とある女の「相模原殺傷事件」
いつもの朝だった。
気怠い気持ちで、目覚まし時計を止めた。
あと10分、二度寝を決め込もうとした瞬間、母が叫びながら部屋に入ってきた。
「Aさんの働いている所で事件だって!!」
Aと出会ったのは、大学生の時だった。
同じ専攻、隣のゼミ室。お互い福祉に高い理想を抱いていて、社会福祉士と精神保健福祉士をダブル取得していた。
卒業後、Aはソーシャルワーカーを経て、津久井やまゆり園に勤務。私は、知的障害者の入所施設を経て某所でソーシャルワーカーとして勤務していた。
事件と聞いた瞬間は、またか、と思った。
残念ながら福祉業界は、吐いて捨てるほど虐待事件が多い。先月か先々月も介護現場での虐待がニュースに取り上げられていた。
どんなアホが全国ニュースに出たのか、面を拝んでやろうと思い、のんびりと身支度をして、リビングへ向かった。
飛び込んできたのは、ヘリの音、トリアージテント、複数の救急車、職員の車。
画面横の字なんて覚えていない。
殺傷、職員も、ケガ。
全身が冷たくなっていく。恐ろしいことが起きたと思った。
急いで、スマホを手に取って、でもなんと連絡したら良いかわからずに、心臓だけが走っていた。
「生きてる?」
なんとかこれだけをAにLINEで送った。生きていて欲しいと願った。
出勤しても、仕事は手に付かない。
職場は事件の話題で持ちきりだった。
「だからー! 民間がやるような仕事じゃないんだってー」
「施設に問題があったんじゃねーの?」
「ってか、障害者のお世話なんて、人がやれる仕事じゃないよー」
「きょうどこうどうしょうがい? メディアが勝手に付けた名前じゃないの?」
同僚たちが好き勝手に、心ないことを、言いたいことを言う。
全てに心の中で反論して、勝手に出そうになる涙を懸命にこらえて、心を殺して淡々と仕事に向かった。
精神疾患を抱えたクライエントさんから、泣きながら電話がかかってきた。「怖い」と、震えながら言う相手に、「私もです」と言いたかった。
Aから返事があったのは、午後だった。
夜勤の予定だったが、勤務交代で直接の被害は逃れたこと。Aの勤務する寮でも被害があったこと。ひとまず、そこまでの被害はなく、大きな事件があった割には落ち着いていること。それよりも利用者さんは見慣れないメディア関係者に気を取られていること。車の出し入れが、メディア関係者がいて大変なことに。そんなことが綴られていた。
それからのことは、実は断片的にしか覚えていない。
「血溜まりってさ、固まると端っこから捲れ上がるんだよ。瘡蓋みたいに。ベッドにも血が染み込んで、使い物になんないの」
いつかAに見せてもらった、雪の積もった駐車場と施設の外観が脳裏を掠めていった。
現死刑囚の言葉、ひとつひとつに抉られた。
自分の中の黒い部分を、剥ぎ取られ、晒し者にされた気分だった。
保護者会と施設長と県知事が、施設を移す移さないと話していた。
もっとも重いとされる強度行動障害の専門寮を担当していたAは「あいつら誰もうちの寮に来ていないんだよ?」と鼻で笑いながら話していた。
徐々にAは、千木良への執念とも言える様相を見せ始めた。生活の全てが千木良へ向いていた。私も病んでいて、他人の思いを受け止めることが出来なくなっていた。私達は会話が噛み合わなくなり、次第に連絡も取り合わなくなった。
その一方、県からの監査があったようだ。今までも勿論、監査はあったが形骸化した物だった。
「自傷他害がある? 無理です! うちでは受け入れられません!! 何かあったら責任は取って貰えるんですかね!?」
施設移行の話が出た時、そう言って受け入れを拒否していた施設が、「マンツーマンで対応すればこんなに穏やかでいられるんです」とドヤ顔していた。
共同会は、確かに問題の多いスタッフがいたと聞いている。指摘された問題についても頷ける部分はあるし、膿だしの側面があの監査にはあったと思う。
ただその一方でAをはじめとしたスタッフが、正常化しようと奮闘していた事実も書いておきたい。少しづつ若手が増えてきて、人権意識は高まっていた。
しかし、彼らの話を聞いても、現死刑囚は少し変わった存在だったようだ。
他にも、Aをはじめとした知人から、施設の実情は聞いていたし、現死刑囚が現場でどのような職員だったかも聞いていた。指定管理の障害者入所施設というものを、一般の人よりも理解しているつもりだ。詳細については私と現職の彼らのプライバシー保護のため省く。
だから、私が話せるのはほんの僅か。しかも全て、聞き齧ったこと。
それでも。
あの夜に、全てを奪われた人を、知っている。
あの夜から、福祉の現場に立てなくなった人を、知っている。
あの夜から、悪夢にうなされる人を、知っている。
あの夜から、何度も死のうとしている人を知っている。
モニュメントを見た瞬間に、忘れ去られようとしている現状に、大きな被害だったことに、記念碑を建てたことに、ただただ嫌悪感を覚えた。
施設側にどんな過失があったとしても、全てを壊した、全てを変えた、あの夜を起こしたあいつを、私はどうしても許せない。
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