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要約『追われる国」の経済学 byリチャード・クー

著者のリチャード・クー氏は1954年神戸生まれ、カリフォルニア大学バークレー校を卒業し、FRB勤務などを経て84年野村総合研究所入社。エコノミスト。
■■この本を読むとわかること■■

①日銀のインフレ率2%目標の根拠と達成できていない理由
②日本の1970年代の躍進とその後の停滞理由(ルイスの転換点)
③1945年以降、戦争が減った理由

追われる国の経済学

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■■要約 (ほぼ引用)■■
■①日銀のインフレ率2%目標の根拠と達成できていない理由

・2013年に日銀の黒田氏は、金融緩和をすれば2年以内にインフレ率は2%になると豪語した。これが彼らの考えの核心だったが、超低金利になっても民間は金を借りず貯蓄に回っている。
・「バランスシート不況」とは、資産価値が暴落するなどして債務超過(バランスシートがつぶれた状態)となると、企業は財務内容を修復するために収益を借金の返済にあてるようになるため、日本銀行が金融緩和を行っても企業による資金調達が行われなくなり、設備投資や消費が抑圧されて景気が悪化すること。(コトバンクより引用)
・2008年以降、FRBはマネタリーベースを314%増加させたが、マネーサプライは84%、融資は36%しか増えなかった。年率換算すると3.12%の増加にすぎなかった。
・FRBバーナンキは理解していた。バランスシート不況下では政府が最後の借り手として出動しなければデフレスパイラルに陥ってしまう。量的緩和の影響はポートフォリオ・リバランス効果に限定される。経済学の教科書では家計が貯蓄をし企業が借金をする。しかしバブル期米国では、家計が大きな借金主体となり住宅投資に走ったがバブルがはじけると、家計はGDP比10%の巨大な貯蓄主体となった。そして4年もの間借り入れをストップした。

借り手が消えるケース
民間企業が投資機会をみつけられない場合。特にグローバル化が進み海外市場の方が魅力的な場合
民間が巨額損失を抱え、借金返済や貯蓄積み増しを迫られたケース

追われる国のインフレ目標2%は、百害あって一利なし

・インフレ目標2%は黄金期のインフレ経験を調査したエコノミストの提案。
・当時はインフレ時は金融引き締め、インフレ率が下がると金融緩和をするというオンオフ政策を繰り返していた。しかしこれは政策の不確実性を高め、経済的ロスが大きかった。そのため、事前にインフレ目標を公表し、それに向け中銀が政策を調整するというやり方へ。

QE(量的金融緩和)の出口戦略で日本は深刻な問題に

・2019~2020年度に日本でQE解除に必要とされる民間資金は、第GDP比で17%に達し米国/ヨーロッパの6倍、英国の3倍弱の大きさ。
・日本はETF(上場投資信託)経由で日本株を24兆円も購入しているという問題。日銀がこの株を売却すれば日本株式市場へ下落圧力となる。→ 日本のインフレ率が2%に達してしまうと、日銀のかじ取りが大変難しくなる。

■②日本の1970年代の躍進とその後の停滞理由 (ルイスの転換点)
・1960年代に日本はLTP(ルイスの転換点)に到達。投資機会が溢れていたが貯蓄不足(貸し手不足)が成長の制約だった。そのため金利が高く政府や日銀が貸し手に回りまた家計が貯蓄をすることを様々な手段で奨励した。
・LTPに到達すると労働争議が急増し、賃金も急上昇し、40年前の欧米と同じ黄金期に突入した。生産性の伸びが賃金上昇率を上回っている間は続く。「一億総中流」として知られ、国民の90%が自分を駐留と見なした。
・しかし1997年には賃金の上昇が止まり、停滞/下落へ転じた。台湾、韓国、中国が台頭し欧米も激しく追い上げ。
・1985年のプラザ合意で為替レート再調整。1987年にはドルが円に対し価値が半減した。
・米やヨーロッパの黄金期は終わり海外の低コスト国に仕事を奪われた人々は生活水準の停滞や低下に直面したが、安い輸入品は痛みを少しややわらげた。→  所得も物価も伸び悩むのは追われる国が直面する、輸入主導のグローバル化の特徴。

