『ヒーリングっど♡プリキュア』のストーリーの不満点【今更】

 ヒーリングっどプリキュアに関しては色々と賛否両論あって、言われ尽くされているから、私があえて言うこともないとは思うけれど、折角文章書いたので投稿することにします。
 ヒーリングっどプリキュアが好きな人はひょっとしたら不快になるかもしれないので注意してください。



 私はヒーリングっどプリキュアにおいて、のどかちゃんがダルイゼンを助けなかったことを責めるつもりはない。
 あのストーリーの流れであれば、自己犠牲ではなく、自分のために助けないんだ、という選択は妥当であり、優しいのどかちゃんがラビりんの支えもあって葛藤の末に出したこの答えは尊重されるべきものである。
 決して誰かが非難できるものではない。プリキュアである前に一人の女の子なんだ、というのは初代プリキュアから一貫して貫かれてきたテーマであるから。


 だが同時に、私は作中のキャラクターではなく、この作品の脚本に対していくらかの不満点がある。
 どうしてダルイゼンたちビョーゲンズを、これほどまでに無機質なキャラクターにしてしまったのか。
 ビョーゲンズは病原である前にキャラクターのはずである。
 キャラクターであれば人間と同じように意思があって、趣味嗜好があるべきである。
 しかしビョーゲンズは人間や地球を蝕むことしかしない。徹底的に病原として描かれている。
 彼らの間に絆は全くなく、譲れない信念があるわけでもなく、それぞれがキングビョーゲンを信仰していたり、自分が一番になりたがったり、表層的な分かりやすい本能のようなもので動くのみ。
 まさしく病原が繁殖しようとするように。


 他の多くのプリキュア作品では、敵幹部はプリキュアたちと闘うと同時に、お互いのことを知っていく。
 プリキュアたちは理解し合おうとするし、そこにドラマが生まれる。
 初代ふたりはプリキュアから一貫して敵幹部との相互理解や和解は為されているけれど、ヒーリングっどプリキュアのみそれがない。
 キリヤ、満薫、デスパライア、ブンビー、東西南……etc.


 それは必ずしも悪いことではない。そういうプリキュア作品があっても良いと思う、作品多様性の観点では。
 しかしそれまでと異なる部分があるということは単純に好みも分かれることになるのは当然である。
 事実としてさまざまな賛否両論が巻き起こった。
 そして私は好みではなかった。
 私が好みでなかったというだけで、決してダメだったと完全否定したいわけではないことは述べておく。


 個人的に、敵とプリキュアとのハートフルさがあって欲しい、プリキュア作品にはそれを求めている。
 あまりにもビョーゲンズは特徴が弱い。
 プリキュアと一切精神的に関わらない。
 例えるなら『ガンバと仲間たち』の白イタチのノロイのようなキャラクターである。
 恐ろしさは断然ノロイと比較にならないけれど。
私はノロイのキャラクターは良いと思う。ノロイのような存在にまでハートフルさを求めるわけではない。
 これは自然の在り方、弱肉強食を描く上で美しいキャラとなり得る。
 しかし勧善懲悪を描く上では微妙である。


 プリキュアは弱肉強食を描けないので、勧善懲悪の方向でなくハートフルであってほしかったな、と思う。
 ハートフルに仕上げる手段として、改心は難しくても、少しビョーゲンズを受容する態度があっても良かったのではないか。


 例えば、災があることによって、それらを乗り越えるために絆が深まる。
 現に、のどかとラビリンはビョーゲンズが地球を蝕まなければ出会うことはなかったし、ここまで絆を深めることはできなかったわけだから、「大変だったけど、ラビリンと出会えたから良かったかも。良かったなんて言ったらいけないかもだけどねニコ」みたいな、そんなのどかちゃんがいても良かったのではないか。


 また、病気になるから、人は健康であることを喜べる。ありがたいと感謝できる。
 そういう要素を入れ込むことはいくらでもできたと思うけれど、ヒーリングっどはそういう方向で作品を作ってはいない、というのをしっかりと感じた。
 確かにプリキュアのコメントを見ていると、「プリキュア優しすぎる。許さなくていいのに」とか「改心してばかりじゃん」みたいに、敵キャラの改心を嫌う声も見られることには見られる。 そんなに多いわけではないけど。


 でも前述のとおり、別に改心までいかなくても良いんだよ。
 純粋に、プリキュアとビョーゲンたちに関係があった方が話は盛り上がるだろう。
 それに、ちょっと憎めないような一面を見せてくれた方が、面白かったと思うけどな。地球を蝕むことばかりでなくて、人間の生活に少しは触れたり。
 私はスタートゥインクルプリキュアの後半のようなストーリーが理想であるからそう思ってしまうんだろうな。
 分かり合う、理解しようとする、という一貫したハートフルなストーリー。
 ダルイゼンは、のどかにずっと潜伏していたわけでしょ。
 だったら少しはのどかと、のどかの周りの人の優しさみたいなものを中で見ていたという解釈もできるから、少し感じるところがあってもおかしくないのに。全く分かり合えないまま消えていった。
「お前の言うこともわかるが、俺は人を蝕み続ける。それが俺が病原たる所以だから」みたいなふうに消滅するのはできなかったのかなぁ、と。
 全く共感示さずしかも、自分の主張だけをして、全員消滅って……ビョーゲンズってなんだったのって感じだよ。


 ただ倒すだけで、プリキュアである必要あったの、と。
 必要なのは剣じゃない、とキュアエールは言った……ってところまで行くと少しのどかちゃん批判になっちゃうから難しい。
 やはり他のプリキュアが愛によって敵を倒してきたからなあ。のどかちゃんの責任ではないけれど、比べざるを得ない。


 病原だって生きてることに変わりはない。
 人間の尺度で勝手に悪者にしているけれど、小さくても、同じ生命なのに、と思ってしまう。
 人間に人間の正義があるように、病原には病原の正義がある。
 でも流石にプリキュアでそこまで求めるのは良くない、相応しくないことはわかる。
 排他的だな、と思うけれど、子供向けのプリキュアにそこまでの難しい問題を要求すべきではないだろう。


 同じように、最終話のテーマも、本来はプリキュアに持ち込むべきではなかった。
 最終回、プリキュアたちがスカイガーデンに病原を持ち込んでしまい、人間だって病原と変わらないのでは、みたいな問題提起がなされる。
 プリキュアの最終回でやることではないだろう。すごく盛り下がる。
 個人的に、最後は仲良く楽しい感じで締めてほしい。
 どうしてもこのメッセージを入れ込みたかったのはわかるけど、ただのオナニーじゃん、って思う。

 とにかく脚本がプリキュアを利用してる感が強いんだよな。
 作中ののどかちゃんではなく、脚本に不満がある。
 プリキュアのデザインがすごく可愛くて、話のわからない幼稚園児相手には良いんだけど、ね。
 味方キャラクターは妖精含め魅力的だったのに、と思いました。

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