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2024年5月9日分の日記「かけがえのない日々と思想の話」

・モーニングコールで起こされるのも慣れてきた。というか、単純に23:00には布団に入って24:00までに寝ているので朝の起床が楽だ。

・でも今日は寒かったので、起きてシャワーを浴びて朝ごはんを食べて着替えた後に毛布にくるまってしまってウトウトしちゃった。心地よかったけど、1時間出社が遅れた。つまり普段通りの出社ということ。


・朝ゆっくりすると夜が遅くなる。あたりまえ体操なのだが、時間って足りないし人生って短いな。と思った。今年もいつの間にか5月になり、11月まで旅行の予定が埋まっている。同人誌も2冊ほど出したいと思っているので、あっという間に1年が過ぎてしまう。このスピードは異様すぎる

・明らかに1年前よりスピードが上がっているし、2年前より濃密だ。日記を公開する習慣がついて、日々のルーチンワークがこなせるようになり、趣味の目標もあり旅行に一緒に行く仲間もいる。なんか、今が最大風速なんじゃないか。。と感じながら日々を過ごしていたら2024年も5月になっていた。最大風速が増し続けている。

・特に同人活動を再開したのが大きいのだろう。1つの作品を作り上げるのに1ヶ月なりかかるので、その間は夢中になって時間を忘れている。最近もそう。絵を描くのが上手くなっているので絵を描くのが毎回楽しい。

・最近また絵が復活したのでゲームをする時間が取れなくなってしまった。GW中に溜めてしまったオモチャンも追いきれていないので、ご飯中にブルアカのストーリーを観る時間も取れていない。ダンジョン飯のアニメは徐々に見進めている。漫画も気になって買ったものが読み途中で止まっている。週間連載のものはなんとか追えている。消費者、いそがしすぎるね!

・消費だけではなくて身にもつけたいからちゃんと感想を持つようにしているのだけど、感情を動かそうとするのは疲れるな〜などと思うのであった。



・日々をかけがえなく生きていると、1日の自由時間などを計算してしまって「1~3時間しかないのか…」と呆然としてしまう。お風呂に入って就寝準備をすることに幸福値を見出し始めたので、そこは削りたくない。ご飯もかなりシステム化はしたけどこれ以上削りたくない。運動はしたほうが自分のことを好きになれる、睡眠は取らないと日中が回らない。

・いろんな必須条件がある中で、趣味に興じようという時間は本当にかけがえがない時間になってしまう。できる限り無為にすごさにようにしてても、広告ゲームなどをして無為に時間を食い潰す気持ちよさもあり、それができることが自分の余裕につながったりもするので侮れない。お酒を飲む時間はここ数ヶ月で減らしていると思う。

・そんなこと言っていたらお酒を飲みたくなってきたので、散歩しながら飲酒をしようかな。結局時間を凝縮したかったら「〜しながら」になってしまう。思えば散歩しながら読書することを最近していない。読みたい本も溜まっているけど時間がないな…とか考えていたら、自分はかなりパワフルだな。と思う。やりたいことが沢山あってそれを叶える術を持っているの、かなりパワフルだ。



・LINEのkeep機能がなくなるとのことで、何をkeepしていたか過去の音声ファイルを聴き漁ったのだけど、聞き覚えのない男の人の声で「おやすみ、好きだよ」と入っていて「お、おおおおおおおおえええええええええええゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」ってなっちゃった。

・別に男遊びをしていたわけでもないが、20代前半の頃は確かに”雑魚モテ”をしていた。チヤホヤされて、女性としての魅力を磨くキッカケになりはしたので良い経験だったと思うけども、今思うと「若気の至りだよな〜」と思う

・友人から「恋愛経験豊富そう」と言われて、「雑魚モテはしていたけど特にちゃんと長年付き合ったとかはないんだよなあ…」と答えた。長年ひとりの人を愛し続けたことがない。一番自分の中ででかい出来事は2年半片思いをし続けたことなのだけど、別に実ったわけではないし、気を紛らわすために彼氏を作ったりしたけどそれって不誠実だったな。とも思う。

・日々の気を紛らわすために彼氏を作る、と言う選択肢をしていた若い頃の自分はパワータイプだったな、とも思う。彼氏ってそんなホイホイできるもんだっけ、とか最近は思っている。おそらく今の自分が趣味を充実させ過ぎて彼氏などに興味が薄れてきているからだろうけど。

・結局は人間は何かで埋めないと寂しくなっちゃう生き物なのだな。それが対人だったり趣味だったりするだけ。「何もしなくても満たされている」という人は、そういう才能なのだと思う。現にあたしはニートの才能は全くなかった。


・「何もしなくても満たされている人」を才能というなら、「常に何かをし続けている人」も才能であり、お互いに共生できるものなので「何もしていない人が何かをしないといけないと感じること」は勿体無いなあ。と思ったりする。

・良いじゃん、「何もしない」。「何もできない」でもいい。良いじゃん、別に「何かしている人」が絶対偉いわけでもない。「何もしない」も大切な要素だと思うよ

・あたたしは意識を持って「何もしない」を頑張る時があるので、それくらい「何もしない」とは必要なことなのだ。同じことは「何かをする」にも言えるんだけども。

・こういう面裏が同時に存在していて必要とされていることをず〜〜っと『必要因子論』と名付けて語り続けている。


・『必要因子論』、簡単にいうと「不要なことがあるから必要なことがわかるので、不要なことも必要なことである」というやつです。なのでこの世に不要なものなんて何一つもない、という思想。

・スマホゲーで無為に時間を過ごすことも、何もしないをすることも、ぜ〜んぶ必要。落ち込むことも、凹む時間も、それがあるから人生が彩られるわけです。


・直近で自分が人に話した思想で「絶望的な死を経験してそこから気持ちを持ち上げて這い上がって復活する、という経験がしたい」というものがある。絶望的な死なんてできる限り経験したくないけど、一回ガツンとくらったらある程度の耐性がつかないだろうか?と

・そういう意味では一回ガツンと長期間の幻覚幻聴希死念慮を経験した自分はかなり人生においてネガティブへの耐性ができた。そういう強い凹みって人生の色を一気に変えることなので、乗り越えたら自分ってもっと違う自分になるのでは!?と思う。そこに対してワクワクする。いや、死に関係している時点でワクワクするのは道徳心的によくないのだろうけど、でも非道徳であっても未知の自分の可能性には期待してしまいたい。


・本当にネガティブを極めたポジティブなので、不躾で非道徳な思想も持っていたりするけど、それも人間なので、人に押し付けない程度に自分の素質を深掘りしていきたいですね。

・久しぶりに思想の話ができて楽しかったです。明日も楽しもうね


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