり、もう何年も会っていない。
 最近の楽しみといえば、スマホで見るライブアプリくらいだ。
 小さな画面の向こうで、歌を歌い、画面のこちら側にいる私たちと話をしてくれる。キャンペーンで上位になって喜ぶ姿、あと一歩で上位になれずに涙を流している姿。
 画面の向こうの人たちは必死に生きている。
 好きな歌を歌い続けたいから。好きな楽器を演奏していきたいから、好きな物を作り続けたいから、誰かのためになりたくて占いをしていたいから。
 そんな人たちを応援したくなって、何が悪い。
 私ができなかったことを、あきらめたことを、懸命にやっている人たちを応援して、何が悪い。

 今日は、休みだったけど、特にやることもなかったから、たまにはと思い、大型書店に行った。雑誌の表紙を眺め、漫画コーナー、ビジネス書コーナーに並ぶ本の背表紙や平積みされている本の表紙を眺め、文芸書のコーナーに入った。
 人気作家の本と注目の新刊、書店員すすめるが平積みされている。
 取り憑かれたように本を読み続けていたあの頃から売れ続けている作家の新刊が目にとまり、手に取った。
 ああ、このシリーズ、まだやってたのか。
 シリーズを通して、表紙の絵は同じ人が描いている。カバーの装丁は、あの頃よりこのシリーズに合ったものになっている。
 表紙をめくると、他の単行本とは違う紙を使っていた。この人らしいこだわりだなと思いながら、冒頭を読んだ。
 一文目から、すぐにこの人の文章だとわかる。
 すっと物語の世界に引き込まれていく。
 私は本を閉じ、文庫のコーナーに向かい、シリーズで最後に読んだ次の本を棚から取り出した。
 どうせ時間ならあり余っている。久しぶりに読んでみよう。
 書店を出て、なにか軽く食べてコーヒーでも飲もうと思い、店を探していたら、カフェのような店が目に入ったので、確認もせずに中に入った。
 薄暗い店内。棚には光が当たっているところもあり、様々な小物が照らされていた。カフェだと思って入った店はカフェではなく、小さなアンティークショップだった。

「それ、お買い上げになりますか」
 現実に戻され、思わずその人を再び見た。さっきまでいなかった白猫が、カウンターの上で丸くなっていた。
 私がなぜか気になって眺めているのは、一本の万年筆だ。隣にケースがある。万年筆は銀製で錆びていない。ペン先は金色だが、本物だろうか。羽が取れたと言ってたのでよく見ると、軸の端に穴が空いている。そこに羽を差すのだろう。
「もしお時間があるのでしたら、そのペンにまつわる話を聞きませんか」
 時間はあり余っている。ペンの話にも興味があったが、女性の声も聞いていたくて、私は、はい、と返事をした。子供が母親に言うように。

 その万年筆は、ヨーロッパのある国の、今はもう名前も忘れられた作家が使っていたものなんです。
 そういえば、さっきから外の音が聞こえない。
 店内の空気が静寂に包まれた感覚を覚えた。
 女性が目を閉じて話し始めた。

 その万年筆の持ち主だった男性は、劇作家を目指していました。
 定職にはつかず、劇作家になるには多くの経験したほうがいいと、様々な仕事をしながら生活のためのお金を稼いでいました。
 そうして稼いだお金を貯めて、少しは作家らしくあろうと、知恵のシンボルであるフクロウの羽がついた万年筆を買いました。
 ギリシャ神話のアテネの使者や化身であるフクロウの力を借りて、劇作家として名をはせよう。彼はそう決心して、それまで以上に、来る日も来る日も作品を書き続けました。

 しかし、何年書いても、彼の本は誰からも認められず、しだいに情熱を失っていきます。
 自分には才能がないのか。もう、あきらめるしかないのか。
「何が知恵のシンボルだ。何が女神アテナの化身だ」
 彼は万年筆からフクロウの羽を力いっぱい引き抜こうとしました。
 羽はすぐに取れましたが、彼が力を入れすぎたために折れてしまいました。
 彼はだんだんと書くことから遠ざかり、仕事もしなくなり、貯金を切り崩す生活を始めます。

 しかしもちろん、そんな生活をいつまでも続けられるはずがありません。
 貯金が底をつく前に、彼はまた働き出しました。

 ある休日、彼はやることもなく散歩をして、一軒の家の前を通り過ぎようとしていたとき、立ち止まりました。
 母親が小さな子どもに本を読み聞かせていたのです。
 それを見ていた彼はふと思いました。
「劇作家にこだわっていたけど、物語を書いてみるのもいいかもしれない」
 彼は来た道を急いで戻り、途中の店でインクを買い、家に戻りました。
 折れた羽を万年筆につけ、インクをいれ、物語を書き始めました。大人へではなく、小さな子供へでもなく、これから大人になろうとしている子供に向けて。

 はじめは勝手がわからず、しばらく書いていなかったこともあり、なかなか自分が思うようには書けませんでした。
 でも、彼は今度はあきらめませんでした。
 何度も何度も書いたものを捨て、それでも、何枚も何枚も書き続けました。

