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北と南

ご存知の通り私の父は在日コリアンだ。

しかし、彼は、自らそのことを私に告白することはなかったし、差別や韓国の話について好んで話すこともなかった。

そんな父だったが、最近、私が大人になったからか、昔の苦労話や親族の話、自身のアイデンティティの話など、今まではしてこなかったような話をたくさんしてくれるようになった。今日はそんな父から聞いた話をひとつ書いてみたいと思う。


父は在日コリアン3世として大阪・生野に生まれた。

まだ詳しく聞いたことはないが、祖父母(父にとっての両親)は戦後まもなく生まれたので、戦後の食糧難+韓国人に対する差別で相当苦しい生活を送っていたらしい。

祖母は今でも昔の話をあまりしない。

そんな祖母は小学校は途中から朝鮮学校に通っていた(厳密には通わされた)と言っていた。だから、ハングルの読み書きは完璧ではないと。


ところで、みなさんは「朝鮮戦争」が在日コリアンにどのような影響を与えたかご存知だろうか。

「日本にいたんだから関係ないんじゃないの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、在日コリアンは朝鮮戦争・南北分断に大きく振り回されてきた。

みなさんがご存知の通り、第二次世界大戦終戦後、次に朝鮮半島の支配を巡って、国内で北側(現在の北朝鮮)と南側(現在の韓国)の争いが勃発した。これが朝鮮戦争だ。

朝鮮戦争は現在も決着は着いておらず、休戦のままである。この争いで、結果的に国は2つに分かれてしまった。

在日コリアンの中には、終戦とともに祖国へ帰ろうとした人も沢山いたそうだ。しかし、金銭的な理由ももちろんあったが、祖国が国内で争いを始めてしまい、その上2つに分かれてしまったことで帰るあてを失ってしまった人もいた。帰りたくても帰れない人がいたということだ。

そんな状況で、日本に残ることを決めた在日コリアンの中でも南北分断の動きが広がった。北を支持する人と南を支持する人に分かれたのだ。

いわゆる「総連」派と「民団」派だ。

「総連」とは「在日本朝鮮人総連合会」のことで、北を支持する在日コリアンの集まりである。

逆に「民団」は「在日本大韓民国民団」の略で、南を支持する在日コリアンの集まりである。

同じ国から来た人たちだったのに、同じ民族なのに、在日コリアンは朝鮮戦争と共に2つの派閥に分かれ、対立してしまった。

私の親族も、実はこの2つの派閥に分かれ、かなり激しく対立していたようで、縁を切って今は全く関わりがない親族もいる。

祖母が途中まで通っていたという「朝鮮学校」は、「総連」つまり北側が、戦後日本での在日コリアンに対する民族教育実施のために設置・運営を始めた学校である。ただし、朝鮮籍のみならず韓国籍でも入学することができる。

親族は、この、朝鮮学校についてかなり激しく揉めたようだ。

を支持する祖母は頑なに父を朝鮮学校に入学させることを拒んだそうだ。

逆に、祖父側の親族はを支持していた人が多かったらしく、朝鮮学校に入れろと強く主張していたそうである。

旦那側の親族を敵に回してまで父を日本の公立学校に入学させた祖母はどれだけ思いが強かったのか、どれだけ苦労をしたのか私には想像することすら難しい。

私は昔「俺を朝鮮学校に行かせるかどうかでめちゃくちゃ揉めたらしい」と父がポロッと言っていたのを聞いて、勝手に文化の継承だとか、そんなことで揉めているのだと思い込んでいた。もちろん文化の継承についても思いはあったんだろうけど、それにしても昔の自分はあまりにも無知だった。

朝鮮戦争は、同じ家族の中でさえ分断を生み、最終的には家族の縁を切らせてしまうようなそんな戦争だったのだ。

もとはひとつだった祖国が2つに分かれてしまう。在日コリアンにとって南北分断はどのような出来事だったのだろうか。どう感じたのだろうか。

4世の私には、正直検討もつかない。生まれた時には既に北朝鮮と韓国に分かれていたし、父は朝鮮籍ではなく韓国籍を持っていて、自分は紛れもなく生まれた時から"南側"の人間だった。それが当たり前だった。

だからこそ、朝鮮戦争について、南北分断について、もっと学ばなければならないと思う。留学に行くなら尚更。韓国という国において絶対に避けることのできないこの話題について私はもっと学んでいきたい。





おばあちゃんと済州島に行きたい!