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言葉を選ぶポイント

先日初めて会ったご近所さんにいわれた、
「かわいそう」という言葉。

私の愛車が鳥のフン被害に遭っていて、
駐車場でフン掃除をしているときに
その方が声をかけてくださったのだけれど、
去り際にかけられたのが、
この「かわいそう」。
(ちなみにフン被害については、既に管理会社に連絡済みで、現在対処待ち)

ん…かわいそう?
いわれてすぐに違和感を覚えた。

悪気はないのはわかるのだけれど、
すっきりしない感じ…。

しばし悶々と考えた末、
「『自分には関係ない他人事』
って言われた感じがした」
にたどり着く。

別に初めてあった人に対して、
そこまで近い距離感を求めていないけれど、
「かわいそう」の一言で、
ハサミでばっさり切り離された感じがしたのだ、それも唐突に。

そういえば、
この「かわいそう」という感覚というか感情。
私自身は、長くを感じた記憶がないし、
書く言葉でも話す言葉でも
随分使っていない気がする…多分。

ここ数年私の中になかった
「かわいそう」について、
改めて私のとらえ方を考えてみた。

「かわいそう」と言ってしまうことで、
他人事であると切り離してしまう感じがする。
と同時に、
「言ってる私は、かわいそうじゃないけどね」という気持ちが
多少入っているんじゃないかと思う。
(あくまで私が発していた時のことを想定)

何をどう感じ、思い、言葉を発しているかは、
当人でない限りわからないのだけれど、
少なくとも私は、
言葉をかける相手に対して
距離を置いているというか、
第3者の部外者からの視点で、
相手の状況や状態を見ている感じがする、
まさに他人事。

大変な状況や立場に置かれた誰かに対して、
今の私には
「かわいそう」
という言葉が湧いてこないと思う。

その話を聴いている時読んでいる時、
私は、その誰かに対し、
寄り添いたいと思うから。
今となっては、
いつのころからそう思うようになったかは、
もう思い出せないけれど。

別に「かわいそう」を使う人に対して
どうとも思わない。
その人の経験から選んだ言葉なのだから。
ただ私は、選ばないと思う。

私は、
書き言葉であっても、
話し言葉であっても、
相手に寄り添った言葉を選んでいきたい。

と、鳥のフン害をきっかけに(笑)、
こんなことを感じる私は、
感覚を掘り下げることが、
やっぱり好きなんだと思う。


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