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OLD MAN SAID (仕事・こころのヒント@ランダム)

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人生・仕事・コミュニケーション・こころのヒント書きます。
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2018年8月の記事一覧

認知するということ。

八月は誕生月でしたが、平成終わりのその日は、静かに過ぎ去りました。インターネットに関わっていると、スピードが速すぎてついてもいけません。乗り遅れないようにと頑張ったところで、こちらは蒸気機関車、あちらはロケット、追いつくこともなく、駅に取り残されます。 けれど、いいんです。蒸気機関車でしゅっぽしゅっぽと進んでいけば、チンチン電車でゆらゆら揺られながらも進んでいけば。 なんなら、歩いて行くことができれば、それでいい。 最新の科学に疲弊するよりも、体力つけて、足腰鍛えて、頭

岩波。

今、アランの「幸福論」を読み直していました。 幸福論という題名を持つ本は多いです。アラン、ヒルティ、ラッセルの三人のものは有名です。 たぶん本棚をひっくり返せば、三人の幸福論があるはずです。 幸福論を唱えられる人というのは、たぶん、不幸と幸福の両方を味わったことがある人だと思います。 何より、幸せは自分自身でしか得られない。他人がどうのこうのでは決してない。さらに、得ようとしなければ幸福にはなれないと書いてあったように思います。 古い人が書いていますが、ぼくにはよく

幸福への一歩。

床の拭き掃除すると、健康になれる理由。 1、部屋が綺麗になるから 2、運動になるから 3、腹ばいになって動くことで、余計なことを考えないから ということです。ほんとうです。 自分のことなど考えないで、他人のことなど考えないで、ひたすら目の前のことに集中して、しかも体を動かしておけば、幸福に近づきます。 #エッセイ #コラム #幸福論 #人間関係 #コミュニケーション #コンサルタント各位

ありがたく、使わせてもらってます。

ぼくのプラットホームはインターネット上にないです。実際はインターネットを使ってはいるけどです。 多少古い人間で、ウインドウズ95が出た頃は、もうわりといい歳になっていました。 その後、スマホが登場してからは、ここに居場所はないと思いました。 でも、文章を書くのだけは、やめられなくって、インターネットを使わせてもらっています。 一人の人に届けばいいと常に考えて、書いています。 そうですね、今日は自分に向けて書いています。 使えるものは使わせてもらおうと。 インター

そのままでも、変われる。

記憶は曖昧です。記録が改ざんできるように、記憶も上書きでなんとでもなります。事実でないことを親から聞かされ続けたり、事実だと思っていることが実は自身の思い込みでそうなっている。それらはとても多くあります。 たとえ、記憶が事実でなかったしても、それで良しとしているなら無理に事実を知ろうとしなくていいです。なぜなら、記憶そのものは捻じ曲げられて自分の楽な方にすり替える心理が働くと思うからです。思い出としての記憶が素敵ならばなおさらです。 今現在、嫌なことがあっても、人間万事塞

よくやったね。

今日もいちにち十分に動いたと感じたら、いちにち十分に働いたと感じたら、いちにち十分に考えたと感じたら、たいそう凄いことです。 できないことがあっても、できたことがある。 たいそう凄いことです。 まずいものを食しても、美味しいものも食べた。 たいそうな、いちにちです。 できていないことばかりを指摘されても、それは辛いです。 できていることを評価してくれるだけで、嬉しいです。 よくやったね、 と。 #エッセイ #日記 #人生 #生き方 #人間関係 #コミュニケーション

楽しい姿。

親孝行は親が生きている間にしたいのだが、もう随分前にいなくなっている。34歳の時点で、すでに両親がいなかったから、まあ仕方ない。できる孝行といえば、多分あの世で見ているだろうと仮定して、今の自分が楽しんで生きている姿を見せることだと思ってきた。 それは多分間違いない。 自分の子供たちがトラブルにあっているのをみるのは辛いはずである。生きていたらなんとか知恵や手を貸すことができる。あの世からは見守るしかないのだ。 それを思えば、どんな時も自力で解決し、困難を乗り越え、幸せ

