日韓ハーフの最近のアイデンティティ事情
こんにちは。
私は、大阪で在日韓国人3世の父と、日本人の母の間に生まれ、そのままずっと大阪で育ち、今年、就職を機に大阪から離れた、所謂「日韓ハーフ」です。
そんな私のアイデンティティはやはり複雑で、簡単に言えば「私は韓国人だ」というアイデンティティと「私は日本人だ」というアイデンティティと、さらには「私は在日コリアンだ」というアイデンティティがごちゃ混ぜになっています。
100%日本人だと思っていた時期もあれば、50%日本人、50%韓国人だと思っていた時期もあり、本当にその時期その時期によってこのそれぞれのアイデンティティの比率は常に変わり続けてきました。
アイデンティティというのは、決して定まることはなく、常に移り変わりゆくものなので、今後もきっとこの比率は変わっていくことでしょう。
今回は「今」の私のアイデンティティ事情について、少しお話ししてみようと思います。
私が今いる環境
私は現在、駐日韓国系企業で、毎日日本語と韓国語を使いながら働いています。
会社の人たちは大半が韓国から来た韓国人で、現状、在日コリアンは私1人だけです。
そんな会社で私はどのように扱われているのか。
結論から言うと、日本人としても韓国人としても、そして在日コリアンとしても扱われています。
社内では日本名で呼んでくれる人もいれば、韓国名で呼んでくれる人もいます。
私について「uriのことは韓国人だと思っている」と言ってくれる人もいれば、「uriは日韓ハーフで、日本人でもあり韓国人でもあると思っている」と言ってくれる人もいます。
人によって私の捉え方は様々です。
私の今のアイデンティティ
そんな風に、現在は周りの人たちから全てのアイデンティティを肯定してもらえる環境にあるので、私のアイデンティティは「私は日本人であり、韓国人であり、在日コリアンである。」という、言ってしまえば最も葛藤が少なく、安定した形に落ち着いています。
しかし、小さい頃は父親方が韓国人であることも知らず、「100%私は日本人だ」と思い込んでいた私が、このように「私は韓国人でもある」というアイデンティティを持てるようになったことは、自分でもとても不思議に思います。
このことについては、これまでの人生で大きな転機が2つあったと思っています。
韓国人としてのアイデンティティを育ててくれた出来事①
1つ目は、やはり韓国留学です。
私は国籍の関係で、韓国人として韓国留学に行くことになりました。
この時まで、私は自分に韓国籍があることすら知らなかったわけですから、かなり困惑しましたが…
留学に行くために韓国に出生届を出し、韓国のパスポートを取得し、さらには韓国に渡った後はそこで住民登録の手続きを行い、人生で初めて「韓国人」として生きるという経験をしました。
やはり実際に自分の手で出生届を出したり、パスポートを申請して受け取った経験も大きかったですが、何よりも韓国で「韓国人」として生きるという経験が私のアイデンティティを大きく変えてくれたと思っています。
私はこれまでずっと日本で育ってきたので、韓国名を使ったこともなければ、周りの人から見れば「ただの日本人」なわけで、自分のことを「韓国人だ」と思ったことはあまりありませんでした。
自分は「在日コリアン」ではあるが、「韓国人」ではない。
ルーツはあるけれど、日本で生まれ育った私が「私は韓国人だ」と言い張るのは厚かましい。
そんな風に考えていました。
しかし、実際に韓国に住むことになって、韓国人として韓国名で過ごすうちに、自分の「韓国人」の側面を徐々に受け入れられるようになったのです。
それこそ、最初は周りから韓国名で呼ばれることに大変な違和感を覚えていました。
特に、日本人から韓国名で呼ばれた時には、それはそれは受け入れ難くて、なんだかモヤモヤしていました。
それが、しばらく過ごしていくうちに、逆に日本名で呼ばれることに違和感を覚え始めたのです。
日本にいる家族や友達から日本名で呼ばれるたびに、むず痒い思いをしていました。
韓国で過ごしているうちに、韓国人としてのアイデンティティの比率がぐっと高まり、逆に日本人としてのアイデンティティの比率が徐々に下がっていっていたのです。
この時、自分でも自分のアイデンティティの変化を面白いなと思っていました。
これまで自分のことを「韓国人」だと思ったことがなかった私が、ついに「韓国人」であることを受け入れ始めた瞬間だったのです。
韓国人としてのアイデンティティを育ててくれた出来事②
もうひとつは、済州島の親戚との出会い(再会)です。
私は留学中に済州島に住む親戚たちと、80年の時を超えて再会しました。
幼い頃からずっと気になっていた自分のルーツを初めて辿り、ついに在日でない、韓国に住む親族に出会うことができたのです。
この出来事が、私の韓国人としてのアイデンティティに大きな影響を与えました。
なんと言っても、これまでは自分が韓国にルーツがあるという事実に、全く実感が持てないままでいました。
父も日本生まれ、祖父母も日本生まれ、コミュニケーションは常に日本語。
曽祖父母が済州島から大阪に渡ってきたとは言うものの、それはもう昔の話で、私の居場所は完全に日本にありました。
なんとなく自分の中で、韓国で住んだ経験があるか、または誰か親族が韓国にいなければ、韓国人と言い張るのは厚かましいという思いがあったので、幼い頃からずっと自分のアイデンティティに葛藤する中で、韓国に親戚がいればまた違うのかもなという思いを持ち続けてきました。
それがついに韓国に住む親戚を見つけ、繋がることができてしまったのです。
血のつながった親族がいる、それだけで私には本当に韓国の血が流れており、韓国にルーツがあるのだということを実感できるようになりました。
この出会いは、「韓国人」のアイデンティティと共に、「済州人」としてのアイデンティティも育ててくれました。
済州島に対する特別な愛着が芽生えました。
私のアイデンティティを左右する要素
こうして紆余曲折、アイデンティティの変化がありましたが、こうやって思い返してみると、私にとってアイデンティティを決める大きな要素は「名前」なのかもしれません。
日本名で呼ばれるか、韓国名で呼ばれるか。
これは私にとって大きなポイントのように思います。
日本名で呼ばれることが多い時には日本のアイデンティティが強くなり、逆に韓国名で呼ばれることが多ければ韓国のアイデンティティが強くなる気がします。
今は日本名も韓国名もどちらも適度に呼んでもらえる環境にいて、中には日本で出会った友達なのに私のことを韓国名で呼んでくれる子もいます。
このことが、まさしく「日本人であり、韓国人であり、在日コリアンである」という今のアイデンティティを作り上げてくれている気がします。
ということで、今回は「今」の私のアイデンティティについて、少しお話ししてみました。
もちろん、今後もその時々で私のアイデンティティは変わっていくでしょうが、今後も「日本人であり、韓国人であり、在日コリアンである」というアイデンティティを持ち続けたいなというのが私の理想です。
また、こうして自分のアイデンティティを時々振り返ることができたらいいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました:)
おばあちゃんと済州島に行きたい!