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要点メモ『結愛へ 目黒区虐待死事件 母の獄中手記』by 船戸優里

■感想■
2018年3月に小学校入学直前の子が、全身に170カ所のアザや傷を負い、食事もろくに与えられず直前の約一カ月で体重が4kgも減り亡くなった事件の母親の手記。この著者は、最愛の娘を亡くした被害者であり、養父から娘への虐待を止められなかった加害者でもあり、その絶望、悲しみ、怒りの感情がリアルに赤裸々に綴られている。なぜ彼女は愛する娘への虐待を止められなかったのか、もし私が彼女と同じ状況に置かれていたらという視点で読み進める中で、私は2度泣いてしまいました。

結愛へ

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■要点 (ほぼ引用)■
「お母さん、しっかりしなさい。」って、やっているよ。やってるじゃん。
結愛のことも必死に守っていたよ(守ろうとしたよ)。結愛には、私みたいなデブでブスで人に利用されて捨てられる、つまらない人間になってほしくなかった。彼の言う通り、私みたいに友達が少なくて、まわりからバカだと思われ、振り返れば楽しい記憶なんて一つもないような寂しい人生、結愛には絶対に歩ませたくなかった。
どうしてこんなことになったのだろう。私の何がいけなかったのだろう。

■2019年7月19日(金)
現実感を取り戻してきた。精神科医の先生と弁護士先生のおかげだ。
結愛に対してどのような責任をとらなくてはいけないのか、事の重大さを認識し始めてきた。4月に作った遺書は捨てた。「あなたの荷物は一人で持つには重すぎる。あなたの悲しみや辛さという荷物を私にも持たせて・私は非力だけど、こういう荷物なら持つのは得意なの。」とさらっと笑いながら、本気で訴えてくるこの先生には、何でも話していいんだと、心の鍵はほとんど勝手に外れた。

■2019年9月5日(木) 第3回公判 医療センターの先生の話
私は被害者の母親と、加害者の2つの顔を持っている。「子供を守れたのは母親、反省してほしい。」(by 先生)香川の児相も病院も私も、もっとやらなくてはいけないことがあったはずだ。「様子を見ましょう。様子を見ましょう。」どこでもいつもそうだった。様子見と放置は、私にとって同じようなものだった。私は悲しかった。

■2019年9月6日(金)第4回公判 裁判員の質問
「あなたは体を張ってでも止めたことが一度でもありますか?」本当に悔しかった。あまりに屈辱的だった。「ありません」と答えた。

■2019年10月17日(木) 彼の判決
彼は懲役13年だった。(著者である母親は懲役8年。)
いつどこであんなに結愛の体にアザを作ったの?
私を家から追い出して、一体何をしていたの?
本当に結愛をしつけるつもりだっただけ?
あの人は何一つ本当のことを言っていない。
あなたはまた同じことを繰り返すよ。今度はターゲットをかえて、自分よりさらに弱いものを見つけて。
私は彼のことも自分のことも一生許さない。

■年表
2012/3:結愛ちゃん誕生。「二人の愛が結ばれた」ことから実父が命名。
    19歳同士の若い夫婦で3人で生活を開始。育児と仕事を両立。
2014/8: 離婚。
2016/3 再婚。9月頃に長男出産。
2016/12: 児相が、結愛ちゃんを1度目の一時保護。
2017/3: 児相が、結愛ちゃんを2度目の一時保護。
2018/1: 香川から東京へ引越し。
2018/3: 結愛ちゃん亡くなる。

■その他
・結愛ちゃんは、午前4時に目覚ましで一人で起床。九九や平仮名の練習。朝はスープ一杯、昼はごはん1/3、夜はごはん1/2。
・精神科医の白川氏は、「なぜ母親は結愛ちゃんを病院に連れて行かなかったのか?」に対して意見書を書いたが裁判では採用されなかった。

以上、最後まで読んでいただきありがとうございます。本書をお手に取って読んでみてください。

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