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「私が」思う大事なこと

しばらくお休みしていました。気が付けば9月。時の流れって早いものです。

子供がいるわが家庭は、9月はスタートの月。今年はコロナもあって、始まる前のばたばたが、二倍。習い事から学校まで、とにかくZOOMミーティングの嵐。新しいルールを覚え、ルーティンも覚え、そんな日々。

そんな中、ここ数週間あることを考えていました。

それは「私が」思う大事なこと。

もう一度確認のため、言います。「私が」思う、大事なこと。なので、誰かから見たら、「なんてこと」と思うかもしれません。一応私も「子供を持つ親」なので、いろんな考えをする親御さんがいることを理解しているつもりです。

なぜこの考えを書こうかと思ったかは長くなるので、端折ります。

子育てをしてきて思うことは沢山あります。子供が小さい頃はいろいろあって、今もまだまだ未開発状態。

中でも「食」のこと。農作物や添加物。いろんなものが横行しています。専門書を読むと、「じゃあ、何食べりゃーいいのよ」と言いたくなる。

私もそれなりに気を付けてきたし、バランスをとることも、先輩ママさんから学んだりもした。

こんなことも含めて。私は母親になってから「今までに出会ったことのない未知の人たち」に出会った。それは素晴らしい意味ではなく、「できれば出会いたくなかった」という人のほうが多いのが悲しい現実。

繰り返します。あくまでも私の個人的経験と考えです。でも、もちろんその中でも素晴らしい人との出会いもあったのも確か。

世代別もあるのだろうけど、ある人がこんなことを言った。

「私は高校卒業するまでマクドナルドに行ったことがないんだよね」

確かにマクドナルド、ナチュラルな生活をする人には、悪人です。苦笑。そしてもっと驚いたのが、「俺たちひょうきん族」は親が見ちゃいけないと言っていたから、私は見たことがないの。と。なんとピュアな親の言うことをここまで聞く人がいたんだ!と親としてはうらやましい限りだけれども、友達として、人間として「反抗心は出てこなかったのか?」と疑問すら浮かんだ。

彼女は真顔で「あんなの見たら、暴力的になるし、バカになる」と親に常々言われてたの。と。そしてそれを信じていた。と。

しかし、この人。人の悪口を言っては、仲たがいをさせて外で笑うような女だった。自分の利益のためなのか、未だにわからないけれど、未だに、会えばひょうひょうと、「会いたかったのーー」と言ってくる。私が何も知らないふりをしているのもあって、彼女は何もばれていないと思っているのだ。でも、彼女のしたことは、無関係である、子供にまで影響が出てしまったことだった。自分の嫌いな人間は「あの女」呼ばわりだった。

私の周りの友達は、ひょうきん族もだけれど、ドリフもみていた。でも、暴力を振るとこは見たことないし、バカも一人もいない。

何をもってばかというのかわからないけれど、私は人を貶めることは暴力と同じことなんじゃないか、と思うのは気のせいだろうか?バカなのは人を貶める人のことを言うのじゃないだろうか?

この人今はふたりの子供を持っている。オーガニックコットンにこだわり、ナチュラルを目指しているようだ。そして清く正しく育てているようだ。

この人の友人で似たものがいて。この友人の子供が生まれる前のパーティーに付き合いで行かされた時の事。

沢山の人たちが来ていた。そしてその友人のお祝いのために、友達の一人がケーキを忙しい中作ってきてくれたのだ。いわゆるアートのようなケーキでとてもかわいらしいものだった。さあ、切って食べましょうよ。という時に、その友人の長女が近所の子供と「ジャンクジャンクーーーー!」とジャンプし始めた。作った人が一人一人に分けているときに、「〇〇ちゃん食べる?」と聞くと「ジャンクはいらなーーーーい」と答える。

彼女はいやな顔をしないように、と頑張って笑顔を作り、「そう、か」と次の人にもっていった。

私はやりきれない気持ちになって「〇〇ちゃん、〇〇さんがさ、一生懸命作ったケーキおいしいよ」というと、「ジャンクはたーべーなーーいいいい」と相変わらずジャンプしている。

私は突き飛ばしたくなる衝動を抑え、一緒に会話をしていた人との話に戻った。もちろん、その会話をしている人も、怪訝な顔をしていた。

お母さんそっくり。と私は思った。お母さんも全くもって人の気持ちを考えない人だ。類は友を呼ぶといったように、この前出した人とこの子のお母さんは、「フレネミー」


私は思うのだ。我が家も食べ物に気を付けている。小さい頃はとにかくマクドナルドにも行くことはなかった。全て手作りもしたし。

しかし子供は育つにつれ、外とのつながりが出てくる。外国で暮らしていると、文化や宗教上、そして最近はアレルギーもあって、多様性がものすごい。健康的に食べるのも大事だけれど、私は「心と人とのつながり」は同じくらい大事だと思う。

だから、マクドナルドでお誕生会も喜んでいったし、お付き合いで買う、クッキーやチョコレートbarもいただいた。そしてそれを子供にも教えてきた。

でも、もちろん健康的な食事というのは本当に大事だと今も信じている。農作物に関する農薬のこと、乳製品に入っているアレルギーの原因となるケミカル、そして肉や魚に入っている抗生物質。例をあげたらきりがない。

でも、それ以上に、「ありがとう」と思う気持ちが大事だと思う。~だからこうなる、という考え方、どうだろう。作った人の気持ちを考えたら、「ジャンク」と呼べるだろうか。私は、少なくとも私は呼べない。

大事なのは、「一緒に経験すること、感じること」だと思った。

ひょうきん族だって、うちの母は一緒に見ていた。「またバカなことして~」と言ったりするのも、母だった。でも、一緒にも笑っていた。その会話から、子供って学ぶんじゃないか、と思う。うちの母は「これはだめ」といったことのない人だった。

それを時として思い出しながら、私は、子育てをしてきた。

「これはだめ」の多い、今の時代。子供たちは優しくなったか?と問うと、私は疑問に思う。「表には」優しいけど、本心は悪の心でふつふつしている子も多々いることも現実だと、思ってしまうし、そういうケースを子供の学校で、見ていた。

「正論」をたたきつけることよりも、愛情をもって接すること、一緒に経験して食べて、見て、感じて、感謝をして生きていくことのほうが大事だと、私は思うのだ。

とはいえ、わが子も真っ直ぐに育っているということは言えないから私の意見はただの「たわごと」になるのかもしれないけれど、でも、少なくとも、わが子がケーキを作った人の目の前で「ジャンク」と言い放つことはないと信じている。そして人を貶めるようなバカなことも、しないと信じている。たとえ数学の点数が低くても、先生に時々難しいことを言ったり、いう事を聞かなかったとしても、正論をたたき出して、ひどいことをする人間ではないことは確か、と思っている。

愛情とか、思いやり、とっても大事だと思うんだよな。

ちなみに、私も意地悪な人間だから最後に言いますが、この人たち、ヘルシーヘルシー言っていたけど、農薬たっぷりの中国産だとか、アメリカ産の野菜が安いよーーーと安売りにたかっていたのを見て、思った。

「半端な健康管理なら、しないほうがましじゃね?」と。

こだわるならとことんオーガニック変えるだけの給料稼いでみろー!と意地悪に心で叫んだりしてみる。私も同レベルなのか??笑

愛情と思いやり、シンプルだけど、大事なこと、忘れちゃいけないな、と思う9月。学校ってシンプルに楽しくて、でも勉強は難しくて、でも、やっぱり楽しい、そんな場所で会ってほしいと願う9月。

コロナとともに新学期が始まりました。

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