カウンセラーになったきっかけ②

前回の続きです。
長男が高校に合格し
やれやれと思ったのも束の間…
長男がバイク事故にあったのです。
処置室にいる息子は意識もうろうとしながらも
「おかーごめんね」と何度も何度も
私に言ってくるのです。
ドクターからカンファレンスルームに呼ばれて
説明を受けたのは
「息子さんの怪我の状態が非常に悪いです。
会わせたい人には直ぐに連絡してください」と…
その時は何が起こっているのかもわからなくて
私自身も現実が受け止められなくなっていました。
名護先生と出逢いによって
私自身の考え方は
だいぶ変わってきたものの
世間体や人の目を気にしながら
過ごしていくことは全て改善されたわけでは
ありませんでした。

息子の命が消えていこうとする瞬間
世間体なんてどうでもいい
生きているだけでいいんだと
心の底から思えるようになったのです。

おかげ様で長男は後遺症もなく
退院することができました。
そして命の尊さを身をもって
経験することができたのです。

次男も次男で命に関わる大怪我を経験しており
障害者手帳の手続きの仕方についても説明を
受けました。
当時野球部だった次男は大好きな
野球をすることはほぼ不可能だと言われ
その事実をどう伝えるのか心を悩ませていました。
きっと次男は乗り越える力があると信じて
野球を続けたいのであれば毎日リハビリを頑張ることが
大事なことだと。その一言を言うのに精一杯でした。
後は心の中で祈り続けることしかできませんでした。
でも彼は見事に乗り越えてくれました。
握力4からのスタートだったのにも関わらず
野球の試合にも出られるようになり
沖縄県の大会で打撃賞を頂くことができたのです。
人は諦めない限り 自分の持っている力以上に
実力を発揮することができるんだと
子育てを通して実感することができたのです。

そんな兄達を見てきた末娘は兄ちゃん達に対して
反面教師になり、とても真面目な子どもに育ちました。
正直なところ娘には何の心配もしていませんでした。
娘が大学生になった時に
当時の気持ちを話してくれました。
「私も兄ちゃん達のようにヤンキーになっていたら
おかーはもっと自分の事を心配していたのかもしれない。
一度ヤンキーの道に傾いたこともあったんだよ…」
と言われた時に 衝撃を受けたことを思い出しました。
子どもは どんな時でも、どんな環境におかれても
母を求めているんだと実感した日でもありました。

その頃から 経験だけではなく
専門的な知識も身につけたいと思い
心理学を学びたいと思うようになりました。

非行に走ってしまった私の息子たちは今…

長男は10年以上の看護師勤務を経て
福祉の仕事に就き、サービス管理責任者として
仕事をしています。

次男は柔道整復師の資格を活かし整体院を
開業しています。

そしてヤンキー希望だった娘は大学を卒業し
税務関係の仕事に就く為に資格取得の勉強中です。

3人の子ども達が
それぞれに自分の個性と資格を活かしながら
仕事をしていることが何よりの誇りであり
心も身体も元気でいることや兄妹の仲がいい事が
私にとっても喜びであり幸せだと思う今日この頃です。

私の人生も波瀾万丈でいろいろな経験をしてきました。
どの経験も辛く大変なことばかりでしたが
今ではその経験が活かされ
現在の仕事に繋がっている事を実感しています。

私の想いは“沖縄の母になること”

1歩でも目標に近づいていけるよう
日々 自己研鑽を重ねる毎日です。

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