LTP=ルイスの転換点
・LTP前:都市化のフェーズ。資本家は低賃金でいくらでも労働者を雇うことができる。なぜなら農村には低賃金でも都市の工場などで働きたい労働者がいくらでもいるから。このフェーズでは労働者は経営者に対する賃金香料力を持たない。
・LTP後:労働者が有利になる。農村からの労働力の供給が底をつく。 一部の企業が雇用を増やすと全ての企業が賃金の引き上げに追い込まれる。企業は労働者を大切にする。
・海外へフェーズ:賃金が上昇しすぎ、海外へ生産代替地を求めざるをえなくなる。しかしそのためには語学、ノウハウが必要であり、学習に時間がかかるが、それをイヤがれば潰れるか、海外企業へ外注するしか道はない。一度海外移転をするとその後は企業に海外の労働力活用の選択肢が生まれる。

■③戦争を時代遅れにした自由貿易体制

・1945年まで:ヨーロッパや日本は国内需要の不足が顕著で天然資源の確保と、独占的市場の確保を目指し植民地を拡大した。
・1945年以降:米国は世界秩序を構築するためIMFやブレトウッズ通貨体制、世界銀行に加え自由貿易体制(GATT)を導入した。 加盟国はどこの国へでも自由に輸出できた。米国は自らの国内市場(世界GDPの約30%)を解放した。当時の社会主義国に対する米国自由主義陣営の強化を狙う。
領土の拡張は経済の繁栄に不可欠ではなくなった。価格競争力のある製品を作って、米国市場で勝つ ≒ 繁栄。
→ 戦争が少なくなった。

■失われた貿易不均衡是正メカニズム
1947年のGATT(関税及び貿易に関する一般協定)
・不均衡のブレーキとして為替レートの固定相場制(金本位制)。ある国が、貿易赤字を続けるとその国の金が減り、輸出を増やすなどの対応が必要となった。
1971年にドルと金のリンクを外し、変動相場制へ。
・貿易黒字国の通貨は赤字国に対して上昇することで不均衡へのブレーキをかけた。
・1980年ころから、各国で「資本移動の自由化」が始まり、為替市場は貿易不均衡を是正するという機能を果たせなくなった。
グローバル化
・自由な財の移動(=自由貿易)
・自由な資本の移動
→ 為替市場は株や債券市場のように各国の投資家の金儲けの場とされ、彼らが動かす巨額の資金によって為替水準が決まる。
→追われる国の製造業は延々と厳しい状況に置かれる。

■マクロ経済学の基礎
ある人の支出は誰かの収入

・AさんとBさん2人だけの経済を考える。Aさんが貯蓄をするとAさんの支出が減りBさんの収入も減る。Aさんが1000ドルの所得から100ドル貯蓄すると、Bさんの所得が減るのでBさんも支出を100ドル減らすことにより、Aさんの所得は900ドルになり貯蓄できるのは10%だとすると90ドルとなる。
・上記は2人から100万人へ増やした経済でも同じ。
・Aさんが900ドル支出し100ドル貯蓄すると銀行がこの100ドルを企業や個人へ融資し、彼らが100ドル支出すれば経済の総支出額は900+100=1000ドルとなる。

金融政策:国の中央銀行が金利を上下させ資金の需給を一致させようとする。(すぐ実行できる)
財政政策:政府が借金して、公共インフラを建設し支出する。これは不足している民間の借り入れ需要を政府自ら借り手となり経済を安定させようとする。平和な民主主義化においては実行には時間がかかる。

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。ぜひ本書を読んでみてください。

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