 ある日、彼は真っ白な紙を見つめ、折れた羽がついた万年筆を握りしめながら目をつむっていました。
「今まで俺は、自分が書きたいことだけを書いてきた。形や書き方や技術だけを学んできた。でも、いちばん大切なことを忘れていた」
 彼を目を開け、深い呼吸を一つ、つきました。
「流行りが大事なんじゃない。傾向が大事なんじゃない。形や書き方や技術はたしかに大切だ。でも」
 背筋を伸ばし、姿勢を正して、もう一度深い呼吸をしました。
「一番大事なことを忘れていた」
 万年筆を握りしめながら、上を見ました。彼の目には、天井の向こうに広がる星空が見えていました。
「自分の物語を、自分の世界を、読んでくれている人に向けて書くってこと。読んでくれた人に楽しんでもらうこと。何よりも、それが一番大事なことじゃないか。
 自分の話ばかりする人の話を聞きたいか。いや、俺なら聞きたくない。
 自慢話ばかりする人の話を聞きたいか。いや、まっぴらごめんだ。
 そうか、俺はこんなことを忘れていたのか」

 それからしばらくして、彼の物語を読んで楽しむ人が、彼の物語を読んで涙を流す人が、彼の物語を読んで感動する人たちが出てきました。
 彼は有名作家にはなれませんでしたが、他の仕事をしながら物語を書くことで生活できるくらいは、人々に読まれるようになりました。

 女性は目をそっと開けた。綺麗な目だ。すべてを見られているような目だった。
「これが、この羽が折れた万年筆の物語です。万年筆の隣の、ケースのふたを開けてみてください」
 私はふたを開けた。
 そこには、折れた羽が入っていた。
 万年筆を手にとって見る。思っていたよりも重いが、書くときのように握ってみると、私の手にしっくりとなじむ。
「いかがですか。お買い上げいただけますか」
 女性に値段を聞くと、思っていたよりは安かったが、それでも私には手が出ない価格だった。
「分割払いもできますが」
 クレジットカードではなく、毎月、店に持ってきてほしいと言われた。今時珍しい店だなと思ったが、それなら買えなくもない。
「これをください。でも、いいんですか、私は今は払います。でも、もう二度とここへ来ないかもしれないんですよ」
 そう言うと、女性は微笑んだまま言った。
「お客様なら、そんなことはしないと判断しました」
 私は、今月分を支払い、店を出た。
 ドアを開けたとき、後ろから猫の鳴き声が聞こえたような気がした。

 書店から買ってきた本を閉じた。
 久しぶりに読んだシリーズ物の続きはめちゃくちゃおもしろかった。 
 こんな物語をかける作者がうらやましかった。ここまでではなくても、作家を目指して書いている人が、プロの作家にはなれないと思いながらも自分の物語を書いて、投稿サイトに作品を上げている人がうらやましかった。
 そして、どうしようもなく自分に腹がたった。
 
 私は、すぐにパソコンを開いた。椅子に座り、パソコンの隣に折れた羽をつけた万年筆を置いた。
 子供の時から本を読むのが好きだった。
 いつしか自分でも書いてみようと思い、書いたものを友だちに読んでもらうようになった。ああ、あれは中学生の時か。
 友だちはおもしろかったと言ってくれた。次も書いたら読ませてくれと言ってくれた。
 はじめは付き合いで言ってくれたんだろうと思っていたけど、しばらくすると、まだ書かないかとさいそくされた。
 読んでくれる人が一人、また一人と増えた。
 私はそれが嬉しくて、書き続けた。

 将来は小説家になろう。
 そう思い、多くの本を読み、小説の書き方の本で勉強し、読んだことがない本や、読むのをためらっていたジャンルの本も読むようになった。
 そして、自分の物語を書き、新人賞に応募するようになった。
 しかし、結果はいつも二次選考止まり。
 小説の新人賞は三次選考を突破した作品だけが、最終選考に残る。
 何年間、そんなことが続いただろう。
 私は、どうしたら賞を取れるのか、それを重視し、読んだ人を楽しませることを忘れていったのだ。
 やがて、何を書けばいいのか、何を書きたいのかもわからなくなり、気がついたら書くことをやめていた。

 もう一度。
 もう一度書こう。
 新人賞に送るのは、それだけのものを書いたと思えたときでいい。
 短い物語でもいいから、誰かに楽しんでもらえる物語を書こう。
 ふと万年筆を見ると、羽が光ったように見えた。
 まあ、きっと気のせいだろう。
 さて、今の私に、どんな物語が眠っているのか。
 長い間眠っていた自分を起こしに行こう。

※この物語は、Kindleで販売中の『小さなアンティークショップ』のスピンオフとして書きました。本編をご存じない方にも楽しんでいただけるよう書きましたが、興味を持っていただいたなら、↓リンクより直接、Kindleのページに飛べますので、よろしくお願いします。

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