見出し画像

不要不急について(思考の記録 2020年05月02日版)

不要不急の外出は控えましょう、というのが、新型コロナウイルス対策の合言葉みたいになっていますね。新型コロナの感染ルートが接触感染や飛沫感染である以上、正しい対策だと考えます。
その一方で「不要不急」という言葉にモヤモヤを感じているのは、私ひとりではないかもしれません。

私は昭和生まれの世代ですが、さすがに第二次世界大戦の敗戦直後や、1964年の東京オリンピックの頃はこの世に存在してません。歴史として知るのみです。ただ、敗戦後の日本は、生活の豊かさと経済成長を目指して、モーレツに努力したものと理解しています。
1989年(平成元年)の年末に、日経平均株価は歴代最高値を記録し、翌年明けからバブル経済の崩壊が始まる。平成年号のおよそ30年間は、日本国内は停滞と低迷。世界各地では、かつて発展途上国と呼ばれた国や地域の多くが経済成長を実現。世界における日本の経済的地位や存在感は(相対的に)低下しました。
そして、あなたも知るように、激動の令和を迎えてほぼ1年。大仏を建立して祈願したほうがいいんじゃないか、と思えるほどの状況です。シビれるピンチだけど、それでも敗戦直後よりは格段に豊かな社会なのでしょう。

では「豊かさ」とはなんでしょうか?

ひとつの仮説として「不要不急のコトやモノを楽しめるのが豊かさ」なのだと思います。皮肉にも、不要不急とやらを控えねばならなくなって、実感しました。

さらに切り分けて考えると「不要」と「不急」は別のものです。
今夜の食事のためにスーパーで食材を買ったりテイクアウトを利用することもあれば、「不急」のお買い物だってありえます。
しかし、自腹で買う人にとって「不要」のお買い物はありません。もし仮に他人から無意味や愚かに見えたとしても、本人にとっては必要だと感じるから買うのです(買って3日後に後悔するかもしれないけど・・)。

ですので「不急」の外出は控えたほうがいいし、「不急」のお買い物すら減らしたほうがいい時期なのかもしれません(私もそうしています)。
けれど、本人にとって必要なものが、誰かから「不要」と決めつけられるとモヤモヤする。「不要不急」というレッテルで楽しめなくなると、豊かさに逆行してしまうと思います。

ワクチンが開発されて量産に入り、新型コロナウイルスが終息する日が来たら、「不要不急」とやらを思いっきり楽しんでやる! と思っているのは私ひとりではないはず。

さらに掘り下げてみると・・今のように制限が多い生活になると、これまで自分が必要だと思っていたコトやモノのうち、何がそうでもなくて、何が譲れないのか、見極めるチャンスでもありますね。

あなたにとって、譲れない必要なコトやモノは、なんでしょう?
他人に実害を及ぼさない限り、世間の気分ではなくあなた自身の基準で良いと思うのです。それがどんなにささやかな楽しみだとしても。

私の場合、より大切だと判明したのは・・
○ずっと屋内だと気が滅入る。起きたらカーテンを開けて日光を取り込み、窓を開けて空気を通す。ストレットや軽いスクワットなどで体をほぐす。人があまり多くない方面へ散歩する。
○電子書籍を読む。音楽を聴く、歌う。ときには配信の映画などを観る。すなわち、作品を味わう。
○食べることは大事。ほぼ外食はしなくなったが、代わりに自分でも作ってみる。たとえば食材をやや奮発して、シーフードカレーを作ってみました^^

この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

最後までご覧いただき、ありがとうございました。 貴重なサポートは活動費や養育費として使わせていただきます。