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Happy Women's Map 群馬県前橋市  日本初のバレエダンサー 澤モリノ 女史 / Japan's First Ballet Dancer, Ms. Morino Sawa

-『歌劇と歌劇俳優』(藤波楽斎 著 /文星社大正1919)澤モリノと石井漠


澤 モリノ(本名 澤 千代)女史
Ms. Morino Sawa
1890 - 1933
群馬県前橋市 生誕
Born in Maehashi-city, Gunama-ken

澤モリノ(本名 澤千代)女史は日本初のバレエダンサーです。帝国劇場歌劇部第1期生として「天国と地獄」のキューピッド、「猟の女神」の女神ダイアナ、「瀕死の白鳥」などを踊り、モダンダンスはじめ浅草オペラが盛んになる中でもクラシックバレエにこだわって踊り続けます。
Ms. Sawa Morino (Sawa Chiyo) is Japan's first ballet dancer. As a member of the first generation of the Imperial Theater Opera Department, she danced Cupid in ``Heaven and Hell,'' Diana in ``The Hunting Goddess,'' and ``The Dying Swan,'' and even though modern dance and Asakusa Opera were becoming popular, she kept dancing classical ballet. 

「音楽家の父と母」
 千代は東京音楽学校出身の両親である父・深澤登代吉と母・たけ子の長女として生まれます。一家で音楽修行のために渡米、カリフォルニア州サンフランシスコに移ります。妹・美代が生まれると夫婦仲が悪くなり母は幼い姉妹を残して家出。父は2人の子ども千代・美代を抱えて帰国。地方の師範学校や女学校の音楽教師を務め、作曲しながらピアノ・ヴァイオリンを演奏して生計を立てます。後に軍歌「日本陸軍」のオリジナルメロディーが話題になりますが、千代が11歳の時に無名のまま没します。ほどなく再会した母親は再婚しており、遺された姉妹は日本橋の問屋に引き取られます。お茶の水高等女学校を卒業したた千代は21歳のときに、開設したばかりの帝国劇場歌劇部に応募。親類・恩家の反対を押し切って、応募数400名のうち選抜15名の研究生に加入します。千代は自分の名前に妹の美代の名を合わせた美代を芸名に決めます。

「帝国劇場歌劇部」
 イタリア人舞踏家で振付師のG・V・ローシーにクラシックバレエの才能を認められ「澤モリノ」の芸名を与えられた千代は、喜歌劇「天国と地獄」のキューピッド、夢幻的バレー「猟の女神」の女神ダイアナ、「瀕死の白鳥」などの公演で次第に舞踏家としての頭角を現します。千代は、帝国劇場管弦楽部で第一ヴァイオリンを弾く小松三樹三と結婚、子供にも恵まれます。帝国劇場歌劇部が解散すると、早々にローシーの元を離れてモダンダンスに取り組んでいた石井漠・伊藤道郎らの「新劇場」、ローシーが赤坂に会場させた「ローヤル館」、高木徳子と伊庭孝の「歌舞劇協会」の公演に参加。続いて、石井漠らの「東京歌劇座」旗揚げに参加、浅草の日本館を拠点に活動を始めます。メンバーは舞踊組に石井漠、澤モリノ、河合澄子、服部清子、内山惣十郎、歌唱組に小島洋々、杉寛、天野喜久代、千賀海寿一、宇和間百合子、桂弥太郎、小知情吉ら。千代は3週間の旗揚げ公演で、ミュージカル「女軍出征」、オペレッタ「目無し達磨」、ミジカルコメディ「海辺の女王」に出演。人気に火が付くと、熱狂的な男子学生らが千代はじめ女優の後援会を結成、浅草の興行師らも次々とオペラ公演を始め、千代30歳目前で浅草オペラが幕を開けます。

「瀕死の白鳥」
 ローシーを師として仰ぐ千代はモダンダンスに目もくれずにクラシックバレエに邁進します。しかし公演中に千代の子どもは病気で夭折。さらに夫までも急な病気で世を去ります。千代の不幸な私生活が世間に広く知られるに従って、千代はますます真面目な求道者として観客を引き付けます。関東大震災を経て浅草オペラは終焉を迎え、千代は旅周りの一座に加わって踊り続ける中で俳優・根元弘と再婚して子供をもうけます。ところが旅役者の夫は生まれてすぐの子どもを次々と他人の手に渡し、40を過ぎた千代を捨て満州に渡ります。千代は何とか息子・弘文を取り戻して東京に戻ると、浅草の舞台仲間を頼って浅草式レビューや喜劇の悪ふざけに耐えながら舞台に立ちます。それを見かねた石井漠が千代のために後援会を発足して引退公演を主宰。千代は「瀕死の白鳥」「アヴェ・マリア」を踊ります。まとまった生活資金も集まり、石井漠の研究所の教師として息子と暮らす手はずを整えた矢先、突然夫が現れて千代を大連公演に誘います。千代は妹に預け7・8人で一座を汲むと周囲の反対を押し切って満州へ渡ります。満州事変間もない大連は客入りが悪く、朝鮮の平壌に渡って松竹映画館の舞台金千代座で興行を始めます。その初日の「瀕死の白鳥」を踊るうちに心臓麻痺で倒れて息を引き取ります。享年43歳。

-『浅草オペラの生活』(内山惣十郎 著 / 雄山閣出版1967)
-『私の舞踊生活』(石井漠 著 / 大日本雄弁会講談社1951年)
-『女盛衰記 : 女優の巻』(三楽流子 等著 / 日本評論社1919)
-『歌劇と歌劇俳優』(藤波楽斎 著 /文星社大正1919)

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