見出し画像

最近感じた聞こえのこと。

最近映画を見に行った。

見た作品は、邦画で人と人の繋がりを描いたもの。

久々だったからなのかセリフが聞き取りづらくて、なぜ怒ってる?なぜ泣いてる?と疑問ばかりが膨らんでその場面に浸ることができなかった。

本編の中で三分の一は聞き取りづらい場面が多かったように思う。

深刻なシーンほど小さな声で気持ちを吐露していたりしてるのだろうな…と想像を膨らませて場面を楽しむという自己満、決めつけの視聴にもなってる気がしてより辛く感じた。

字幕付き上映ではないと楽しめない娯楽になってしまった、昔はよく見ててもそんなに聞き取りにくさ感じなかったから楽しめていたのだろうか?

聞こえが下がったというわけではないから、作品のテイストがそう言った音、セリフを大小で表現する繊細さがより深まったのか。もしその需要が増えているのだとしたら、私は楽しむことはできないなとがっかりがより倍増したり。

なにより、字幕上映してる映画館ごく僅かだし、日程決まってるしで自由度がないからますます足を運べなくなりそうだなって寂しい気持ちにもなりました。

もっともっと深く楽しめたらな。
しばらくは字幕上映作品だけ自分のアンテナに刺さった作品だけ見ようかな😌🫧

自分の昔楽しめてたことが楽しめなくなってしまったことに気落ちしたので、書き留めました。

同じような感覚持った方いるのかなあ。
もしいたらコメントしてくれたら嬉しいです。
そういう時どうしてるのか知りたいです😌🍿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?