仕事についての走り書き

Noteで期間中に5記事掲載すると何か貰える(かも)らしいので軽い気持ちでチャレンジしてみる。

私は大学卒業後、現在の職場に10年近く勤めている。入社当初は「お客さまのために!」みたいなキラキラとした気持ちで取り組んでいたのが、現在では「金だけよこしな^ ^」というだいぶくすんだ気持ちに変貌している。その理由もだいたいあたりは付いているので、本稿を機に振り返っていきたい。

1.フリーライドし得な組織

私の会社は成果主義とはかけ離れた評価制度になっている。言わば重度の年功序列主義とでも言おうか、勤務年数に応じて自動的に役職が与えられる。厳密にはちゃんと仕事をしなければ管理職までになることはできない。ただ、私は定年直前にして管理職になれなかったクソ社員が羨ましくてしょうがなかった。彼は全く仕事をしない人間で、何か言葉を発するかと思えば、自分が仕事をしないで良い理屈と問題が起きたときの言い訳に終始していた。新入社員ですら何かしらやる仕事はあると言うのに、彼はパソコンの前で腕組みをしてずっと座っており、パソコンは大体スクリーンセーバーになっていた(ここまで何もしないでいられるのは逆にすごいが)。
こういう人間がいるとどうなるか。上司は彼に仕事を振らなくなる。その埋め合わせは周りでやっていくことになるというクソみたいな不条理が発生。対する彼は仕事をしないことで、仕事ができないやつとレッテルを貼られ、仕事をしないで済む。逆はどうか。意欲的に仕事をやる人はいるが、結局もらえる対価は同じ年次の職員と大差ない。どちらがなりたい職員の姿だろうか。残念ながら私は前者だ。全く一緒になりたいとまでは思わないが、「あまり仕事できないやつ」という認識を持たれ、キツイ仕事は与えられず、定時で終え切れるだけの仕事をやっていきたいのが本音だ。仕事に対するプライドや意欲もさしてない。それだと管理職になれない?残業代も支給されず部下の管理まで責任を負う役割に魅力は感じない。
そのあたりのことに気づく前に、私自身は「仕事ができる奴」のレールに乗っかってしまっており(思い違いと信じたいが)、正直割を食っているようにしか思えない。今ではレールを乗り換えられるタイミングを常に見計らっている。

2.現場知らずなトップ

うちの会社の社長も嫌いだ。そもそも生え抜きの社員では無い。1万歩譲ってこれが関連会社から来たお偉いさんなら理屈はわかるし、多少なり会社の実態に即した地に足が着いたことを言うだろう。うちの会社の社長は全く他所から来た門外漢なのだ(なぜそういう人物がトップになれるかはここで説明できないのだが、先の年功序列的会社であることと関連付けられると理由がわかる方もいるかもしれない)。彼がトップだからなのか、打ち出される会社の今後の方針は見当違いも甚だしく、現場ではやるべきことは見えているのに、当のトップは外部からの目を気にした陳腐なキャッチコピー付きのイメージ作りの仕事ばかりを生み出していく。現場はやるべき仕事を進めながら、トップの思いつきの仕事もやらないといけないという負担を負っている。このような点でも仕事への意欲低下を招いている。

3.報われない仕事

ここ最近の仕事はやっても何も結果を生まないものが増えた。成果主義でもないので仕事自体が報われないこと自体にダメージは少ないが、やっても何も結果が生まれないのであれば、やることに対するむなしさを募らせるだけになっている。賽の河原の石積みのようなものだ。しかし、やること自体に意味があるようなもので、検討した結果ダメでしたという過程を必要としている。そのためやらなければならない仕事ではあるのだが、最初からある程度結果が見えていながら、必要以上に検討に時間を要し、何も生まない仕事とは精神的疲労が相応にある。

以上おおまかには3点ほどの理由があり、仕事に対するプライドは意欲は地に落ちた。現状の職場では私自身も働き方を変える必要があると考えている。

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