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走り切る人生

先週末、先日他界した友人の母のお別れ会があった。

写真はその時に作った、野菜と果物のバスケット。彼女が最後の二か月に食べることのできたものばかり。スイカの甘さをとても喜んでいたのが印象的ではあったけれど、スイカはさすがに、串刺しにとどまらず、断念。

彼女の死から、私はいろんなことを考える。そしてなぜか日本で、自殺が増えている。それも芸能界での出来事。

芸能人の自殺というのはあまり多く思い出すこともなくて、沖雅也や、名前が思い出せないけれど、アイドルだった彼女。私の記憶にはこの二人くらいしか残っていない。

それなのに、この二か月で4人もの芸能人が亡くなっている。

いろんな憶測が飛んだり、それぞれの人の意見が飛び交ったり。

「その人の気持ちはその人にしかわからない」が私は正解というか、正論だと思う。そしてそっとしておいてあげること、が一番じゃないかと思うのだ。

友達や家族にとっては、「なぜ」の答えが本当に欲しいだろう。それを知ることによって、その人の死を少しだけでも、受け入れることができるのではないか、と。

友人の母が亡くなってから、思うのは、彼女は生きていたいという思いがとても強い人だった。だから病気にも負けることはないだろう、と半分願いも込めて思っていた夏。結局勝つことができなかった。だから生きないと、と。

かといってこういう自殺をする人を見ると、「生きないと」と彼らには言えない。その人その人の事情があり、そして死を選ぶほど、何かに悩んでいたのかもしれない。そしてそれを打ち明けることができなかったという現実を考えると気安く言えたものではない。

ただ、今回彼女の教会でのミサ、ほんの20分ほどのセレモニーではあったけれど、家族友人多分合わせて、15人も満たなかった。コロナのこともあって、沢山の人に知らせることに気が引けたとも友人は言っていた。曇りだったこと、そして夜8時近くのミサだったのもあってあたりは暗くなっていた。キャンドルライトで、照らされた教会内の美しい壁画。静かででも暖かいミサが厳粛に行われ、最後に写真に別れを告げて、キャンドルをともして、教会を後にした。

翌日あったお別れ会も同じメンバー。彼女の話をする人は誰もいなかったのが、みんなまだ、現実を受け止められない証拠だった。でも、おいしいものを食べて、他愛のない話をする。

生前彼女が言っていたことは、「本当に大事な人としか付き合わない。私は本当に、いい人としか付き合わないの」と教えてくれた。本当にそうだった。みんな、いい人で、暖かい人で。いつもなら知らない外国語が目の前で飛び交うとストレスになる私も、彼らのロシア語が心地よく、わからないけれど、何を言っているのかが、わかるような気がした(笑)

そう、本当に大事で、好きで、よい人で、正直な友人に囲まれて、見送られることがどれだけ幸せなことか、私は目の当たりにした。そしてそのメンバーに入れてくれた彼女に私は感謝をしている。

人生に必要なものはお金と思うけれど。同じくらい大事なのは、やはり、本の数人であったとしても、「大事で、自分が大好きで、まっすぐで良い人」に囲まれ、生きていく人生だと思う。そしてそれが幸せな人生だと、私は信じている。

自殺を考えるのはきっと孤独からくるものではないか、と思う。

自殺を否定する気はない。でも、できれば人生を走り切ってほしいと思うのだ。自分も、自分の人生に嫌気がさすことが多くなった。特に、結婚をしてから、「明日死んでもいいや」と思う日々。だからと言って自殺をする勇気はない情けない自分。

でも、今は友人の母の死により、「生き抜こう」と思う。それは「幸せに生き抜こう」という形容詞付きで。私の幸せは、大事な信頼のおける友達とささやかに日々を送ること。できれば、信頼のおけるパートナーと人生の最後を迎えられればもっと幸せだけど・・・・。

コロナでいろんなことが大変だ。生活に不安ばかりが立ち込める昨今。

それでも生き抜いてほしい。きっと必ず先には何かがあると、私は信じてやまない。


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