今日のボトル3

今日は、「ドランブイ」について紹介していきます。
ドランブイは、僕の好きなカクテルの一つであり食前酒としても有名な「ラスティネイル」というカクテルによく使われるリキュールです。僕全然詳しくないんですが、「Rusty Nail」っていうX Japanの曲があるらいいですね。

ドランブイに関しては、このサイトで勉強をして参ります。
なんかすごい大作になりそうな予感が半端ないサイトです。
ドランブイだけで、その3までありますからね。
(追記:予想どおり大作になったので、ものすごく要約しました。)


 ドランブイの物語は、1745年のチャールズ・エドワード・ステュワートの王権を取り戻す物語でした。チャールズはそれまでスコットランドに来たことはなく、イタリアで生まれ、フランスを経て24歳での蜂起でした。しかし、なんとかたどり着いたスコットランドでは、フランス軍の後押しもなく、ステュワート支持の各地のクラン(氏族)を集まめ蜂起します。千数百人になったチャールズ軍は、その勢いのままエジンバラを包囲し、ホーリールード宮殿で、父ジェームスⅢ世のスコットランド王への復帰と自分が摂政太子に就いたことを宣言します。破竹の勢いのまま、ロンドンも攻め込もうとしますが、戦局の悪さからフランスの救援を待つため、ロンドン途中のダービーで退却を余儀なくされました。

 しかし、英政府は黙っているはずもなく、ジャコバイト制圧のため国外で戦っていた軍隊を急遽呼び戻しハイランドへ進攻させ、1746年カローデン(Culloden)での戦いは、政府軍が30〜40分で圧勝し、チャールズの壮絶な5ヶ月に及ぶ逃亡生活が始まります。チャールズは、ステュワート家への忠誠が強く、とりわけ西ハイランドのロッホアーバー(Locharber)からスカイ島とヘブリディスまでの広範囲に勢力を持つマクドナルドを頼りにハイランドの西方へ逃げます。一旦はヘブリディスへ逃れたものの、そこでも長い間安全に留まれる場所は無く、ほとんどの場合、洞窟や岩陰に身を隠しながら1日か2日の滞在で居場所を変えていました。目立たぬように世話をしてくれたマクドナルドのアドバイスもあり、チャールズはスカイ島に逃れることになります。

 案内役は、スカイ島からユイスト島に来ていたフローラ・マクドナルドという若い女性です。彼女はユイスト生まれだがスカイ島で育ちで土地勘に優れていたことや、ジャコバイト支持派のマクドナルドに知己が多く、チャールズの保護を依頼する役を担うに至りました。フローラは、見つかった時の事を考えて、チャールズを女装させ夜中に、チャールズとともに、数人のボート・マンが漕ぐボートに乗ってスカイ島を目指しました。夜間暗くなっての航行、霧、強風と困難はあったがボートは30時間かかって無事スカイに到着し、この危険を冒したドラマテックな航海を成功させた、フローラは勇敢さで歴史に名を残す事となりました。スコットランド民謡の"Skye Boat Song"はこの史実によったものとされています。

 スカイ島からのフランスへの脱出は、マッキノン父子の手配によるものでした。彼らはチャールズを保護してくれるマクドナルドへ引き継ぐまで数日間チャールズに付き添ったそうです。そして、ここでドランブイのレシピがはじめて登場します。マッキノンとの別れ際にチャールズがドランブイの秘密の処方箋をマッキノンへ自分への献身的な働きへの感謝の印として渡しました。

 しかし、伝説としては、別れ際に果たされたとされていますが、レシピを保管してきたマッキノン家の伝承では、マッキノンはチャールズの1745年の蜂起のどこかの時点で、チャールスに従軍していたフランス軍の士官から渡されたという説が濃厚になっております。

 以後、百数十年マッキノン家はこのレシピを秘蔵していました。そして、1871年息の一人がフランス語で書かれた霊薬酒のレシピとおぼしき紙片を発見した。マッキノン家に代々伝承されていたジャコバイトとレシピの話を思い出した彼は、家族と相談の上このレシピを父の古くからの友人である、ポートリーでロイヤル・ホテルを経営していたジョン・ロスへ手渡すことになりました。そして、1880年頃にジョンの息子のジェームス・ロスは、このレシピを見て、ホテルの裏の別棟で、妻と共に試作を重ねました。

