結局、20年後はどうなるの?

こんばんは。

すみません、取り乱してしまいます。

そして自分の影響力が少なくはないこともわかりながらこれからの内容を書きます。あくまでも全て個人の見解です。

僕は4月から浪江に帰ってきて、様々な大人が頑張っている姿を目にしてきました。その姿は、ただただ「リアル」でした。その一言につきます。

浪江の復興のため、町に活気を戻すため、頑張っている人がいる。自分の住んできた地区の土地を、後世にも残そうともがいている人がいる。そして、頑張って働いている人たちのために、ご飯を作り元気を与えている人たちがいる。

僕もそんなかっこいい大人の姿に憧れて、そしてそんな大人の姿に追いつきたくて、自分ができることをやり始めました。僕ができるのは「同年代」にアプローチをすること。それでしかない。でもそれが、浪江町の人口割合で1番少ない年齢層へのアプローチでもあるはずで、20年後に浪江がなくならないための、そして僕が20年後浪江で生きていきたいと思うための地盤づくりでもあます。

その中で、帰ってきて失う辛さもしることもありました。なによりも大きかったのは「大堀小学校」の解体決定。売りに出された物件ではありましたが、新型コロナウイルスの影響が直撃したこともあり、手を挙げていた企業も購入を断念。この時だけは、国の解体費の補助の政策を恨みました。金が出るから壊せるんだから。正直、この対応に対しても町はあまりにも決断が安易すぎるんじゃないかと、町長に異議申し立てを行いたいとも思うくらい、はらわた煮えくりかえってます。

大堀小学校の解体は、僕は大堀地区の解体だとも思っています。大堀地区の象徴である大堀小の解体は、大堀地区という存在のアイコンがなくなり、結果大堀地区として、僕たちが集まるきっかけがもうなくなることになります。少なくとも、僕の年代ではもう大堀に集まる意味なんてないと考えて、間違い無いと思います。そんぐらいのことしてるという認識が、決定をした人たちにあるのか、疑問に思います。(大堀相馬焼の窯元なども、大堀地区のアイコンやアイデンティティになりうるものですが、帰還困難区域にあるため、あまり触れやすい存在ではない気がしてます。あくまでも個人の見解です。)


そんな地域の明日が問われている一方、完成するものもあります。それは道の駅ですね。あくまでも僕の見解であり、また失礼ですはありますが、こちら良い評判を町の中から聞いたことがございません。聞くのは家賃が高いだ、あそこのアルバイトや時給は高いだの、否定的な言葉が並びます。僕はお金の問題を言いたいのとかというとそうゆう問題じゃないのですが、こんなにも町の人に期待されないものがあるのか、ただただ不安で仕方ないんです。だって、要はこれ成功しなきゃ、20年後とかにそのツケを払うのは、僕たちが若い世代な訳で、正直不良債権はいらないんですよ。もちろんまだ開いても無いので、あくまでも個人的予想に過ぎませんが、でもね、民間が頑張って節約してどうにか店開こうとしてる中、FBに次導入する機械の自慢してるような店の応援なんてしないし、僕も人間なんで悪口のひとつやふたつ言いたくなります。

感情的になってしまいましたが、ようは20年後の未来が不安でたまりません。今あるものは簡単に壊して、遠くに避難してしまった人たちの思いをつなぐものはなくなり続けています。そして、20年後には何が残ってるんでしょうか?僕は不安で仕方ないです。ただ僕は、浪江町で同年代と楽しく過ごしたい、それだけなんだから。













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