言葉の裏、制度と制度とのはざまで

 映画版の「ある男」観た。音楽がけっこうゾクっとして怖さがあった。

 『マチネの終わりに』を読んだときは"過去は変えられる"という平野啓一郎の書いていることがなんとなくわかった気で実際よくわかっていなかったと気づいた(まあ難しいことは置いといて、この小説は結構好きです!)。

 「ある男」では、なるほどそういうことか?と自分流に理解した。窪田正孝が演じる"谷口大祐"が実は過去に2度名前を変えていて、なぜ変えたのかは自分の育ちという過去を変えたかったから、かもと思ったから。

 "谷口大祐"は戸籍を変えて名前を変えることで、新しい人生を歩んでいた。自分事にして思うことがいろいろあった。私も以前は名前とまではいかないけれど、学歴や出身地と自分の見かけがいい意味と悪い意味で違っていて変えたいと思っていた。

(ちなみに私は「グレーゾーン」という言葉にもやもやしている。グレーゾーンという名前を決めた時点で、その言葉が独り歩きして、例えば発達障害かもと知れないと疑って病院で診断を受けたとして、なんでもなかったとする。それはグレーゾーンと呼んで片付けてしまってよいのだろうか??【発達障害でもない・何でもない=グレーゾーン】と、第三の選択的な、消去法のような感じで短絡的に思えるからである。⦅もっともグレーゾーンの定義が幅広いのだろうが⦆一人ひとり生い立ちが違って世の中にはたくさんの色があるのに、グレー一色で染めてしまってよいのだろうか?)

 だが、これらはもう意識しなくとも変わっているのかもしれない。とらえ方が変わったという感じ。社会に出てリアルでもオンラインでも幅広い人たちとかかわり、世界が広がって、過去を変えようと意識しなくとも、自分の見ていた世界はどれだけ狭い世界だったかと自然と思い知り、もじもじしてるどころではない!となった。

 "谷口大祐"に戻るが、しかし世間は見た目(例えば妻夫木聡演じる弁護士が在日3世であること)や、SNSの普及(「ある男」ではSNSは良い結果をもたらしていた。この場面を観て、改めてSNSの時代に生まれててよかったとも思った)、法律や憲法などに代表される固い言葉、用語、肩書などが社会的に大きな影響力を持つ。まあ、言葉は影響力持つだろうが、、ちょうど昼間にの記事を読んでいたこともあり、言葉の裏、制度と制度とのはざまはまるで宇宙のようだと感じた。
気鋭の劇作家・岡田利規が問う、「想像」を介した言葉と身体の関係性|Pen Online (pen-online.jp)

 そうした固い言葉たちの裏にあり、またブラックホールのように?そこのしれない人々の感情の揺れ動きが俳優の名演技によってひしひし伝わってきた。

 「万引き家族」の印象からか、私は安藤サクラががつんと演技するところがちょっと観たかった。

 窪田正孝のカメレオンぶりがとてもよかった・・・!!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?