私から見た坂本龍一

20代のときだったか、世界のサカモトの「二人の果て」というシングルCDを買ったことがある。

この異様に洗練されたボサノバみたいなポップスは(何でか、今井美樹とデュエットしてた)当時小室哲也みたいなんしか無かった世間に向けて、発売されてること自体が妙な感じがしたし、ああこんな曲があっても良いのかと、その勝手さに安心感を覚えたものだった。

当時バイトしてた工場のおっさんとおばはんたちと、泣く泣くカラオケに行ったとき、一聴、全く抑揚の無いこの歌を歌って場の空気を凍りつかせたのは苦い思い出である。

「二人の果て」が収録されている「スイート・リベンジ」というCDアルバムも買った。なんか黄色い得体の知れないもんに包まれている世界のサカモトを撮影した、ギャグみたいなジャケットに惹かれた。なんせCDアルバムは安くないので、値段ぶんは聴いた。

「二人の果て」と、収録曲の「Tokyo Story」「Moving on」「スイート・リベンジ」「サイケデリック・アフタヌーン」(これは聴くと眠くなる)「君と僕と彼女のこと」は特によく聴いた。稀に出てくる世界のサカモトの朴訥としたボーカルが余りに下手で、こんな感じで歌っても良いんだと、その勝手さに安心感を覚えたものだ。

このあと、リミックスだかなんだか知らないが「ハード・リベンジ」とかいうアルバムもすぐ出て「買えるか!」と貧乏な若者の私は怒っていた。



90年代、世界のサカモトはよくテレビに出ていて、元気そのものだった。若い私には、仕事が充実している中年というのが、それだけでモノ珍しく、全くの興味本位で彼の本を買ったりもしていた。

「時には、違法」とか、「友よ、また逢おう」とか(→共著が村上龍。若い人は知らんやろうけど、今でいうホリエモンとかひろゆきみたいな人)

これらは読んだ方がむしろ恥ずかしく、思い出したくないと思わせるシロモノだ。
本の中でも世界のサカモトは元気いっぱいで、一緒に仕事していた細野晴臣をボロクソに言うわ、何でか名古屋という土地をメチャクチャにディスるわ、武満徹を批判するビラを武満徹のコンサートで配布してたわで、アホな若者だった私はそんな世界のサカモトの一言、一行動を信じた。テレビの中でも、ウ〇コのついたパンツでお笑い番組に出演して話題になったり、何とも個性とアクの強いキャラクターだった。

世界のサカモトの音楽をずっと追う金銭的余裕は私には無く、カセットテープに音源を落としたりして大雑把に聴いていた。そのうち彼の作るメロディーもキャラクター同様、異様に個性が強いものだということを段々理解していった。

「ラストエンペラーのテーマ」と「NEO GEO」と「BEHIND THE MASK」と「メカニック・バレエ」と「千のナイフ」と「Tibetan Dance」はよくもまあ、こんなスゴイメロディーを作る人間がいるものだと聴き過ぎたあげく、全部同じ曲に聞こえるようになってしまった。

そもそも高校時代、YMOの再結成コンサートをビデオに撮って、画面にノイズが出るまで「東風」を聴きまくった所為で聴覚が若干おかしくなっていたのかも知れない。



これは余談だが、20代の後半まで邦楽というものを聴く習慣が全く無かった私には、唯一聴き込んでいた日本語の歌詞が「メカニック・バレエ」に出てくる、

僕には 始めと終わりがあるんだ
こうして 長い間空を見てる
音楽 いつまでも続く音楽
踊っている僕を 君が見ている

コレのみで、この4行はループされて脳味噌の中に刷り込まれている。今私が行っている作詞は、大部分がこの4行から派生しているのだろうと思う。



中谷美紀という女優さんが歌っていた、「食物連鎖」というCDアルバムや、シングル曲の「砂の果実」も世界のサカモト作なので買ってよく聴いた。マザコン全開の気色悪い歌詞に、世界のサカモトのメロディがちゃんと乗っかっていて、努力の際限無さに驚いたものだった。