 ここでオリジナル・レシピからいくつかの変更がありました。一つ目は、リキュールのベースとなる蒸溜酒をブランデーからウイスキーへ変更したことであり、様々なウイスキーを試した結果「クィディック・アン・リー7年」を選びました。二つ目の変更は、ボタニカル類の調合です。オリジナル・レシピにある草根・木皮のいくつかはスコットランドでは入手が難しく、甘味は砂糖にヘザーを含むハニーの比率を変えるなど工夫を凝らし、これならという試作品が完成した。

 その後、友人たち試飲会を行ったジェームスらは、新リキュールの美味しさに驚き口々にゲール語で、「アン・ドラム・ビュイ(満足のゆく酒)」と声を上げ、そこからドランブイのブランド名は完成されました。
(その後も歴史は続きますが長すぎるので割愛します。すみません。)

 現在のドランブイは、ボウモア、オーヘントッシャン、グレンギリグラスゴーを所有しているモリソン・ボウモア・ディスティラー社 (現在サントリーの傘下)が行っております。ですが、ドランブイに必要な各種ウイスキー、液糖、それとフレーバーの核心であるエッセンス等の準備と品質管理はドランブイ社が直接行うことでその味と歴史は守り続けられています。

 現在のベースになるスコッチ・ウイスキーは5年以上熟成したブレンデッド・ウイスキーで、香りのドレスアップ用に十数年以上のウイスキーを一部配合しています。個性の強いアイラ・モルトなどは用いず、クリーンでフルーティーなスペイサイド・モルトや温和なローランド・モルトを選び、熟成樽は穏やかで甘い感じのクリーム、ココナッツ・バニラ等のフレーバーを出すアメリカン・オーク樽です。ウイスキーと樽は全てニュー・メークを購入して熟成も自社管理をすることを基本とすることへも、ドランブイ社のこだわりが強く見えます。



 と、長い歴史があるドランブイでした。本当に今回疲れました(笑)。
これまでの僕の中のドランブイのイメージは正直あまりいいものではありませんでした。初めて「ラスティネイル」を飲んだ時は、ドランブイの甘さが目立って正直あんまり好きとは思えず、その後「ラスティーネイル」を作る時も、腕がまだまだな僕はウイスキーの味が負けないようにステアするこのカクテルの難しさに戸惑いを隠せませんでした。(すいません。正直今もです。笑)

 ですが、今回歴史をしっかり勉強した上で、もう一度作ってみようと思います。

と、「ラスティネイル」が出てきたので、最後にその歴史も触れていきたいと思います。ドランブイとスコッチ・ウイスキーを使ったカクテルで、起源は1950年代にニューヨークの「21クラブ」であるという説が有力ではありますが、他の名前で呼ばれるものも含んで色々あるようです。ただ一つ間違い無いのは、このカクテルがドランブイの普及に大いに力があった事は疑いようがありません。

 一般的なレシピはドランブイとウイスキーが1:1〜3程度と非常に個性が出る割合です。オールド・ファッションド・グラスでロックにしたり、ステアしてカクテル・グラスに注ぐ方もいます。ビターズは使ったり使わなかったりもしますが、レモンのツイストを飾るのが一般的です。ウイスキーにも多くのバリエーションがありますが、「21クラブ」が発祥とするのであれば当時クラブのオーナーはバランタイン社のオーナーと同じハイラム・ウォーカー社だったので、ウイスキーはバランタインだった可能性が高いとされております。


なんか、早くラスティネイル飲みたくなってきましたね。
あー早くBarに行って作りたい。
と、今日もこんな感じでドランブイについて書いていきました。
こんな大作をこんなまとめ方なのも申し訳ないのですが、まとめるとこんな感じですかね。

・1745年のチャールズの王権復帰運動から始まった
・政府軍と戦いの中で、チャールズ軍からマッキノン父子に渡される
・百数年の歴史を超え、マッキンノンからジョン・ロスへレシピ渡る
(レシピを試作・完成させたのは息子のジェームス)
・ゲール語「アン・ドラム・ビュイ(満足のゆく酒)」から、ドランブイという名前に。
・有名カクテルは、「21クラブ」発祥とされている「ラスティネイル」


以上でした。読む人も疲れる内容になってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、この素晴らしい歴史と、そして知るからこそ美味しくなる「ドランブイ」「ラスティネイル」をぜひご賞味ください。当店でも、ご用意しておりますので、きた際はオーダーしてみてくださいね。それではまた次のボトルで!

浪江町 Bar幸
オーナー兼バーテンダー
山本幸輝

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