年子3人忘備録13
【前回のあらすじ】 3歳になるあーさんを幼稚園のプレスクールにぶっ込み、母の社交性でさらに子育て仲間の輪をひろげる。
みーこは好き嫌いせず色々なものを食べていたおかげか、プレスクールに通う頃、あーさんとみーこの背丈は同じだった。よく双子に間違えられたが、丸一年違いの年子と説明する私の胸にはイニシャルDがくっついており、聞く方も話す方もなんだかバツが悪かった。
このバツの悪さは今も尚健在で、お子さんおいくつ?の質問に、20、19、18と返答するのだが、決まって5秒程度の脳に通す時間があり、皆さまが「えっ!3人年子なの!」とおっしゃるリアクションを受ける芸歴18年になる。
なぜだろう、年子と聞くと皆さまちょっと哀れんでいるような、ちょっとおいおいと言いたげな、そんな表情を浮かべる。同じ3人でも、9歳、6歳、3歳、の回答のリアクションとは違うような気は今だに感じている。
しかし、年子は大変なことだけではない。時短や効率を人生で重視している私にとっては、誠に好都合だ。例えば、長子が高校、2番目が中学、3番目が小学生といった年が離れているが故に起こる3人が違う生活リズムに、私は対応するツールを手に入れていない。幼稚園では全ての学年に我が子がいる、小学校では3人いるのに8年で全員が卒業。母は「思い出す」という脳内努力をせずともリピートで行動すればよいという素晴らしいカードをもっている。運動会にいたっては、、、この話はもう少し後に記すことにしよう。
プレスクールで双子と間違われることの多かったあーさんとみーこだが、1年の歳の差とあーさんの脳発達のすざましさで、ワークをやればどちらが姉か認識していただけた。あーさんの脳発達は「天才産んだ?」と思わずにいられないものがあった。
先にも述べたが3歳になる頃には平仮名がすべて読むことができ、さらに、書くこともできた。よって、本を一人で読むこともできた。読み聞かせをするよりも、一人で集中して読みふける3歳児。おそるべしである。
また、音に対しても素晴らしい感覚を持っていた。口ずさむメロディは流れている音と変わらない。「天才産んだ?」とさらに思った。
みーこは体を動かすことが好きだった。オムツがとれた2歳の夏に参加したプールレッスンでは、泣きまくってコーチにずっと抱っこされていたあーさんとは対照的にみーこはいきいきとしていた。この体験がその後18歳まで水泳の選手として生きることになる第一歩だったことは、みーこは覚えていないかもしれない。
イニシャルDは天性の末っ子気質を持っていた。まず人見知りをしない。誰の抱っこでも寝た。話し言葉はイニシャルD語を貫く。「あっふ」=水。「えっふぇ」=友人Y子の呼称。「んー」=ほしい。「えっふぇあっふんー」で、Y子水くれを表現。面白いでしかない。よってイニシャルDの面倒を見てくれる大人は非常に多かった。
少しずつであるが、それぞれの個性が開花し始めた。ほどなく彼らは初めての海体験を常夏の国でむかえる。
つづく
次の更新は今週中を予定。
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