いつだか中谷美紀さんと世界のサカモトがツーショットでテレビ出演しているのを、貧乏くさい団地の一室で私は視ていた。

油がのりきっていた当時の世界のサカモトは、中谷美紀さんに限らずレッドカーペット感丸出しの、無闇矢鱈に目鼻立ちが整っている痩せ細った美女とツーショットで一緒にいる印象が強く(オレの思い込みかも知れないが)ご本人からして何を思ったのか「学生時代から野獣のような生活をしており、何回も結婚して子どもがたくさんいる」と自ら公言しており、派手な女性関係が当時は羨ましく思え(今は羨ましくない)しかし、自分が女子ならこんなアクの強い攻撃的なオッサンとは絶対につきあいたくないものだ、エライ目にあわされそうだ、世界のサカモトに自ら近づいていく女子は騙されているんじゃないか?クレオパトラの鼻ではないけど、もし世界のサカモトがああいう端正な顔立ちと、サラサラの髪の毛と、スリムな体型をしていなかったら、どうなっていたのか?とか、完全に大きなお世話な勝手な妄想をしていた。

実際、余りに肉食丸出しなキャラクターと、クセと腕力があり過ぎる楽曲ゆえか、少なくとも私の周辺にいた現実の女子は懸命で、世界のサカモトに関心を持たないか、むしろ避ける向きは多く、体裁を気にした私はこの系統の中ならと、どちらかと言うと細野晴臣を聴くようになってゆき、世界のサカモトの行動に余り注目しなくなった。



世界のサカモトに再び注目したのは、脱原発だか安保関連法だかのデモに彼が参加したときだった。先に上げた世界のサカモトの本で、彼が若いころ学生運動にのめり込んでいたことは知っていたが、メディアを通じた未来人風味の出で立ちの世界のサカモトしか知らない私は、ゲバ棒とヘルメット姿の若き日の彼が想像できなかった。だが本当に好き好んでデモに参加しているらしい、世界のサカモトを確認したことで、彼だけでなく学生運動をやっていた爺さんたちは適当に社会に適合して潜んでおり、死んだわけでもなくそれなりに存在していたのだと改めて実感し、自分が生まれる以前の10年間の歴史が補完されたようで奇妙なスッキリ感を覚えた。



他人の褌で相撲を取るではないが、その頃は私も人が主催したデモに、ポチポチと参加したりはしていた。中年になり結婚しても貧乏な私にとって、世界のサカモトはご本人が「一市民」と宣言しても、上流階級なデモ参加者にしか見えなかった。

世界のサカモトは爺さんになっても元気いっぱいで、近年はピアノ・コンサートをよくやったりしていたようだが、もはや私には自分の生活とのギャップがあり過ぎて、たとえ聴いたところでよく理解できなかったかも知れない。
晩年の世界のサカモトはフリッパーズ・ギターのやらかしたのがバレてしまった方の社会復帰の一助を担う感もあったが、そういうのも私にはもはや遠い世界の出来事だった。

どれだけのし上がっても、貧乏くさい人間というものは存在するし、そんな人間なら例えアカデミー賞を取っても私は親しみを覚えるのだが、世界のサカモトはどれだけ貧乏くさいフリをしても、却って上品な雰囲気があり(単に顔の所為かも知れんが)彼の父などは、三島由紀夫の編集者をしていたそうだから、結局、世界のサカモトはどれだけ捻くれていても育ちの良い、私から見たら天上界にいる人間だった。

だが、あんなへそ曲がりな性格をメディアを通して自ら露悪してたような世界のサカモトが本当に貧乏だったら、30歳くらいで死んでいたかも知れない。そういう意味ではと長生きしはったのだと思う。



今は、あのメロディを作った人間がいなくなったことが寂しく悲しい。
こんなことを、アカの他人に思わせるのはスゴイことだ。
音楽の沁み通り方が、完全にねじ曲がってでも無ければ、メロデイを作った人間の不在で寂しさを覚えるなど普通は有り得ないだろう。世界のサカモトは、反逆的なアプローチの音楽を星の数ほど制作していたということだ。

世界のサカモトの周囲に群がるレッドカーペットを歩いた美女同然に(あくまで妄想)、私も世界のサカモトを注意深く観察していた。にも関わらず、私も騙されており、彼は育ちは良さそうでも、芸術家でも何でもなく本質的にはパンクだった。だからパンクっぽい、ロックっぽい邦楽が大嫌いだった(ブルーハーツなどゲロを吐くほど嫌いだった)若い私は、世界のサカモトくらいしか聴ける邦楽が無かったのだ。

私が一番好きな世界のサカモトの曲は「Moving on」
今日はこれを聴きまくろう。何でもスィートでラディカルらしい。ややこしいわ!

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