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【447日目 note千日回峰行】当たり前

いつまでもあると思うな「親」と「金」

誰が言ったか知らないが
とても理解しやすい且つ、分かりにくい表現です。

”分かりにくい”とは
理解していても、いざその時にならなければ

本当の意味を実感することができないという意味で。


先日、なかなか会えていない祖母とビデオ通話をしました。


元気そうで何より。
一方で、90歳にもなる祖母の見た目は

私の幼少期のような
おばあちゃんではなく、一般的に想像しやすい

THEおばあちゃんでした。

顔のシワは昔よりも増えていました。

漠然と「死期」が近づいているのだと実感しました。


昔から所謂「おじいちゃんおばあちゃんっ子」

特によく海水浴へ連れて行ってもらった記憶が強かったり
3人で近くの親戚の八百屋やお寺に行ったり、お墓参りへ行ったり

思い出すだけでも懐かしさを感じることばかり。


いつまでも
そんな生活ができればと思うことは少なくありません。

例えば、親の場合

寝ている時間や仕事している時間などを除き
直接的に過ごせる時間の合計は約55日分だそうです。

それを考えると
祖母と過ごせる時間はもう残りわずかかもしれません。

1つだけしっかりと成し遂げたい事

それは、祖母や親よりも先に死なない事です。

死というものを単純に考えれば年功序列。

その順番は意識せずとも皆が当たり前と考えるものです。

ここだけは間違えずに順番通りにしたいと思う今日この頃なのでした。

2021.11.30 14:17

1人では何もできないからこそ、人の助けが身に沁みます。