トンネルから抜け出すには。

台風が近づいています。備えて、あとはお任せするしかないのが、自然への心得です。 仕事や人生も、それと同じように備えるだけは備えて、あとはお任せするのが気持ちも楽でいいです。 まあ、仕方ないものは仕方ない。関西弁では「しゃあない」と申します。 「そんなんしゃあないで、次いこ」 これがいいような気がします。 やることやったら、次にやること始めます。 これの繰り返しで、いつの間にか、停滞から抜け出すと思います。 台風のように、向こうが過ぎ去ってくれます。 #エッセイ

もうやーめた。

人は有限の時間を有している。無限ではないから、時間がもったいない、生産性を上げる、そのようなことに躍起になる。 有限な時間だからこそ、時間を無駄に使って楽しんでもいい。 無為に過ごすと、気を塞ぐこともある。それは自分の意識がいろいろなところに飛んでしまうからである。 でも時や人の流れを感じながら無為に過ごすと、何かに出会ったりする。 為さないこともありかもしれないと、感じた。 #エッセイ #日記 #人生 #生き方

体を動かしたら、気持ちも回復した。

今朝、とうとうバテたかなと思った。7月からの猛暑、お盆休みの移動、寝不足、いよいよ体がうまく機能しなくなってきた。ああ、仕事するのを躊躇するなあ、あんまりいきたくないなあ、と思った。朝になれば行くしかないので、出かけた。いつものように、スタバのドライブスルーに寄り、セブンイレブンで少し食材を買い、仕事場に入った。 朝から体を動かす仕事がある日だったので、せっせせっせとすべきことをやった。 いつのまにか、しんどさという思いがなくなっていた。 体の疲れはある。 でも心の疲れは

ちゃちゃっとできる人はその道が得意です。

今あるものを使って、ちゃちゃっと作ってしまうのが好きです。 たとえば、冷蔵庫にある食材を使って一品を作るのは得意です。 これができるのは、料理の基礎を知っているからです。 一つの食材を、焼いたり、煮たり、ゆで上げたりする調理法をたくさん試しているからです。 料理に欠かせない調味料をある程度揃えていることも関係します。 ちゃちゃっと作るには、膨大な情報と技術を含んでいるからできることなのです。 絵をちゃちゃっと書ける人を羨ましく思います。 ピアノをちゃちゃっと弾ける人を尊

客観的に主観を書くことが難しいです。

ブログというものも、楽しんで書かないと、いいものができないと感じている。 義務的に書かなければならない事情でもない限り、気持ちよく書きたいといつも悩む。 義務的に書かないといけない文章の一つが、報告書の類だ。報告書は書くことの決まりと書く文字数の制限がある。最低限書かなければならない事実、書かなくてもいい感想、あれこれと考えながら書くので時間がかかり、疲れてしまう。 ぼくが会社務めの時には、報告書は箇条書きにした。しかも事実だけを書いて、感想は一切書かなかった。その代わり

視点をたくさん持てること。

そうか、そういう手があったか。 ことが終わってから思い出す場合と、最中に閃くのと大きな差がある。でも、違う手を見つけることはとても良いことだと思う。 実際の出来事でもゲームでも、手を多く見つけ出すことで、局面を打開できる。あの手この手、たまには猫の手でも、使えるものは使って試してみるといいかもしれない。 PDCA(プラン、ドゥ、チェック、アクション)というものも、アイデアが湧かない限り、試せない。プランはいく通りも見つけ出さなければ、最善のものは見つかりにくい。 手は

朝に活動してます。(したいです)

契約の仕事は今日まで休みをいただいています。朝ゆっくりできるわけで、朝の方が圧倒的に、頭も冴えているし、メンタルもハートもしっかりしています。 いつもは、書くことも朝がいいのがわかっているので、しごとの合間を見て書き出すのですが、どうも途中で案件が入るので、書くことを中断して、感じたことや書いて見たいことを忘れて、結局夜に更新ということになります。 契約の仕事がない時も朝早めに起きて、考えること、感じること、書きためること、アイデアを出すことに、精を出します。 朝は本当