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はたらく・あそぶ・たのしむ

こんばんは。HANAです。自分のキャリアにオーナーシップを持つことの大切さをお伝えするために、ブログを書き始めて数日です。

昨日、今日、コーチングの先生が私の地元まで遊びに来てくれました。その距離500kmぐらい?私のところだけでピンポイントというわけではないので、総走行距離は1,500kmを超えたと言っていたような。9泊10日の長い旅だったようです。

自分のために時間とお金を使う


皆さんは、自分のために時間を使っていますか?

ん。もっと具体的に。自分を満たすために時間を使っていますか?

もちろん、日常、ちょっと空いた時間にスタバに行ってコーヒー片手に読書するとか、夜寝る前に瞑想して心を落ち着けるとか、自分のために工夫して時間を作っているという人は多いと思います。私も意識してそういう時間を1日のうちに数分でいいから作るようにしています。このブログを書く時間も、私にとっては自分のための時間です。

でも、もっと「特別な」時間。命の洗濯的な。

「経験」にお金を使うと幸せになれると良く聞きませんか?NYLB研究所では今「幸せが倍増するお金の使い方・稼ぎ方」として月例講義を行っていますがその中でも触れられていました。

私、そういう意味で自分のために時間、そしてお金を使ってこなかったなーと思っているのです。

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遊ぶことに罪悪感を感じていました


案外、この感覚を理解してくれる人は多いんじゃないかなと勝手に思っていいます。「自分だけ楽しんではいけない」ような気がして。

私は、本業で出張が多いので(今はこの状況なのでありませんが)、子どもが赤ちゃんの時から、家をあけることが多くありました。その度に「これは仕事。仕事だから仕方ない。」と呪文を唱えて飛行機に乗る。毎回そんな感じでした。日本国内色々なところに出かけていますが、出張先での時間(もちろん仕事から解放された後の時間ですが)を有意義に使えていなかったように思います。(いつかブログに書きますが、パートナーから「子育て放棄」と揶揄されていたことも原因の一つかもしれません)

仕事で行く県外脱出でさえそう思う私が、まして「遊び」で一泊するなんてあり得ない!そんなふうに思ってきました。

なので、正直な話をすると(H先生にも言ってなかったな)、会うために宿泊先へ向かう道中、やっぱり少し罪悪感があったのです。

レッテルを貼っていないか


なぜ、罪悪感に思うのか考えてみたんです。

シングルである私が家を空けるということは、子どもたちだけで過ごすことになります。食事はどうするか、洗濯はどうするのか。犬に餌はやってくれるのか。

でもね、それ、どうでもいいことだったんです。おそらく。お腹がすけば自分たちでカップラーメン食べるだろうし(実際は祖父母とご飯を食べたけど)、洗濯は1日2日しなくてもなんとでもなるし、犬もそんな簡単には飢え死にしないし。(まぁ、赤ちゃんを置いていくのはちょっと事情が違うかもしれないけどね。)

私の罪悪感の源は「子どもを置いて自分だけ遊んでいる母親は最低だ」というレッテルを自分に貼っていることでした。

つまり、人からどう見られているかを気にしている。ということ。勝手に自分の中で「理想の母親像」を作り込んでいること。

それらが私の前に立ち塞がって、心から楽しめない状況を自ら作っていました。

車を運転している最中に、そこに気がついたんですよね。セルフコーチングで。

理想の母親なんてどこにもいない。私が全力で楽しむことを子どもはきっと否定しない。そして、何より自分が楽しんでいることで、楽しく生きる「あり方」を見せることで、子どもたちも得るものがあるんじゃないのかな。と思ったのです。

そんなことを考えながら家に帰ったら、私のマインドセットが変わったからなのか、とても穏やかに娘が迎えてくれたように思いました。

心の底から楽しむことに使ったお金と時間。私の中でこの2日間は宝物になりました。

H先生との「遊び」の中から学んだことは次に書きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました^^


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